こういうときこそ感謝の意味を考える

昨日と今日と、たくさんの人が協力をしてくれたおかげで、庭の整備も家を浄める時間もしっかりと進めることが出来た。明らかに庭の明るさは変化してきていて、風の通りも変わってきていて、自分の中にも手ごたえを感じていることは間違いない。

それにも関わらず、自分の感情は違うことを示している。

自分に腹を立ててイライラしている。自分を情けなく思っている。これまでの自分の言動に対していろいろと考えて落ち込んでいる。口を開けば弱音しか出てこない。誰かの励ましを素直に受け取れない。ちょっとした他人のなんてことない言葉が気になって、気分が塞いだり、自分の情けなさをまた気にして落ち込んで黙り込む。こういう姿を見せるのは本当に嫌だが、隠しきれなくて、余計にいたたまれなくなる。

感情はこんなことばかり繰り返している。

解決する方法は知っているし、うまく自分の気持ちを散らすこと、紛らすことができる。でもテクニックとして、いつでも自分をうまくコントロールすることはできるからこそ、それをして安易に逃げれば変化はないとわかっているからこそ、ここは逃げることはできない。

その決断を支えてくれる人たちがいる。その情けなさも身勝手さも、それを受け止めることが、いま自分にも必要なことなんだって受け入れてくれる人さえいる。意味わからないくらいサポート体制は万全。

にもかかわらず、勝手に凹んでいる。

心当たりはある。本当に感謝すべきことに感謝せず、有難い、得難い、素晴らしいものに目を向けず、耳かを傾けず、自分に足りないものばかりを数えている。

あとどんだけ必要なんだ。
これ以上に何を望むというのか。

そうは言いながらも作業は着実にすすんでいく。多くの人にサポートされ、確実に未来のほうに歩いている。すでに未来はちゃんと明るくなることを確信していて、素晴らしい仲間に助けてもらえている。

感謝をすることは、いまあるもののありがたみにきづくこと。そして、あるものに感謝すること。

そこにないものは、もしもそれに出会えば興味を持たなくもないけど、まずはみのまわりの人に興味を持ち、貢献することだ。

恩返しをしたい。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。