いつでも浮上するときは、心身ともにだなと思う。気持ちも動けば、身体も動き、動き出せばやる気もまた湧いてくるものだ。ではきっかけはなんだろうかと思えば自分が何か、そこに自分を通して表現をしたことが確かめられたときだ。

最近では自分が表現し、それが相手に伝わり感動した、というわかりやすい確認も喜ばしいことではあるものの、それ以上に、表現した世界の中に生まれた関わりが嬉しい現象として現れ、その関わりにつながる人たちが嬉しいと喜んでいることを見るときに、とても嬉しいことだなと思うようになってきている。

僕は誰かに喜ばれるのは好きだし、人に喜ばれれば嬉しい気持ちになる。それはもうずっとやってきていて、得意でもあるし、いつも嬉しい。で、それは多くの人が当たり前にやっていることではなく、思ったよりも「こんな自分でいいのか」と言うことに悩みすぎていて、自分が誰かに役立つなんてことがあるのだろうかと疑う気持ちの方がずっと大きい人たちが多いのだと感じている。

そういう人たちが、「私はだれかにとって嬉しい存在である」と自ら信じられることが始まった場面を見られるのは大変な嬉しさだ。あなたは誰かにとって嬉しい存在であるはずだし、必ずそう思えるときはある、と信じている。だけど、それは言葉では伝わらず、それを体験してもらうしかない。それを増やしたい。


「あなたは嬉しさを創造する存在だ」
「あなたは優しさを創造する存在だ」
「あなたは〇〇を創造する存在だ」


そうだな、これが大事で、ここに当てはまる〇〇を、恐れることなく正直に埋めることができる安心感を提供したいし、それが見つかって、表現できたなら、それを実現するためになにができるのかを一緒に考えて、必ずそう思えるように、自分で信じられるようになるために、そうなれる自分に向かって歩き出してほしい。

そういうことがしたくて、残り時間を過ごしているのだ。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。