「果報は寝て待て」という言葉がある。


なんとなくいいことは焦らず待てばいいのさーっていう感じの、誰でも聞いたことがあるだろうということわざ。


そもそも「果報」とはこういう意味。

[名・形動]
1 よい運を授かって幸福なこと。また、そのさま。「果報な身分」
2 仏語。前世での行いの結果として現世で受ける報い。


というわけで、果報というのは良い運のことや前世の行いに対する報いを指す言葉のようである。その果報を寝て待つというのは、まあ焦らずその果報を待ちなさいってことなのだが。ほんまに寝てなさいっていうよりは、どんと構えて、オタオタせずに待ってなさいってことである。


もう試験は受け終わったが、どうしよどうしよ、とどうしようもないことに憂いている人などがいる場合にかけるべき言葉である。だってもう、試験は終わってんだから、やるべきことをやったら、あとは果報は寝て待て、だ。


さて自分が努力をしたものについて、結果が気になるのは人の常であるが、結果に一喜一憂しすぎると苦しいことになる。なので結果というものに拘るのはやめて、ただただ自分が為すべきことのみ集中したほうが良いと、そういう意味であると勝手に解釈している。

本来の意味がどこにあるのかは知らないが、どんな言葉もことわざも、どの解釈が正しいかどうかというのも大切なのかもしれないけど、結局のところは意味をどう解釈して、今日生きるのにどのように活かすかが大事なのかなと僕は思っていたりする。


よくいう話だが、「された恩義は忘れずに、してあげたことは忘れなさい」というのはとても美しい言葉である。そして、それを実践できる人があまり多くないからこそきっと大事な言葉として残っているのではないか(汗)

逆に「された恩義を忘れて、してあげたことだけ覚えている」ということを自分なんかもやっちゃっているんじゃないかと思うが、もはや覚えてない。


「してあげたことは忘れているが、された恩義すらも忘れている」


ああ、これだ。。。
ぜんぜん良くないけど、ほんとこれだなと言葉にして思う。
ただの忘れっぽいやつだ。困ったものだ。すみません。


いや、この件じゃない。今日はこの件じゃない。


まあ、そういう性格なもんだから、いちいちあれの結果はどうだったのだろうかということを大事にか抱えているよりも、もうすっぱり忘れてしまって次のことをやっているほうが性に合っているのである。

数え切れないくらいなにかをガチャガチャとやっていたら、ぽろぽろ結果になっちゃったりするものがうっかり出てきて、光の速さで失敗しまくっている限りない数のチャレンジを誰も見ることはなく、ただただうまくいったものだけを見て「なんかすごい」「さすが」「最初からモノが違った」など、勝手なことを言い出すもの、それが人間らしさというものである。


そういうわけで、結果というものはときどきものすごく頑張ったことが結びついてうまくいったかのように思える錯覚を起こさせるが、多くは習慣と運の結びついたものであると僕は考えているし、運がいいと習慣が悪くても、一時期的には結果が良くなってしまうことだってあるものだと思っている。

逆に習慣がいくら身についていても、いきなり結果が出せないときはあって、それに焦ってもがきすぎて無理するのも普段の習慣を崩してしまったりしてあんまり良くないし、結果が出ないと腐ってしまって努力しないのは当然ながらなんにもしてないので結果を出すには良くない。


もうひとつ大きな目線で捉えれば、長らく結果を出せないで愚直に行動をし続けてきた時間が長い人ほど、我慢強く実践を継続できる習慣が身についてたりして、長く頑張り続けられる力が培われたり、簡単に結果が出せると思い込んでしまって、晩年あまり継続する力や粘り強さがなく、すぐにあきらめてしまう人になったとしたら、若いうちに結果が出すぎるのも良いのか悪いのかわからないものでもある。


いろいろ書いたが、やはり結果というものはときどき運やら環境にも左右されてしまうものであって、不確かな部分がある。それよりも、自分が決めたことをきちんとやる、自分がしたいと思って決めたことをやる、そんな日々の積み上げを着実に為していくことは、何か結果が出る出ないには関わらず自分に対する信頼の念は形作られていくように思う。


人に対する行為も、頑張ったことも、なにもかも(がいいのか知らんが)、大事に大事に自分がせっかく時間を使ったとかなんとか言わず、その時間そのものを楽しんで過ごし、うっかり忘れて、果報は寝て忘れて、また今日も気持ちよく起きて、今日できることを一生懸命にやるのが一番だ。


今日もそんな風に思える日だった。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。