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【日本一周・完結編】〜旅に出よう、北海道の最果てまで〜

日本一周・完結編。

前編と同じく非常に読みやすく、”スッと入り込める“ようになってます。人生に悩んでるバイカーに染み込む内容に仕上げました。

また、とあるライダー様からは、
「分割でも日本一周を完結させたくなった。時間が欲しい…私の立場だと1番贅沢な悩みだと思いますが…自分のペースで一周頑張ろうと思いました」と、お言葉を頂いたほど。無料部分だけでも、楽しめる内容になっているので、ぜひご覧になってくださいね(^^)


【はじめに】

前作をお手にとって頂いたみなさま、誠にありがとうございます。

僕は日本一周を、胸を張ってやったと言えます。

極端な話をすると、日本一周は凄まじい人達と出会えた。

キャンプ場、飲食店、イオンモールといった場所、また、何かのついでに出会いがありました。


出会いの基礎であり、究極の形。

それが日本一周。


日本一周の場合、旅行ツアーのようにサポートはありません。

全て自分でやらなければなりません。

立ちはだかる壁も大きいとも言えるでしょう。

しかし、その壁を越えて初めて見る事ができる、自分がまだ見ていない景色は絶対に見るべきと感じました。

旅で人は変わります。

価値観が変わります。

想像してみてください。

今まで何も出来なかった自分が居るとして
今、自分が変わるって思える瞬間。
自分が何か出来る様になって行く瞬間。
今まで色んな事に躊躇していた自分が、挑戦する自分に変わる瞬間

見てみたくないですか?

弱気な人にありがちですが、「自分は完璧じゃない」とか「旅に向いていないんじゃないか」とか考えたり、心配する必要は全く無いです。

人生という旅を野球に例えるのであれば、3割の打率を誇る優秀な打者も居れば、草野球の素人も居ます。

あなたがまだ草野球の素人レベルだとしても、あきらめてはいけない。

一日中手にマメが出来る位振りまくってたらいつか、ヒットが打てる日が来るかもしれない。

空振り三振が屈辱となり、執念になり、場外ホームランを決める日が来るかもしれない。



未完成な自分でも、本気でその打席に立つ事が


大切なのではないでしょうか。


今、人生に関して悩みが多い方は、目の前に立ちふさがる壁が多く、そして辛い境遇に居る人とも言えます。

しかし、その壁の向こう側に、人より強く手を伸ばし、壁があるから強くなろうとも思えるんだと思います。

今目の前にある壁や困難は、他の人より強くなろうと思う「キッカケ」と捉えて欲しい。

例えば「今の俺では無理だ...」とあきらめた目標があるとしましょう。

その目標は、「自分には見合わない」と思っていただけで、それは自分に自信がないだけでタイミング次第では、もしかしたらやれたかもしれない。

色んなタイミングで足切りされる事は勿論あります。

しかし、強気に攻めて結果に繋げる事が出来たのなら。それで自分は満足出来るのか。

納得出来るのか。

出来る訳ないですよね。


いつでも【日本一周・完結編】に立ち返ってください。

さて、今作は【東北から北海道】


二編に分けては?と言われるほど濃密な出会いがありました。


さっそく日本一周のラストスパートに参りましょう!

それは、2023年5月中旬。

野花が咲き乱れる平原、白砂に覆われた海岸。毎日、朝日が昇り、夕日が沈み、夜空には無数の星が輝いていた。

それを見て楽しみ、感謝をささげる僕がいた。

宮城県で求めていたものに出会った


それは震災遺構 仙台市荒浜地区に立ち寄った日だった。人が多く集まるここでは、日本一周の看板を掛けてると、これまた声を掛けられた。ここでは、過去と戦う人、僕のように会社を辞めて旅に出る人、さまざまだった。

そんな飲食店の店内で、家族連れの施工管理を営む方と出会った。

ハハハ、そうかそうか。私も色々あったよ、と。

僕は旅に出る際、会社を辞めてしまった。そのときの心境は、上司に恵まれなかった思いと、情けなさがあった。それをその方に話した。

僕は何社か経験しましたが、

最後の会社は本当に自分の力のなさ、

屈辱で辞めてしまったんです。

でも、まだ諦めちゃいない。

自分の可能性に諦めてはいないんです。

僕の気持ちを察してか、その方は目先を変えた質問を投げかけた。

「K君、今の君にとって重要なことって、なんだか分かるか?」  

そう質問されて、答えを探した。僕は力なく顔を上げた。その顔からいつもの明るさはすっかり掻き消され、弱々しく悲愴だった。

「なんでしょうか。分かりません」  

その方は僕の気持ちが痛いほど分かってるようだった。まるで昔の自分を見ているかのようだった。

「君にとって重要なことは、『許し』を学ぶことだ」  

その声は温かさと、思いやりそのものだった。日本一周の学びを手伝いたいという気持ちがあふれていた。

「君が理解しているように、今回の件の原因は君にある。会社を辞めたのは君だからね。でもそれが理解できることは素晴らしいことなんだ。つまり、問題の原因が自分にあったと分かる人間はそんなに多くない。ほとんどの人は自分以外の誰かに責任を負わせて問題から逃げてしまう。それが楽に思えるからね。そして同じレベルにとどまってしまう。しかし、君は逃げずにその責任を負う勇気を持っている。私は君のような勇気のある人間と出会えてとても嬉しいよ」  


      それは愛に満ちた言葉だった

    彼はこんな自分も受け入れてくれたのだ

     僕の胸に熱いものが込み上げてきた

      心の中の最も乾いていた部分が

      豊かな水で潤されていくように



自然と何かがあふれてきた。

「なぁ、旅に出るって理由があるよね。でも、いいかい。問題の原因を理解したら次は許すんだ。ミスを犯してしまった自分を責め続けてはいけない。もう自分を許してあげようじゃないか。自分を許せる人間は他人を許せる。ミスをしてしまうような自分を受け入れることが、他人を受け入れることにもなるんだよ。それが人を、自分を愛するということだ。」  

自分は完全に許されていると感じた。心は彼の言葉に共鳴していった。


2022年、会社の闇に染まっていた。

でも今は違う、人の温もりが心の底まで染み込んできた。

人の愛につつまれているのを感じた。


思えば、僕はうまくできない自分自身を拒否し続けてきた。人に比べて、うまくできない時は自分を嫌悪し、他人より劣っている自分が許せなかった。それは相手への怒りや憎むことにつながっていた。彼の言葉はそうした心の表面を覆う恐怖心の殼を突き抜け、魂を震わせた。 彼は低いトーンで、深く、優しい言葉をもって続けた。

「今こそ愛に満ちた心が、どれほど力強いかを知る時だ。君は自分を十分には愛していなかった。愛が足りない心は弱々しい。とても他人を許す力はない。君はその弱さを隠すために、心に虚栄心の殼を作って固めていたんだ。本当の自分を知られるのを恐れながら、周りの人から優れた人物、重要な人物だと思われるような自分を作り上げていた。でも、それは自分の心をどんどん苦しめるだけだっただろう? 飾り立てれば飾り立てるほど、心は孤独になり満たされなくなっていくものだ。君の心が本当に必要だったのは、自分をよりよく見せようと鞭打つことではない。ありのままの自分を許すことだよ。無条件に存在を認め、自分を愛することだったんだ」  


その言葉を聞いて、涙があふれてきた。その涙は悲しさから来るものではなく、己の魂が震えているのだ。

本当に求めていたものに出会った瞬間だった。  


突然、自分の中にすべてに対する感謝の気持ちが湧き上がった。前作にも綴った、身をもって生き方を教えてくれた人達。深い愛情で育ててくれた親。未熟な自分に力を与えてくれる、成功者の彼がいた。




