どんくさいヤモリ

ここ数日、4センチくらいの小さなヤモリベビーが我が家でウロウロしていて、微妙に見えづらいところにいたので、どんなカワイイやつかなあと思っていたら、一昨日ひょっこりと顔を出してきました。

ちょっと器を用意して捕まえてみると、かわいい。爬虫類をかわいいなんて、思うわけがないんじゃないかと思っていましたが、思った以上に可愛いではないか。

ただ、いろいろと調べてみると、警戒心が強く、なかなか餌を食べない。特に小さなヤモリは、生きた虫しか食べないらしく、小さいのに生きた虫しか食べないとすると、なんとか小さくて捕まえづらい小さな虫を捕まえてやらねばなりません。

その辺にいた蛾を捕まえて、小さな器で虫とヤモリだけにしてあげましたが、一晩おいても食べる気配がありませんでした。もしかすると警戒して食べられないのかなあと思って諦めて、逃がしてやることにしました。


しかしあんまりかわいいので、捕まえたその日に、爬虫類用の水槽みたいな入れ物と、水場と、専用の土を買ってしまっていました。無駄に即決する癖があります。

この購入してしまった、水槽、水場、専用土だけが届いてしまったのですが、逃がしてしまったわけですから使い道がありません。もったいないことをしたような、いやしかし、ヤモリのことを思えば仕方ないことだよなあと思ったりして。


さて、諦めていた本日です。玄関のところで蜘蛛の巣に足を引っ掛けて、動きが鈍くなっているヤモリベビーを改めて見つけました。今回は前回よりも心なしか、警戒心が薄いような、なんとなく気楽に手に足を運んできたような気がしました。

うーん。せっかく家も土も水場も届いたわけで、できるだけ飼ってみるか、と思って、すべての準備物をセットして飼うことに決めました。まあいつまでできるかはわかりませんが、幸い、我が家の周りは虫を探そうと思えば1年分くらい余裕で見つけられるくらいの餌場であります。本気になればいくらでも餌を捕まえ、運んできてやろうと思います。

しかも、長生きすると寿命は10年くらいらしいです。10年も生きたとしたら、息子は成人して働き始めているくらいです。その頃には僕は49歳でして、そろそろ50歳の暮らしを考え始めている頃でしょう。


なんとなく、猫も犬も飼ったことがありますが、愛着が湧くと、別れに強い悲しみが伴うことをよく知っています。たくさん毛の生えた愛玩動物たちとの別れには、強い強い悲しみが伴い、今でも思い出せるくらいです。

愛着は執着にすぐ結びつき、人を苦しめる原因になります。だから、執着を生み出す対象を近くに置くことは苦しみを生み出す原因になると言えます。

自分の子どもが辛い目に遭うと悲しいのは、愛着があるからで、愛着の対象でない人がどれほど悲しい思いをしていても、関係性が希薄であれば悲しいきもちになりづらいのもまた人間の性質であろうと感じています。


さて、僕にヤモリくんが無事に育てられたとして、強い愛着と、別れの悲しみが伴うのかということに興味があります。きっとそこまで時間と労力をかけたからこその悲しみと辛さがあるんじゃないかなあと思います。

どこまで続くのかわかりませんが、生命を養うことに、ふとしたきっかけから取り組んでみようと考えております。さて、どうなることやら。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。