大切なことを最優先する

経営がうまくいかなくて立ち行かなくなった会社があったり、惜しまれながら死んでいく人がいたり、後からなんだかんだと言ったところで手のつけようがないってことはいっぱいあるものです。

いつも同じことばかり言ってますが、結局は遅かれ早かれ人は死にますし、組織は分解されてしまってバラバラになるのが世の常。稀に驚くほど長く続く組織があったとしても、むしろそっちが不自然なことであって、基本的には諸行無常であって当たり前で、それを嘆く方が不思議なことです。いわば太陽がいつも通り登ってきたときに、なんだよ!今日はなんで皆既日食じゃないんだよ!と嘆いてる人みたいなもんでしょうか、いないけど。まあでもそんなレアなケース期待するのおかしくない?ってことです。

あるものが形を失うことで、そこにあった何かの大切さに初めて気づくということは割とありますね。亡くなってから惜しまれる、亡くなってからその存在を惜しむなんてことは、ちょっとでも周りのことを観察していれば無限に見つかるもので。亡くなったものはもう話すことすらできない。

冷たい現実ですが、それは変わらない事実。それがもしも変わってしまったとしたら奇跡だとしても、ちょっと逆に怖いことですらありますから。

で、そんなどうしようもないことを嘆いてみても無駄だとわかったとき、人がやるべきことは一つ。「結局死ぬときに後悔しないように何するん?」ってことですね。さてさて、今日もそういう生き方をしたかどうかが大事。


ちなみにこれって、蓮如上人の御文章「白骨」を僕なりの言葉で表現したものです。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。