       人生に関わったすべての人

        そして自分という存在

      なんという幸せな瞬間なのだろう


君は人生で最も大切なものを学んだね
おめでとう

彼はそういって手を差し出した。僕は涙を拭いてからその手を握り返した。


生まれ変わったような気持ちだった。

「さあ、ご飯を食べよう」  

彼の息子も一緒にテーブルに着き、食事はとてもにぎやかで、家族を見る彼の眼差しはとても温かかった。料理が並べられ、宴は始まった。腹がギュ〜となって音を鳴らせた。

「ここは最高のお店なんだ」
「美味いでしょう。召し上がれ」
「いただきます!」  

こんなに美味しいご飯は食べたことがなかった。


荒浜地区では人に対する接し方を学んでいった。



日本一周は8ヶ月目に突入。

みやぎ東日本大震災津波伝承館へきた

東日本大震災。被災地のことは報道もされなくなり、現在どんな状況になっているのかが気にもなる。そもそも、影響の無かった名古屋では、全く実感が沸いてなかった。東北に来る機会もないし、実際に被災地の人たちに話を聞いた。  

津波復興祈念公園で話を聞かせてもらったシーン


仮設住宅では年配の方がほとんどで突然の訪問にも快く迎えてくれ、当時のことを話してもらえた。

・今はだいぶ復興が進んでいて、海近辺は新しく道路が出来ている。
・原発の影響で福島を出ていった人もいるが、復興の関係で転勤してくる人も多い。
・避難区域の解除は未だメドもたっていない。
・避難区域に行く場合は許可が必要。  

ここは石巻南浜津波復興祈念公園があるところだ。  

日本人として、どうしても見ておきたく、震災から11年経ってやっと機会が作れた。途中、かなり高台の羽黒山神社を途中参拝。道中アップダウンの激しい地形で海までの街並みを見れた。

内容としては、リアル過ぎて共感性の高過ぎる人は行かないほうがいいかもしれない、それほど胸が痛くなりました。自然からの恵みも多い地域だからこそ、自然への脅威も感じられる。

地元の方は震災当時、車で1時間のところを 12時間かけて避難したらしい。その間、食事も取れず、本当に辛かったと話してくれた。

こうやって、あなたが訪ねてくれて嬉しいよ。

私たちだけだと気持ちが落ち込んでしまう。

良かったら日本一周の話を聞かせてね。

そこで元気付けられたらと思い、僕もたくさんの話をさせてもらった。名古屋から旅をして来たこと、出会った人たちのこと。

でも、なぜか話すと同時に泣きそうになっていた。 

その時は分からなかった。

元気付けようとしたのに、歓迎されてることに気付いた。

こちらが元気をもらっていたのだ。


「わたしゃ命があっただけでありがたいよ。本当に」  


その言葉に一層重みを増していった。



「3.11の爪痕」  

この地域はどこも被害が多く、心がえぐられる。感情にたたみかけてきた。

失われた多くの命や生活、災害の規模、当時の状況など展示されていた。

当時の映像はどこの伝承館でも上映されるところが多い。辛いけど、それが大切な事だと思い知らされた。

清掃員の方も被災されてて、話しかけてみると壮絶なエピソード。ぜひ話しかけてあげて。

東北に来て一番ショックだったことが「被災地支援という名目で来たのに、お土産を買って、帰る時には捨てる人がいる」 ということだった。  

ショックだった。  
ここは、一面焼け野原のようだった。  

東日本大震災の記憶として、この地区は津波の被害により、多くの犠牲者を出した場所。各施設をゆっくり周りながら震災に想いをはせるのも良いだろう。

そこで、地元のおじさんと出会った。

「兄ちゃん!旅人か?」
「あ、そうです!」  

おじさんは地元の人で、被災地の現状をいろいろと話してくれた。

「津波が土を持っていってしまってな。地盤が下がったんだ。だから海よりも土地が低くなってしまって新たに家を建てられないんだよ。その上に原発の土壌汚染で土を回収してるけど、この行き先がなくてそこら中に土嚢があるだろ?あれ全部そうだ」  

確かに至るところに大きな土嚢が路上にあった。   

「これ、全部そうなのか…」


僕はおじさんに同行させてもらい、また走りだした。  

かつてこの場所は家があった住宅街。あの日で完全に消せられた。畑になっててすごく悲しくて寂しい。辛い…
一度でも良いから行きたかった場所で、やっと行けた。

ここは、さっと見るだけなら一時間くらい。震災の記憶と教訓を伝え継ぐ施設として、石巻を訪れたら是非寄りたい場所。

印象的だったのは、おじさんの「あの時、早く逃げろと言ったのは間違いだった。一緒に逃げるべきだった」という言葉。自分だけ生き残った切なさと後悔を感じる、地元民の貴重なメッセージがそこにはあった。

おじさんは別れ際、「ありがとうな」 と言ってくれた。僕はここで「生き様」について考えるようになった。人間はいつかは死ぬ。  
それはどうしようもない。  

僕自身この旅で何度か危険な状態にはなったけど、被災地のそれとはまた違う。このいろんな想いが渦巻いている場所に来て、現地の人と一緒に想いを馳せた。  

 

旅はそうやって想いと想いを繋いで行く。


「僕は旅をしているのではなく、旅をさせてもらっている」


おじさんの「ありがとう」を機に、


僕は旅に対する考えが変わっていった。

明日のことを思い悩む必要はない。それはまだ来ていない。そんなことより、今日に意識を向けよう。それは貴重な贈り物だからと。


1076人目の家族になった日

「君、日本一周してるん?良かったらこれ飲むかい?」

奇跡の一本松で佇んでいると、小原さんという男性が缶コーヒーをくれた。

小原さんは、色んな地域に行っては震災に関する施設を訪れていたが、1箇所では学びきれないと言っていた。自分はまだ震災のことを全く分かっていなかった。

災害の恐ろしさ、災害時に現れる人間の怖い一面、生き残ったものの明日が見えない暗闇の生活、一人では抱えきれないほどの当時の話が詰まっていた。

実はこういった差し入れをくれる人は 1週間で1人ほどのペースでいた。もちろんとても有り難いし、嬉しかった。  

ただ、この人はいつもと少し違った。

「実はオレ、旅人を泊めてんだ。」 

おおっ!怪しい。  

その日は野宿スポットを探すのもきつくて迷った。しかし、いきなり「じゃあ僕も良いですか」なんて言えない。  

すると小原さんは、それをやりだした理由を話してくれた。正直それは、とても作り話には聞こえなかった。


いきなり泊まれとは言わない、


ただ、名古屋から走って疲れただろう。


ゆっくりしてってくれや。

直感を信じることにした。
この人は、恐らく沖縄と同じパターンだ。
きっと大丈夫だと。

「俺は今まで 1075人の旅人や支援者を泊めてきたんだ。君で1076人目だ。」  

その規格外の数字を全く信じられなかった。  

しかし、小原さんの家に着いて、それは覆された。

なんと、今までの震災写真と手紙が山ほどあったのだ。  

どれも「ありがとう」のメッセージで溢れていた。  
自分が生きていることの奇跡や、帰る家がある有り難さを感じずにはいられなかった。言葉を一つの資料として大切にされており、彼の放つ言葉は僕の心にストレートに突き刺さったのだった。

Kくん、聞いてくれ、
俺は、震災で息子を亡くした。
妻もそれが原因で後を追うように亡くなってしまった。だから、来てくれた子は本当の家族のように泊めているんだ。それから困ってる子は他人とは思えないんだよ。

