第15話 約束の葛藤

「グリンゴ、グリンゴ!」
 小学生ぐらいの少年たちが僕たちをからかうように叫び、追いかけてくる。
 グリンゴとはこの地域における外国人の蔑称である。もともとは近代史で関わりの深いアメリカ人を指す言葉だったそうで、緑の軍服を着たアメリカ人を緑色に例えて「Green go out(アメリカ人は出ていけ)」と言っていたのが短縮され、グリンゴになったなどの説がある。
 加減を知らない子供たちだ。グリンゴの声とともに時には石を投げつけられた。
「チーノ、チーノ!」
 僕らぐらいの大人たちもへらへら笑いながらそう言って近づいてくる。チーノは中国人のことを意味するが、この場面ではやはりアジア人を指す蔑称として使われている。彼らは目じりを指で引き延ばし、細長い目をつくってヒャハハと下卑た笑い声をあげていた。
「いい加減にしてくれよ」
 僕たちはうんざりしながら彼らを振り切った。
 ここのところこんなことが続いて余裕がなくなっていたのかもしれない。なんだか色々なことがうまく行かなくてイライラが募っている。ましてやこの暑さである。消化できないイライラの矛先はいつの間にかモトミくんとサヌキくんに向くようになっていた。
 一緒に走り出して三週間が過ぎようとしていた。当初の盛り上がりはすっかり消えて、少しずつマンネリが出てきた。長く生活を共にしていれば、だんだんお互いの地が見えてくるのは当たり前のことだったが、だからこそ次第に彼らの一挙手一投足にも苛立ちを感じるようになっていた。

 モトミくんは決定的に朝に弱かった。この暑さだったから、まだ涼しい朝のうちに出発して早めに一日の走行を切り上げようぜという話になり、「それじゃ八時出発な」と前日にそう決めていても、八時の彼はすやすやと眠っていた。
「おい、朝だぜ」
 サヌキくんがモトミくんを小突いて起こす。ふあぁと悪びれることなく起きると、タバコをくわえて朝の一服へと向かっていった。このところ毎朝の光景であった。
「やれやれ」
 僕とサヌキくんはお互いに目を合わせ、深いため息をついた。

 サヌキくんは絶望的に荷物の管理が出来なかった。モトミくんの準備が整ってようやく出発というタイミングで、サヌキくんが「カメラの充電器がない」と慌て出す。おいおい、昨日はイヤホンで今日は充電器かよ。この男は何でもかんでもをバッグの中にぶち込むから、どこに何が仕舞ってあるか分からないのだった。それは本人にも自覚があるようだが「俺はこの旅でタオルを一〇枚以上なくしてるぜ」と逆に開き直る始末である。
 いったん宿に探しに戻ってみるも見つからない。「どこいっちまったんだよ?」と路上でガサゴソとバッグの中身を全てぶちまける。するとバッグの奥からコロンと充電器が床に落ちてきた。
「あったやつー!」
 満面の笑みを浮かべて、充電器を天にかざすサヌキくん。今度は僕とモトミくんが目を合わせ、「はいはい」と冷笑を浮かべた。

 そして彼らもまた、僕の傍若無人な態度には同じように辟易させられただろう。だいたいいつも街に一番乗りで着くのは僕だったから、先に僕が宿の目星をつけておいたり、値段の交渉をしていた。別にそれは二人から頼まれていたことでもないはず、だったのに「何で俺ばかり宿探しをしなくちゃいけないんだよ」と二人に当たり散らす日が続くようになっていた。

 長い峠道を上っていたときのことだ。ガタがきていたモトミくんの自転車がとうとう壊れた。後ろのギアが吹き飛んで後輪に巻き込んでしまっている。致命的だったのはギアを取り付ける部分のフレームまでぐにゃりと曲がってしまっていたことだ。
「もうこれで走るのは無理だから、バスでも拾って次の街まで行きな」
「とりあえず押していけるところまで押していきます」
 冗談じゃない、次の街まで何十キロあると思ってるんだ。
「無理だって!」
「………」
 モトミくんは僕を無視して、自転車を押し始めた。何なんだよ、本当に。だいたいお前が朝遅いせいでもう日が暮れそうじゃないか。こんなところで夜を迎えたらまた強盗に襲ってくださいと言ってるのと同じだろうが。ここで頑張るなら、もっと早い時間から頑張ってくれよ。
「じゃあ俺は先に行ってるわ」
 業を煮やしたサヌキくんは一人で行ってしまった。僕も彼を置いて行ってしまいたい気分だったが、そこに踏み切ることは出来なかった。彼を誘ったのはそもそも僕なのだ。それに僕になら急場凌ぎの修理ぐらいなら出来そうだったから、どうしてもその場を離れられなかった。
「もう!貸せよ!」
 僕はモトミくんから自転車を奪い取り、自分のバッグから工具を取り出して修理に取りかかった。
「くそっ、何で俺が手を汚して作業しなきゃいけないんだよ。お前の問題だろうが!くそっ、くそっ」
 こんなはずじゃなかったのに。いったいどこでどこを掛け違えたのだろう。いつの間にか笑えなくなっている僕たち。僕らはすっかり瓦解寸前だった。
 一緒に走ると言っても自転車旅そのものの「個人で走る」という性格は変わらない。ましてや出会う前は、お互い自分一人で走ってきたのだから、自分の旅にそれなりのこだわりや自信はあったはずだ。それが三人で走ることようになると、それまでの自分の走り方を大なり小なり我慢して三人の走り方に合わせなければならない。一人だったらもう一つ先の街まで走れたはずなのに、俺はここで休憩したいのに。そんなギャップにも苦しんでいた。

