ありがたい機会をいただく

今日は会社の友人で、小商い塾にも関わってくれている山田さんや田邊くんたちが関わる社内活性活動の一環で、オンラインで90分ほどお話させていただく機会をいただきました。

なにがうれしいって、今回の話題が「ライフラインを振り返ろう」というテーマであることです。リクルートの研修や友人の北川さんたちとの思い出を胸に、人生を棚卸することによる心理的安全性が生まれることにより、いかに多くの人が楽に生きていけるきっかけとなるかを見続けてきました。


自分の人生を冷静にみつめること。ただただ、落ち着いて自分の人生がどんな風に展開されてきたのかということと、またそれをみんなでお互いに話していくこと、その上でお互いが「血の通った人間であるということ」や「弱い心を持った一人の迷いの多い人間であるということ」をちゃんと認識すること。それはちょっとした羞恥心や恐れの感情が生まれます。

それにも関わらずそれをお互いに示しあえた人たちに、不思議な感謝の念と暖かい絆を感じさせるものがあるという体験が、お互いがいかにお互いを疑いながら生きてきたのかということ、またそれは本当にちょっとした誤解の中で生まれてきたということ、世の中というのはまさにか弱くて恐れやすい人間たちが、お互いを恐れながら、本当に理解し合いたいと思って生きているということに気付かされるような機会となります。


人の恐れというものは、お互いがお互いから傷つけられるのではないかという誤解から生まれ、それは実際には攻撃されるのが怖かったから相手にやられる前に攻撃をしておいただけというものだったりしますが、実際は相手が攻撃をしようとしてなかったとすれば、それは罪もない人に対する暴力をふるったことそのものなのです。それでも仕方なかったと正当化したり、時には罪の意識に苛まれてしまったりと、人間は複雑な気持ちになります。

それらが、ちょっとお互い人間というものがどのように生まれ、育ち、考え、苦しみ、もがき、生きてきたのかをしることによって、人に対する寛容さが芽生えます。人に対して恐れて誤解するよりも、まずは心を開き、自分が理解をすることから始めてみようという気持ちが生まれたりもします。


それはもはや人生が入れ替わったとも言える体験だと思います。


さまざな形式においてこの時間をつくるようになって、ずいぶんと時間が経ちましたが、ぼくは38年の人生のうち約2年近くを、人の人生を聴くということに時間を費やしてきたことを知りました。

そしてそのことをとても誇らしく思いました。


人は悩み多き時間を過ごすけれど、自分の人生をきちんとお互いに見つめ合いながら過ごし、お互いの情けなさを聴き合い、認め合い、許し合い、受け入れ、だからこそ愛していけるし、愛されてもいける、という確信を得ることで、随分と人生の見え方は変わるもんだなと思います。

そのことをちょっとしたご縁から、自分が関わらせてもらったり、その振り返りをするきっかけをつくらせてもらえることというのは、本当に貴重な縁を頂けたことだと思っています。


なんと事前予約60名近く、当日約50名くらいの人で開催されることになりまして、いろいろと自分なりに好きなことを言わせてもらいましたが、概ねみんな好意的に受け止めて下さり、自分の人生を棚卸してみたいと思う方が半数以上いらっしゃるようでした。これもとても光栄なことでした。

今日のお話が、これからどんな人たちにどんな未来をつくるきっかけになるのかはわかりませんが、今日は本当に良い種を蒔いたなと思っています。

良い種まきの機会を頂けて本当に感謝したいです。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。