「だから、君は1076人目の家族だ。大していい所ではない。でも、ここが自分の家だと思ってくれたら嬉しい」  

言葉を失った。

しかし、本当にさっき会った人なのか。どこか実家のような、気を遣うようなこともなかった。

小原さんはこう言った。

たまにいる

目が似てる子が


その晩は、小原さんは、かつてここに人の生活があったことを丁寧に話をしてくれた。涙がこぼれた。津波の高さ。その高さ、考えられない。言葉が見つからなかった。

今まで泊めた旅人の笑い話や、お互いの生い立ちの話なんかで盛り上がった。

「なんなら暫くゆっくりしたら良い」  

一泊だけの予定だったので、これからのスケジュールで決めようと思い、その日は疲れもあってか、ゆっくりと眠りについた。

青空の下で泣いた日

結局僕は連泊させて貰うことになった。  
その日は小原さんと一緒にツーリング。地元を案内してくれた。  

二人でたくさん笑って、夕方からご飯を共にした。

津波がなければあの立地と風景の素晴らしさはどれだけのものかと、やり切れない気持ちになっていると、それを察して小原さんが切り出した。

「いやー、久しぶりだ。飯が美味いな。」  

とにかく充実してるし、何泊でもしたかった。しかし、その気持ちを押し殺して「明日には発つ」と伝えた

小原さん「もっとゆっくりしてけ」と言って改まった。ここで小原さんは僕にいろんなことを伝えてくれた。

「Kくん、君とは少しの間だったけど、君は本当に良い子だ。今まで 1,000人以上の旅人を見てきたけど、君の目は本当に澄んでて綺麗だ。」

「話すときには目もそらさないし、きっと君は人の上に立つ人間になると思う。」

「『指導』とは同じ読みで『始動』とも言える。これは自分がまず『動き始める』ってことなんだ。もし人の上に立つ時が来たらこの言葉を思い出して欲しい」

と。

僕は黙ってそれを聞いていた。  
そして、翌日を迎えた。  

小原さんに途中まで送ってもらい、ついに別れることに。

東日本大震災遺構 旧女川交番

2011年3月11日に起きた、東日本大震災の津波により倒された女川交番。その後、復興が進み女川交番周辺の土地はかさ上げされたとか。

最後小原さんと握手をするとき、
押し切るかのように、、聞こえた。


「君に会えて良かった」

お、小原さん!今から人と会うんでしょ!?
と言いたかったが、僕も、、涙を堪えるのに必死だった。

なにも言えなかった。  


強く握った小原さんの手は大きく温かかった。  


去っていく小原さんを見えなくなるまで手を降った。  


僕はその後、誰もいない草原で泣いた。

もう周りなんてどうでも良かった。

前を向けないほど泣いた。

東日本大地震の跡地では、「人を信じる」ということを教わった。かけがえのない瞬間だった。




      苦しみのどん底で見上げる月は



      いつも以上に美しく輝いていた



    まるで、自分をあざけり笑うかのように



        しかし、そうではない



     月がいつも以上に輝いているのは、



   くじけぬように励ましてくれているからだった



空はどこまでも続く。

この大空を羽ばたこう。

僕は北海道に向かった。

北海道は初めてだった


【2023年5月〜9月の期間13,000km走破した】



第11章 北海道【道南】へ

2023年5月の下旬になろうとしてた。

ここで日本一周9ヶ月目となり、僕は青森県を抜け、大間から函館に渡った。

「またここに来れたんだなぁ。」

暑すぎて眠れなかった夜もあったし、足を痛めて岩木山に登った日もあった。雨に打たれて荷物が大惨事になった日もあった。バッグの中にカレー、シャンプーをぶちまけた日もあったっけ。




そんな困難をどうにかして、不格好ながら乗り越えた時…。

いま最高に人生を「旅してんだ!!」と思える自分がいた。  


今日まで全力で走り続けてきた。


その理由は、

楽しい思い出よりも何倍に、辛い日々の方が話のネタになったりするから。そして、いつの間にか毎日がワクワクの連続になっている。

これは僕が旅をするから味わえること? 旅をしていないと味わえないこと?いや違う、別に旅をしていなくたって良い。ただ、世の中の人は失敗を恐れすぎている。

「お金がなくなったらどうしよう」
「夜寝る場所がなかったら?」
「明日のご飯は?」  

起きるかわからない不安を心配しながら生きているだけ。もしその問題に直面したとしても、きっと絶対なんとかする。その時に失敗してしまうこともあるかもしれない。けれど、失敗しないと前に進むことはできない。失敗は自分の糧となる。絶対に。


そんな失敗の積み重ねが大きな成果となって

いつの日か返って来る。

これは失敗を乗り越えるたびに、ヒシヒシと感じていた。

さて、この北海道は旅人の聖地と言われていて、とにかく楽しみだった。福島で出会った日本一周ヤマトが「北海道を2周するなんて!」と言っていたが、北海道についたのは 5月下旬。さすがに朝晩は寒かった。しかし僕は、後悔なんてなかった。

「誰かから言われたことをやるのではなく、自分で選んで失敗したことには何の後悔も生まれない」 僕はここまでの旅を通して学んで来たのだった。

北海道上陸

北海道ツーリングに行くなら断言したい。

絶対に行ったほうがいい。

人生の豊かさを一段階上に登らせてくれる体験になるから。

2023年の5月下旬〜8月まで、約3ヶ月滞在。あの記憶を思い出すだけで、ワクワクした気持ちが今でも蘇ってきます。

最初は不安な気持ちもあった。

ライダーハウス使ったことないし・・・
宿泊場所見つかるかな・・・
ガソリンスタンドが少ないらしいからガス欠が心配。気温が寒かったらどうしよう

でも行って思うことは、そんなことは考えすぎだったということです。

北海道は、ライダーにとても優しいですし、北海道で出会う仲間たちは、きっと頼りになります。バイクが好き、ツーリングが好き、自由になりたい。

北海道はそんな願いを叶えてくれました。


函館ヒューマンヒストリー

いきなりフェリー乗り場で声を掛けられた。

こんにちは!
バイクの人?
となりいい?
いやーバイクかあ
天気のいい日は最高だろ?
えっ?
は、はい
どこから来たん?
名古屋です!
おー!通って来たわー
どこからですか?
島根からずっと下道で来るんよ
車ですか?
移動も宿泊も車やでえ。おかげでホラ、右腕だけ異様に日焼けしている
しばらく北海道をウロウロするでぇ。ワシ、田山って言うもんや。見かけたら声かけてな!


爽やかな田山さんのおかげで、清々しい北海道が始まった。

北海道を楽しむ実感がわいて来た。

残念ながらその後、田山さんに再会する事は無かったけど···

ライダーハウス苫小牧の「タコちゃん」

たしかこの辺にライダーハウスがあるはずなんだけど...とGoogleマップを見ながら、しばらくウロウロしてそれらしき建物に辿り着いた。

ガレージに看板がある

こ、ここかな?
ちがうかな?

オーナーたこちゃんにこう言われる

お疲れさま!
駐車場にバイク入れなよー!

いやいや!君は日本一周の中でもぶっ飛んでるイメージしかないから楽しみに待ってたんだぞ!
いやー僕もです
そうかそうか、今日はドコから?
函館から上陸して来ました!
ちなみにライダーハウス初めて?
ウチは1泊1500円でフトンはなし
食事は買うか自炊してね
はい
寝泊まりは1階の大部屋でどうぞ
あとは細かい決まりとか無いから楽しくやってよ
初めての環境で緊張するなぁ
よろしくお願いします
よろしくー♪

たこちゃんは、ツイッターでアスファルトで寝るなどの動向をチェックされてたようで、

「うちの庭ならタダでええぞ!」など言ってくれたり、「北海道」と「バイク」の共通点もあるおかげで、打ち解けたフォロワーさんでもある。

北海道の師匠タコちゃんは、何も知らないボクに北海道のおすすめスポットを沢山教えてくれた。

ありがたい!
忘れないウチにGoogleマップへ書きこむ。

夜になると座談会になった
話題はやはり日本一周とバイク
ついさっき知り合ったばかりなのに….

おー!わははは!

旅人の世界は面白いなぁ

ボクは感心すると同時にまったく新しい世界に
飛び込んだ実感をしみじみ噛みしめていた

そういえば、Kくん!北海道は初だよね?
はい!そうです
全部ライダーハウスで回るの?
オール野宿しようと思ってます
テントもってるけど、あまり使いません
そういや、こないだ会った人も初の北海道でさ
テントもロクに張れなくて...
見てらんなかったなぁ。そのへん大丈夫?
毎日アスファルトで寝るので大丈夫です!
マジ?そんな変なヤツ北海道でも中々いないよ笑
じゃあさ、北海道ツーリングで一番怖い生き物って知ってる?
クマ!!! ぶっちぎりで!
言うと思った。エゾシカだよ。100kgを超える奴
えっ!?シカ?
エゾシカを普通のシカと一緒にしちゃダメ!
アイツらやたらデカいからまともにぶつかったらバイクなんか一発で大破だ!
しかも、道路への飛び出しは日常茶飯事!
よけられない時は自分からコケろ!
被害が少なくて済むぞ!!!
スタントマンのようにキレイにな!
マジか、、エゾシカ恐ろしい
とっさにコケれるライダーなんているんすか?