 僕らが同年代だということもこの時は悪い方に働いたと思う。僕らは仲間でもあったが、同時にライバルでもあった。
 この日も先頭を走る僕に食らいつくようにサヌキくんが立ち漕ぎをして追いかけてくる。すぐ後ろからはぁはぁとあえぐ彼の声が耳障りだ。僕がペースをあげてもついてくる。全力でペダルを回す。回す。一体どうして僕はこんなにムキになっているのだろう?そう思いながらも漕いだ。しばらくしてやっと彼を振り切ったことを確認すると妙に安心する僕がいた。
 一人で商店に立ち寄りコーラを買った。今までは三人揃ってから飲んでいたコーラを一人先に飲むと、いつものコーラと味は一緒のはずなのに、なにか別な飲み物を飲んでいるような味気なさだ。遅れてサヌキくんがやってきた。
「日暮れまで三時間。あと四〇キロ行ける?」
 明日のことを考えると今日は少しでも先に進んでおきたい。
「行けるよ。たださ、膝がねぇ…」
 なんだよ、それ。それって行けないってことじゃねぇか。なんでそこで強がるんだよ。僕は苦虫を噛み潰したように残りのコーラを飲み干す。ふん、行けるっていうんなら、行ってやろうじゃん。ようやくモトミくんが追い付いてきたが、僕は彼を待たずに走り出した。

 そんな鬱屈したもやもやの気持ちでいたら、久しく調子のよかったお腹が、突然ギリギリと痛み出し、それから四〇度近い熱が出た。コスタリカのサンホセでのことだ。
 症状はきつかったが僕は少しホッとしたような気持ちになった。この調子じゃ数日は寝込まなくてはならないし、そうしたら彼らも僕を置いていかざるを得ないだろう。この街での滞在費もバカにならないし、もう僕に構わず二人で先にもう行ってくれ―――。
 しかし、二人は黙々と僕の体調が回復するのを待った。看病をしてくれるわけでも労りの言葉があるわけでもなかったが、何も言わず待ってくれた。
 そこにはただ「無事に三人でパナマまで行って、一緒に南米行のヨットに乗り込もう」という最初に取り付けた約束を律儀に守ろうとする二人がいた。でもその約束が言質となって僕らをギリギリのところで繋ぎ止め続けるから、それに僕らは苦しんでいたのも事実だった。
 三日間寝込んだ後、僕は体調を回復し、再び三人で走り出した。けれどこれといって何かが変わったわけでもなく、ただなんとなく、つかず離れずの距離感で行動を共にしていただけだった。

 北米の終点パナマシティは、あまりに分かりやすく、そして唐突に熱帯林の切れ間から姿を現した。陸地がすとんと切れ落ちて、弧を描く巨大なアーチ状の橋が架けられている。橋の下の運河にはコンテナ船やオイルタンカーを何隻か見かけた。橋の袂に立ち寄ると、この運河に携わった中国人を称える碑石が建っていた。
 運河にかかる橋を見た瞬間、僕は大きな昂ぶりがこみ上げるのを感じていたが、後ろに二人がいたことを思い出すと、すぐにその興奮を心の奥に押し込んだ。
「着いたな」
「あぁ」
 北米が終わる。
 それは感慨というよりも安堵の思いだった。
「あぁ、やっと。やっとこの約束を果たすことが出来た」
 どっしりと、とても重たい肩の荷が下りたような気がした。
 凄まじい交通量の橋を渡り、市内へと向かう。目のくらむような高層ビル群が群雄割拠で競い合っている。果たしてここは中米なのだろうか。まるでニューヨークだ。北米と南米を繫ぐこの小さな地峡に信じられない程のお金が集まっているのだろう。でも、ずっとここを目指してきたはずなのに、ずいぶん無機質に感じる街だった。
 摩天楼の中でもひときわ目立つ、螺旋にねじれて尖ったビルが野心的に空を突き刺していた。うんざりする程にくたくたでこの街に辿り着いた僕らの気持ちを差し置いて。

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