宴会もお開きになり大部屋のザコ寝へ。初めてのライダーハウスは実に面白かった。

翌朝、買い物にいったのか、目が覚めるとガランっとしていた。キツネに化かされた気分だった
これが一期一会というやつか。

走ってこそのライダーハウス

またひとつ経験値が上がったけど、

ちょっとさみしい

Kくーん
ライダーハウスで荷造りをしていたらタコちゃんに呼ばれた

おーいたいた。
ところで今日はどうするの?いい時間だけど
じゃあ午後は小樽に行きます
おー!小樽行くか。ヨーロッパのように美しいし、洋菓子のルタオもおすすめだよ

さっそく出発するが、このとき失態を犯していた。なんとスマホが充電されていなかった。まぁなんとかなると、勘でやろうとする僕がいた。


さっそく迷う

うーむ、まあこっちからでも行けるよね
あーさっきのトコ左だったのか。ちょっとくらい遠まわりしてもいいか。

初めての北海道あるある。間違っても引き返さない。しかし、北海道の「ちょっと」 は内地とはスケールが違う。平気で20~30㎞のロスになったりする。

あれ?今のトコ曲がるんだったかな?まあいいや。

などと、繰り返していると...


まさかのアクシデント

パンクした。。

通りがかりのお爺さんにバイク屋があるか聞いてみた。

大丈夫!5分くらい行った先にあるよ!
よかった、商店のお爺ちゃんにお礼を言って立ち去ろうとすると


「ごめん。やっぱ先長いからこれでも飲んでって!」

えっ?近いんじゃ・・・

バイク押していくのよね?忘れてた!

1時間はかかるんじゃったわい

マジか、ひたすらバイクを押す
北海道らしい直線が精神的にこたえるとライダーが声をかけてくれた

なにかトラブルですか?

恥ずかしながらただのパンクであると説明

今日はドコまで?
小樽です
じゃあ近いから何とかなるね
頑張って!

やさしい人だ
そう思っていると...次なるどうしたの?
次から次へと声をかけられる

大丈夫?

お!また
直そうとしてくれたものの失敗に終ったが、中には自分の車載工具を取り出しす人まで現れたり。

そして、ドルルルルララァ!!

イカついハーレー軍団に囲まれる

オウオウ!どしたー
おお!ビビった...

そして、1時間ほど進むもバイク屋にはたどり着けず。これはヤバいぞ・・・・

なんとかバイク屋に到達

そこから走って夜にはキャンプ場に到着した

すると、いきなり大声で叫ばれた。


おつかれー!!

よくここまで来た!

いよっ!気合いのパンクマン!!

なんでみんなが知ってるん?

あーっ!最初に声かけてくれた人!
すれ違ったねー。大変だったみたいだね

バイクを押してた1時間の間に声をかけてくれたライダーは7人だ

むちゃくちゃ大変でしたよー旅人の優しさと、自分の間抜けさを思い知った1日でしたよ、、


わはははは。君いいねー

雪月花廊というライダーハウスに泊まる

その後、羊蹄山に登りたいというツイートをすると、

関西の日本一周ライダーのカズという青年に出会った。彼は昨年バイクで関西を出発し、僕と同じくアスファルトで寝るような同族だった。


日本はドコが一番良かった?と聞いてみた

んー!いっぱいあるけど沖縄の西表島にあるキャンプ場は最高だったなぁ
正月にビーチで泡盛とかさ
泡盛片手に飲んだくれて冬なのに、あったかい!まさに楽園だったよ
でもやっぱり北海道が一番好きだね
行きたいと思ってたから来たなぁ〜って思うよ

そして羊蹄山トレッキング

比羅夫の登山口で神戸のカズと合流。
登山図では急登で大変な登りになるかと思ったが、アプローチから登山道全般、整備されていること、危険な個所がないこと、直登ではなく、思いのほか負担が少なかった。

しかしながら、カズにめちゃくちゃ煽られる。

Kさん思ったより登るの遅くない?

僕が本気出したら絶対ついてこれないですよ!

なんだってーーーー!?
カチンと来た!

(言ったな?その言葉、必ず後悔させてやるからな!!)
と言わんばかりに登りまくる!

この日を境にカズが登っていない山を片っ端から登った。謂わば、単なる負けず嫌いである。

それでも、カズの体力は半端じゃなかった。正直今となっても勝てるか?とは思うが、僕なら勝ちに行くだろう。そんな男がKだとお見知りを頂ければ幸いだ。

そして、やっとこさ高低差は1600m、しっかり疲れた。

他の登山者に頂上へ、お互いの無事を賞賛。
左の人、60超えてトレッキングランやる変態だった。下りでバトルして勝ったw

頂上では、ガスっており眺望は望めなかったけど、一瞬ガスが引いた際、麓が見えた。


下山後、17時頃には頂上のガスはなくなっているようで。。しかし、ふもとから眺める羊蹄山はまさに蝦夷富士だった。

後に、北海道百名山を8座登頂することになる。
カズが煽ってくれなければ、ここまでやらなかっただろう。カズに感謝。

第12章 東北ねぶた祭りへ

2023年7月下旬になっていた。
ねぶた祭りが8/2に控えており、日本一周ライダーはみんな行く!と話題になっていた。もちろん、僕もその一人だった。

カズにひと足先に青森へ行くことを伝えると、数日してからカズも行くとのこと。

北海道の洞爺湖を経て、函館へたどり着き
再度青森を目指す

ねぶた祭に来てみると、期間限定で旅人村(サマーキャンプ場)が開設され、毎年全国からたくさんの旅人が来ていた。

テント村内は基本的に自転車の旅人・バイクの旅人・ヒッチハイクの旅人・有名ライダーハウスのチーム・・・
など、旅のスタイルごとに自然とコミュニティが形成されていた。

前日は夜遅くキャンプ場に着いたせいで誰とも話せなかったが、朝起きて日本一周バイク村のタープで朝ごはんを食べながら、同じく旅をしているみなさんとゆっくりお話することができました。
インスタやTwitterでフォローしていた人達がたくさんいて、不思議な感覚、、!

近所のスーパーで、ねぶたで使う足袋と草履、衣装を購入。お祭りの期間中は、どこでもねぶたの衣装が売っていた。

着付けは、まわりのテントの常連さんたちに教えてもらい、鈴もいただきました。祭りに参加する「跳人(ハネト)」は衣装にたくさん鈴をつけて、跳ねる度に音がなることに。

「跳ねて落ちた鈴を拾うと厄祓いになる、いい事がある」といわれているらしく、沿道で見ている観客は、跳人の落とす鈴を欲しがるのだとか。

実際にたくさんの子どもたちが「鈴ちょうだーい!!」と、大声で手を振っていて、我々ハネトが踊りの合間に鈴を渡しにいき、ほっこりしました。

ミーティング&出陣式

ハネトとして参加する人たちを受け入れてくれるのは青森板金工業組合です。

通常は主に地元の既存企業など参加する団体が定められているところ、一般参加を受け入れてくれる企業があるおかげで全国にねぶた祭りの虜になる旅人が絶えません。

家族で毎年この板金のハネトとして参加しに来るという

常連も旅人村にはたくさん!

名物バイクパレード&自転車のお見送り

ミーティングが終わると、バイクの旅人は全員で隊列を組んで会場まで移動します。毎年恒例だという、ねぶた衣装を着てのバイクパレード!!
これがやりたかった!

先にスタートした自転車組が、中間地点の橋の上で自転車を掲げてお見送りしてくれるというのが伝統のようで、ねぶた期間中この移動時間になると交通整理も入ってくれます。胸が熱くなる、ワクワクする光景でした!

会場に着いていよいよ初めてのねぶた祭!
跳び方も知らないまま本番会場へ誘われるのですが、そんなのどうでもよくなるくらいとにかく熱気がすごかったです。

この日はハネトの熱い盛り上がりを団体ごとに審査される日らしく、全員正装として頭に花笠を被り暑くて暑くてたまらない中なんとか外に逃げることもなく2時間跳ね終わりました。

ねぶた祭りは20以上の企業や学校、団体が参加していて、


毎年審査でねぶたに順位がつき、


上位のねぶたは最終日に船の上に乗せて海上運行。


なんて大規模なお祭りなんだ・・・


バイクに戻る頃には足が棒でした・・・
乗って帰るのもしんどかったです。

そのあとは、日本一周のみんなで温泉。
日本一周バイク村で出来た仲間たちと温泉に行き、酒を飲み、目が覚めるとラッセーラと叫びながら跳ねる・・・そんな楽しい6日間の始まりです。

祭り最終日

いよいよ6日間のねぶた祭りのフィナーレ!
最後は審査で選ばれた上位5つのねぶたが夜の海をぐるぐるまわりながら花火があがります。


屋台もたくさん出ていて、これだけで地方の大きな花火大会と規模も同じ。
これが長い長いお祭りの最後の演出に過ぎないだなんて、お祭りにかける熱意がはんぱない!!

海上に浮かんでいるねぶたと花火の共演は大迫力でした。

昼ねぶたを終えてもまだ元気な旅人村のみんなで屋台でごはんを買って食べたり、花火を寝転がって眺めたり、、
こころから、青春してました・・・

テント村に戻ると最後の宴会です。

明日は午前中のうちに撤収し、

このサマーキャンプ場は閉鎖となります。なんだか寂しいね。

期間限定サマーキャンプ場閉鎖の日。
続々と仲間たちが出発していきます。

僕が入っていたコミュニティは、バイク日本一周をしている人が集まっていた大和田村。
最後に記念撮影をし、一人一人熱いお見送りをします。

僕はこのまま青森港から北海道函館へと渡るべく予約をしていたのですが、同じようにこの後北海道へ渡る旅人が多く、フェリーは見知ったバイクと顔だらけでした。

【真の祭りはここから】

このとき京都の日本一周配達員のマリオさんと意気投合していた。そして、マリオさんのお連れさんがこんなことを口にした。

「ここら辺の女をナンパして引っ掛けようぜ」
「おお〜良いじゃん」
「うん、だから北海道へいこう!」
「ええやん!ええやん!三人で暴れよう!!」  
「もう良いか!じゃあ行こう!駅前に!」


と、もう野郎ノリである。

僕たちはそんな流れで、ナンパを始めていた。女性は全然とまってくれない。そもそも、声掛けるのは一人でもハードルが高い。それなのに今回は三人もいるので、本当に止まってくれるのは稀だ。

もし自分が逆の立場だったとしても、初めて声掛けるには勇気がいるよなぁと思う。それでも僕らはなんとか、何人かと仲良くなることができた。

あなたは見知らぬ人に声掛けたことがあるだろうか?ナンパは人生で一度はやってみてもいいことだ。なぜなら、 100パーセント相手次第だからだ。人を頼ること、人にお世話になること、人に頭を下げること、それは人生を生きる上でとても重要なスキルだ。

マリオさん鼻の下伸びてるよ。ここからナニするの?w
一見楽しそうに見えるナンパだが、

実際はプライドを捨てないとできないことでもある。


これを学べたことは今後どんな場面でも活きてくる。またナンパをすると、本当に多くの出会いに恵まれる。そんな新たな出会いは非常に楽しかった。そして、何より三人の絆が深まったことも良かった。

おかげで良い仲間となり、旅が終わった今でもハロウィンパーティをするほどの仲になりました。

日本一周では、このねぶた祭りをきっかけに、さらに輝かしい毎日となっていくのです。あの日、僕が旅に出てから上位に入るほどの、素晴らしい期間でした。

ここ3年、ねぶた祭は開催されていません。
人々が密集し熱気に包まれるこの会場の様子、今では信じられない光景でしょう。

僕が日本一周中に絶対に行っとけ!とアドバイスするなら、ねぶたお祭りをあげます。

第13章 北海道【道北】

再び北海道へ。今シーズン2回目となる。

青森午前2時発で函館へ向かうフェリーの中。函館まであと少しだが、1時間前に目が覚めたので、ちょっと外の様子を見に行くことにした。

下船まで、少し横になり目を閉じた。

間近になり、館内放送で目が覚める。
危なっ、寝過ごすところだった。
フェリーは函館湾に入り、間もなく着岸。

ねぶた祭りで仲良くなったマリオさん達。

再び、北海道にバイクで来れた。

国道5号を進み、長万部からは高速利用時と同じルートを進む。 所要時間は約4時間35分。 途中、国道229号は雷電海岸と呼ばれる日本海に沿って走るルートで、断崖絶壁の荒々しい海岸線が続いていく様子を眺めながら快適なシーサードドライブを楽しみ、小樽に到着した。

2回目の北海道ルートは、小樽からオロロンラインで北上し、稚内市へ。

稚内市のライダーハウスみどり湯

ライダーハウスみどり湯に到着すると、あれ?見たことあるバイクが!日本一周のフォロワーさん!

「久しぶりー!!まさかまた会うなんて」
「明日はどこまで行くんですか?」
「利尻、礼文まで行きます」
相手「僕も利尻いくんですよ」

―中略―
「え!なんなら一緒に行きます?」

そして、みどり湯でチェックインを済ました。

飲食はあっちね。自炊も出来るよ
お世話になります

ずいぶん年季の入った建物だ
他のライダーもいたので話してみる

こんばんは
あ、こんばんは
なんかスゴい空間ですね
ああ、冬場は年越し宗谷岬もやるんだよ
なるほど!北国ならではの空間だなぁ
自炊のできる建物では10人ほどがくつろいでいた

そのうち半分がリピーターだった。みんなオジサン。

今までのライダーハウスとは違う空気だ
最北端だからかな?
YouTuberが来ることもあるらしい・・・・

おい兄ちゃん!どっから来たんだ?
名古屋です
おーっ!オレは去年まで名古屋に住んでたぞ
ホントに!?!?!なんでまたこんなに遠くへ来たんですか?
兄ちゃんと一緒だよ!北海道が好きだからさ
ずっと北海道の田舎に住みたくてな
丁度北海道でコンブの仕事があったから移住したんだ
朝から晩まで泥まみれで働いてさ
冬は死ぬほど寒いけど最高だぞ!
なんかネガティブな情報しかないですけど・・・最高?
ホントだな!
まぁアレだ「生きてる」って感じだ!
どうだ!安っぽいセリフだろ!ワハハ

笑ってまったw
さらに

そっちのゼファーの兄ちゃんはどっから来た!
がははは!

おもしろっw

ボクにとって最北端は非現実すぎて、

どこか、おとぎ話の世界を旅しているような気分だったが、

このオジさんの存在はリアルそのものだった

北海道が楽しくなってきた

そんなことをしてると、

あんたら!ホタテ持ってきたぞー

おお!ライダーハウスで食べ物まで頂いてしまった。

最北端のライハってことは本来は町おこしの一環なんじゃないだろうか?と思ったり、無料キャンプ場など他にもたくさんあり、国内でココまで貧乏旅行に優しい土地って他にあるのかと思った。
ライダーみんなで松山千春をシャウトし、最北の夜を楽しんだ。

日本最北端・宗谷岬へ

翌日、宗谷岬を目指して出発した。

宗谷岬そろそろかな?と思いながら走っていると、バイクがたくさん並んでいる広場があった。

なんかのイベントかな?
楽しそうだ寄っていこう
様子を見に行ってみると・・・宗谷岬!!


間宮林蔵の像、日本最北端の地。

通りすぎちゃったよ、、なんという岬感の無さ!
ただのカーブ?

宗谷岬は、そのあっけなさから北海道「三大がっかり名所」のひとつとして数えられることがあるんだとか。でも、僕は普通に感動した。

宗谷岬に到着

日本最北端の地にようやく到着。

やっとバイクで来れた!
最北端の碑で写真を撮る人達がそこそこいたので、自分も列に並んだ。

大事なのはプロセスじゃない。結果だ。
ついにたどり着いたぞ

日本最南端のTシャツきて、日本最北端に立つw

あっ!!
また日本一周の人!?
会うの何回目ですかね?
4回目かな?見なれたバイクで気づいたよ
今日も天気がいいからカラフトがよく見えてるね
カラフト!?
日本史にちょいちょい出てくるあの!?
うん。
ドコに見えるんですか?おしえて下さい
見晴らしがいい丘の上に行こう
はい!

少し登って

宗谷岬公園

あの遠くにうっすら見えてるのが樺太だよ
全長948km、 総面積で北海道本島に匹敵する巨大な島
宗谷岬からの距離は42km
おお!あれが間宮林蔵が探検した島か
江戸時代によくあんなトコまで行ったもんだ
そろそろ出発するよ。じゃあお先!
ありがとうございます!

今回も名前を聞きそびれた・・・
次に会ったら聞こう

近くのクッチャロ湖
稚内市の防波堤ドーム
稚内駅
ノシャップ岬
オロロンライン

またどこかで会うだろうと思い、気軽に別れたのが最後、

その方に会う事はなかった。

宗谷岬 2023年8月の出来事だった。


第14章 北海道【道東】

紋別市のカニのオブジェ
オホーツク海
西興部町のゲストハウス、ガコッペ
興部の道の駅


命さえあれば網走

ガタッ!!!!
ガガガガ!!

網走〜屈斜路湖を走ってるともの凄い破裂音が聞こえてきた。慌ててバイクを降りて確認すると、タイヤに鉄の破片が突き刺さってバーストしてしまった、、

しかも、ここは圏外。マンガのように、旅がジ・エンドになって見えた。一生忘れられないほどの焦り。

「僕の旅は、ここで終わりか…」

慌てて付近を走ってみたけれど、そこは圏外の山奥。こんな中で見つかるわけのないバイク屋。

さあ、どうする、、、

一瞬でも道路状況に油断してしまった自分が情けなくて、悔しくて、もう、涙も出ないほどに落ち込みました。これでもう終了なのか、、とも考えました。

まだ北海道一周もしてないのに、僕の旅はここで終わりか…。

でも、しょげている場合じゃない
とりあえず、バイク屋に行かなきゃどうにもならない

僕は前日に宿泊していたキャンプ場に向かうことにした。3時間も山奥を歩いてキャンプ場に到着。凹んだままキャンプ場についた僕を迎えてくれたのは、なんと、旅の途中で出逢った旅人たちでした。

彼らとの再会は偶然でしたが、温かい言葉をかけてもらい、状況と気持ちを分かってくれる人たちがいてホッとしました。

差し伸べられた手に、温められた心、何もない僕に、旅人だけでなく、キャンプ場のスタッフが固定電話を貸してくれたり、バイク屋を探してくれたり…。

仲間たちから差し伸べられた手は、僕の心を慰め励ましてくれたのです。本当に心配して助けてくれました。

レッカー手配までやってくれたり、手伝ってくれた売店のおじさん。

帰る場所があった、支えてくれる、そんな仲間を改めて大切に思いました。北海道を含めツイッターにいるフォロワーさんも、心配して連絡をくれたり、LINEをくれたりして、また励まされました。

「大変でしたね」って言ってくれたバイク屋の人

思わず、「はい、大変だったんです!」と言ってしまったのですが、斜里のバイク店主の何気ない一言も、温かかったなと思います。

「なるべく早く修理できるようにしますね」という言葉、

どれだけ頼もしく感じたことか知れません。

そういうすべての状況が温かくて、人が優しくて。その時、ふと思ったんです。

自分を支えているのは物でも何でもない、
人なんだと。

身一つになっても、失わないもの圏外のスマホも、壊れたバイクも、あんなに出発前に名古屋で準備して持ってきた物は、たった一度の出来事でダメになってしまった。でも、身一つになっても失わないものがありました。

それは、当たり前のようにそこにいた旅人、仲間、

周りにいる人たちとの繋がりでした。
その後、網走監獄へ

みんな温かい。とにかく温かい。特に仲間には心配をかけて、温かさを感じる反面、申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、一人じゃないんだ。心配してくれている。愛されている、そう感じました。

網走駅

「命さえあれば、僕は旅を続けられる」

諦めるより、旅を続ける僕がいた。


知床の未亡人

知床羅臼の海辺にある相泊温泉と、瀬石温泉を満喫しにきた。
他にも利用者さんがいて挨拶する。

その温泉では、実はね、家族と死別を経験して心を閉ざしてしまった、ハハハ。と言われてびっくりした。

風呂を出てから、海辺で話を聞いてみる。

自分が経験することで、リアルに気持ちわかるので、正直なんと言葉をかけていいのやら。寄り添いで聞くことにした。すると、よくよく話をしていたら、亡くなった主人の写真なの・・・と。そこから、その人は旦那様より好きな人はあれから現れることなく、

今でもやっぱり主人が大好きなのよー、と。

そして、「だからね、早く天国に行きたいの」と。


今まで死別を経験しなかった自分だったら、

「天国に行きたいの、なんて言わないでくださいよ」

と言ってたかもしれない

けど「わかるな、僕も一緒だな」と思って聞いた。

「でもねー天国に行ってもさ、主人は私のこと探せないかも」
「何でですか?」
「だって、こんなおばあちゃんになったからさ、こんなシワシワの顔の人知らない」

羅臼から見える国後島

なんとも微笑ましい話だろう。僕も家族に会いたいなって思うことはあったけれど、天国に行ったらのことは考えもしなかった。それと、ひたすらもう死にたいって思った時にふと思ったのは「自殺したら天国では会えないな」と思ったりもしたけど、

僕が天国に行ったとき、家族はどんな反応をするのか?

考えたことはなかった。

気が付いてもらえなかったらショックだな。死別を経験した話は意外にもたくさん聞く機会があった。聞けば聞くほど、捉え方はいろいろ。

羅臼岳

死別をして何年かが過ぎたら、思い出として受け止めている人もいたり、新しいお相手を再婚されている人もいる。

いろんな考えがあるだろうけど、他が何をしていけない。とか、どう生きるか。それは他の人が決めるべきことではない。その人の幸せはその人自身が決めること。

苦しんでいるときに安易な言葉をかけて、人を苦しませてはいけない。無責任な言葉で、その人の人生を決まるようなことを言ってはいけない。と強く思った。

近くにいた人ならば、あの時こうすればよかったのかな?とか、そんなことも考えられない位に悲しい気持ちの真っ只中だったり、それを話すってすごくエネルギーがいる。そして、死因、亡くなる数日前の話とかって、その聞かれた人はその状況を思い出す。

知床峠

想像してみてください。僕も身内を亡くしてるので、かなり共感しました。とても辛いことです。その時の状況を思い出そうとすれば、その時の悲しい気持ちも一気に押し寄せてくる。

答えながら泣いてるってそういうことなんですよね。話終えた後も、しばらくはそのことを忘れることができませんでした。


根室で自分の過去について話した

日本最先端まで行ってみたい。ライダーは誰もがそう思う。灯台やモニュメントがあったりして観光地化されている場所もあれば、バイクを置いて自分の脚でないと行けないところも。天気がよければもちろん絶景。というかひたすら海と水平線。

ついに本土最東端、納沙布岬灯台!日本で一番はやく日が昇る場所。夏至も近かったから日の出時間もはやかったんだろう。着いたのは真っ昼間だった。

なんか、「返せ!」とか「返還の祈り」とかものものしいが、ライダーとしては「最東端にきた!」ってテンション。

そこから根室駅でふらふらしてると、美味そうな居酒屋があったので入店する。

隣にいた若者に話しかけられる。

居酒屋で乾杯

あのバイクお兄さんの?
日本一周すごいな!

そこからこれまでの、ブラック企業の前の職場について話すことになった。

僕の最後の職場はブラックだったが、その前の職場はまともだった。で、管理職をしているときもあった。

目先の目標はもちろん、結果に繋げる効率化の構築に情熱を燃やしていて、中長期的に徐々に改善をしていたときの話。

上司も誰も僕がやった改善に気がつかなかった。

彼らは表面的な部分にしか興味がなかった。

物凄い悔しくて、逆に執念や野望に変わったのを覚えてる。

でも唯一、僕が可愛がっていた後輩がこれらを見てくれていた。

「Kさんは本当にスゴイっす。過去、誰もできなかったこの仕事を遂行されてます。 OOの数字が△△%上がっていますよね。僕はこんなこと出来ないし、仕事の取り組み本当に尊敬しています」

誰もが気がつかず、誰にも触れられることもなかった僕の過程を認てくれてた瞬間。

認めてくれたこの後輩に「君みたいな奴が居たから、全てが報われるし、本当に頑張って来て良かった。その言葉で俺は本当に救われた。本当にありがとう。」

と感動した。
彼とは職場は別々の場所になってしまい、疎遠になってしまったけど、僕はこの時の彼の言ってくれた言葉を思い出すだけで涙が出そうになった。

本当に自分が信念を持ってやってきた事を認められて救われた。そう実感する瞬間だった。
これを若者に話すと、

環境って大事ですよね!と言ってくれた。

そして、彼は自宅に泊めてくれ、根室の観光地を案内してくれた。

根室の彼には、またどこかで会いに行かなければならない。確かに、前の職場は人間関係は最高だった。もう戻ることは不可能だけど、死ぬ気で頑張った自分は確かにいる。

第15章 北海道【道央】

旭川のオブジェ

旭川の経営者「仕事で成功したい?人生で成功したい?」

旭川駅でウロウロしてると経営者の方に声をかけられた。どっから来たの?日本一周?凄いね!

この人はとにかく凄かった。

スーパーカーである、マクラーレンを乗ってて、そのまま、近くの旭川ラーメン屋に一緒に入ることになった。
彼に僕はこんな事を言ってしまった

「こんな車に乗れたら最高なんですけどねぇ」  

彼は僕の言葉を微笑みながらじっと聞いていた。

そして、一呼吸置いてこう尋ねた

旭川駅
あなたはビジネスで成功したいの?

それとも人生で成功したいの?

思ってもみない質問に、深く考える余裕はなかった。

「まあ、とりあえずは仕事、ビジネスですよね。お金がないと生きていけませんから」  

答えを聞いてその男はニコニコしながら何も言わずに何度かうなずいた。頭が良さそうだ。色んな事を話し、このころにはすっかり打ち解けた雰囲気になった。

話が一息ついたころ、彼が質問した

「さっきの質問だけれど、人生の成功とビジネスの成功、どうしてビジネスの成功のほうを選んだの?」

「今はお金が必要だからです。人生の成功というのも気になりますけど、やっぱりビジネスのほうが大切じゃないですか。」

「なるほど。お金が必要なんだね。君はこれまでの人生に不満があるのかな?」
「まあ、正直すべてが最高ではないです」

何か答えようと思っても、頭の中はかき回されたようになって声が出ない。

「はっきり言うよ。ビジネスの成功だけでは幸せになることはできない。それどころか、ビジネスの成功を手に入れることだけに集中してしまうと、とても不幸な人生になる。世の中にはビジネスで成功しても、人生で失敗している人がたくさんいる。君はそういう人になってはいけないよ」

何かとんでもなく高い次元のエネルギーを浴びた気分だ。そして人生のずっと先が一瞬見えたように感じた。僕はこの後、彼から成功者の教えを受けるたびに、この感覚を感じるようになる。僕の反応を確かめながら彼は続ける。

「実はビジネスでそこそこの成功を手に入れることはそれほど難しいことではないんだ。実際にお金儲けは簡単なんだ。やり方が分かってしまえばね」  

簡単なんて、さらりと言えることが凄いと思った。自分は仕事で悩んできたのに。


でもね、ビジネスは人生の成功の中のひとつにすぎない。 

例を挙げて説明してくれた。

「家を建てる時のことを考えてごらん。お風呂が好きだからといって、バスルームだけのことを考えて家を建てると住みにくい家になってしまうね。その結果、バスルームも使いにくくなってしまう。でも、家全体のバランスをうまく取って建てようとすれば、すべての部屋が調和の取れた快適な家になる。バスルームも使いやすいものになるだろう。だから、人生全体の成功を考えた時にこそ、ビジネスも大成功するんだ」  

まさに今の自分はバランスが崩れている。そうか、バランスが崩れているから、あのとき仕事も成功しなかったのかもしれない。

彼はもうひとつ重要なことを話してくれた。

「もうひとつ、学ぶ上で大切なポイントがあるんだ」


「聞きたいです。お願いします」  

僕があまりに真剣なので笑われた。それから真剣な雰囲気を作り出すために少し声を潜めた。

「それは素直さとメモ魔になること」  

僕はメモを取っていない自分に気がついた。メモを取るようにと教えてくれたのだろうか。

「すみません。気がつきませんでした」
「あ、決してメモを取っていないことを責めているわけじゃないよ」  

そう言ってもらえて少しほっとする。

「素直さには自信があります」
「そう。それはいいことだね。確かに君は素直そうだ。ところでどうして素直さが必要だと思う?」

「素直でないと、何か教えてもらっても受け入れないからでしょうか」


「そう、そういうこと!  

「成功とは学びの過程なんだよ。学ぶということは素直に受け入れるということだ。今までの自分と同じ方向性の考え方を受け入れるのは簡単だ。しかし、今までとは違う考え方を受け入れることは難しい。ところが、まだ成功していない人にとって最も重要な成功の教えは最も抵抗を感じるものであることが多い。また、素直になるということは、格好つけるのをやめることでもある。格好いい自分ばかりを見せようとすると知らないことが恥ずかしいことだと感じ、教えてくださいと言えなくなる。そうすると素晴らしい学びのチャンスを逃してしまうことになる。」

素直さに自信があると言ってしまったが、かなり格好つけだと思うし、知らないと言えなくて知ったかぶりもよくする。今だって素直に教えてくれたというのに、とても勇気が必要だった。なんだか自分のすべてを見透かされている気がした。

「もうひとつ、メモ魔になることが大切なのは、なぜだと思う?」  

突然の質問にはっとした。意識が目の前に集中する。

「大事な内容を忘れないように。でしょうか」


「それはね、相手のためだよ。君が誰かに話したり、教えたりした時、その話を相手がメモを取ったらどう感じる?」

「価値のあることを言ったのだと思って嬉しいです」

「そう。嬉しかったら、もっと役立つことをどんどん話してあげたくなるだろう」  

まったく違うものの見方を教わっていることに気がついた。相手の立場に立ったものの考え方だった。

「そうか、メモを取ることは成功の教えを引き出すことになるんですね」  

今まで相手の立場に立って考えていなかったことに気づいた。

そして、僕はますます自分がメモも取らずに話を聞いていることが恥ずかしくなった。こんな役立つ教えを記録していないなんてもったいない。

「大切なのはビジネスでも人生でも、相手の立場で考えること。たとえばビジネスでは相手の立場になって、どうしたらこちらが期待する行動をとりたくなるかを考える。
それがきみに必要なことだ。
ひとりのお客さんが何度も君からモノを買ってくれたら嬉しいだろう。だからどうしたら何度も買いたくなるかを徹底的に考えるんだ。そうしたら君はどうなる?」

「儲かります!」  

僕はすっかり感心してしまった。

こんな考え方をしている人は周りにいなかった。

少なくとも、今まではひとりもいなかった。

旭川で人生について学ぶ姿勢ができた。


帯広での出会い

北海道は旅人の聖地と呼ばれるだけあって、本当に旅人とよく出会った。

「自転車で日本一周」
「ヒッチハイクで日本一周」
「歩いて北海道一周」  

本当にさまざまだ。数多くの旅人と出会った中で、旅が終わった今でもずっと関係が続いて行く 2人の旅人と出会った。

1人は奈良から出発し、宮崎から日本一周中の「マモルさん」。もう1人は大阪から利尻富士を登山していた「澤田ちゃん」。

2人とも人間らしさが滲み出ていて、

それぞれが自分のやりたいことを持っていた。

特にマモルさんはリゾバをしていて、北海道でもいろんなところで働いていた。 僕と澤田さんもお互いに触発されるようにやりたいことを語り合っていた。

もしかするとあなたは「私と同じような人なんていないだろうな」 と思っているかもしれない。しかし、僕は旅をしていて確信した。

「自分と同じように社会不適合者で、でも自分のやってみたいことをとりあえずやってるバカは必ずいる!!」 と。

ただ、そんな人たちと出会うためには、やはり決断をしなければならないし、覚悟を決める必要がある。けれど出会ってしまえば、最高の仲間ができるし、その存在は自分への刺激にもなるのだ。僕はそのことを2人から学ばせてもらった。

語り合ったり、一緒にご飯を食べたり、突然あっちの離島行こうぜ!となったり。歌って、踊って、そういった人間らしさみたいなものは、過去の自分は忘れてたなとも思う。

また僕は、この頃から旅の後のことを少しずつ考えるようになっていた。

「僕が旅が終わってやりたいことってなんだろう?」 このまま世界に飛び出すか?とも思ったりしたけど、なぜかそういう気にはなれなかった。そのような自分を想像できなかった。「僕も夢中になれる仕事見つけたい」 そんなことを思うようになっていた。


札幌で言われた明日死ぬとしたら何をやる?

札幌の大倉山ジャンプ競技場へきていた。
「こんな所で失敗したら死んでしまうな、、」

そこで出会った旅人とそんな世間話をしていた。

旅人の彼は、いままで悩んだことをノートに書く習慣があらと言う。そして悩んだことをいろんな人に相談し、そのアドバイスを「人生のコツ」として「手帳」にまとめていたんです。

「1000回、心を込めてやると運ばれちゃうよ」この言葉を実行してみようよ、と。

そうか、ならこれから1000回、毎日人生について考えてみよう。僕はそう決め、ツイッターでもそれを書き始めました。歩きながら彼と話してると、こんな問いをされる。

「半年後に死ぬとしたら、なにをしますか?」 

「1ヵ月後に死ぬとしたら、なにをしますか?」

「明日死ぬとしたら、なにをしますか?」

僕は、この答えを真剣に考え、アプリのメモに書き出してみた。

「明日死ぬとしたら、なにをしますか?」

これに対してこう書いた。

「親父、あんたも色々あっただろうけど、俺もいっぱい迷惑かけてきた。生まれ変わることを決意した2022年からは、今日まで一生懸命生きてきた。このメモ帳に乗り越えてきた証がすべて詰まっている。先立ってごめんね。親父の子でよかった。産んでくれてありがとう。」


明日死ぬとしたら父にメモを渡す。それが自分の答えだった。


「半年後に死ぬとしたらなにをしますか?」

「明日死ぬとしたら、なにをしますか?」

この問いが、僕の価値観を変えた瞬間です。あなたも同じ質問を自分にしてみてください。

「あなたの余命は半年です」

そう宣告されたら、あなたはなにをしますか?
いまの会社をやめますか?  
続けますか?

いまやっていることで、そのまま続けるものはなんですか?
逆に、やめるものはなんですか?

では、明日死ぬとしたら、なにをしますか。


最終章【日本一周ラストスパート】

日本一周も1ヶ月を切った。北海道一周し、百名山も八座登り終え、ついに終わりに突入していた。北海道は本当に大きく、僕にたくさんのことを教えてくれた。

北海道も2周目に突入し、僕は北海道の中でも特に美しい富良野へ到着した。

富良野とライダーハウス丘の館

ラベンダーのパッチワークなどが美しい時期だ。僕はライダーハウス丘の館に行き着いた。オーナーも素晴らしい人格者だ。

そして鈴さんという日本一周ライダーと出会った。

お兄さん、旅してるの?

俺もバイクで日本を旅してるんだよー!  

日本一周の鈴さんというその方は「富良野に良いスポットがあるから、ぜひ寄って行ってね!」 と 教えてくれた。

「北の国から」や「アンパンマン」の舞台となった場所でもある。

ここには何もない。その代わりに本当に雄大な大自然がそこにはあった。鈴さんは僕を温かく迎え入れてくれて、仲間を紹介してくれた。6人。すごく賑やか。ここでは「仲間」の温かさを感じさせてもらった。自然の中で生活してる人たちは総じて楽しそうだ。この旅の中で僕はお金があっても、不機嫌そうな人たちもたくさん見て来た。

しかし、ここにはお金なんて関係なく、こんなに楽しそうに日常を暮らしている人たちもいる。鈴さんたちを見て、僕もこんな生活がしたい、こんな仲間を持ちたいと思うようになっていた。

きっと、それは旅とはまた別の充実感を感じていたからだろう。僕は自分の中の指針が変わって来ていること、鈴さんを見て感じていた。そのまま鈴さんと交流させてもらい、僕は富良野を後にした。帰り際の「また会おうね ーーーー!」 という言葉が嬉しかった。


ライダーハウス苫小牧のイカちゃん

3ヶ月前にきた初めてのライダーハウス。

やたら懐かしく感じる…

帰ってきたな

タコちゃん!イカちゃん!こんにちはー
おっ!Kくん、しばらくぶりだね!
預かってるコンブ、カビだらけでヤバいよ?
え!笑
どう?北海道満喫してる?
はい!広過ぎて回りきれないですけど、最高に楽しんでます
そりゃ良かった!今日はまだ走るの?
いえ、とりあえず1泊お願いします

そっか!経験いっぱいしたね
どう?自分の中で何か変わった?
野生動物への恐怖が増大しました
マジで野生のヒグマなんて
ほとんどの道民が見た事ないしね
エキノコックスに感染なんて宝クジくらい確率低いよ
エゾシカは?
鹿はマジでヤバい!普通にみんな事故ってる
明日はドコに行くの?
明日は苫小牧周辺を散策して、ターミナル行こうと思います!

このとき所持金は5万円を切った。
帰りの船賃とおみやげ代を考えるとギリギリだ。
全部下道で帰るならもうちょっと道内にいられるかも…

定番のいっそのことバイトしてどっぷり残るか?とも考えた。


そこまでして北海道に残りたい?

車検があと1週間で切れる


残りたい…..秘境とか行ってない所ある!
でも、どっちにしろ全部は見きれないだろうなぁ...
北海道がとてつもなく広いことだけは分かった

1度や2度来たくらいじゃ北海道は回り尽くせない
今回は1回目の北海道という事でまた改めて来るって考え方もあるな...

北海道ラストの夜はタコちゃん、イカちゃんと談笑して締めた。そして、日本一周の看板もこのライダーハウス苫小牧に置いていった。僕の日本一周はこれで締めた。

ちょっと泣きそうになった
でも、一区切りついた気分だった

帰ろう、名古屋に

タコちゃんがこう言う

もうちょっと旅を続けるのかと思ってたよ
迷ったんですけどいっぺん仕切り直します
せっかく仕事辞めて来たんだから、車検こっちですれば良かったのに
毎日が面白くて刺激的で本当に最高なんですけど・・・少しずつ旅慣れていくのを感じるんです
最初はただの直線道路で感動してました。でも、ちょっとずつ感性がマヒして来てるようで、もったいないなぁと思い始めました
それでリセットしようと?
そうです
だからまた来ます
じゃあ、次もライダーハウス苫小牧に寄ってね?
はい!必ず顔出します。北海道楽しかったです!

ラスト北海道を噛みしめるように

ゆっくりと苫小牧ターミナル港を目指す。

すると、フェリーで本州から来たライダーと話をすタイミングがあった。

自分、この船で到着したとこです
そっか、じゃあバトンタッチだ
北海道はいつまでですか?
決めてないです
初北海道なもんで・・!
僕はこれで帰るけど、僕の日本一周の爪痕がいっぱいあるんで探してみてね!
ありがとうございます!


良い旅を!!


【さらば北の大地よ】

すべての根底にある「自信」について


良く「根拠が無くても、自信をもって行動する事が大切」といった話を聞きます。

実際その通りで、「自信」は本当に大切。

旅を始めとする対人コミュニケーションの根底に、常に存在していた。

しかし、駆け出しの頃は、「根拠のない自信とは何だ?」と思ったもの。

自信を付けるには、自ら設定した壁を越えるのが最良です。

今の自分で超えられるか分からない高い壁を設定してみる。それに挑んでみる。

例え失敗したとしても、結果をしっかりと振り返る。

振り返りは、成長には欠かせません。

そして成功した時も、どのような「過程」を経て辿り着いたものなのかを確認する。反復する。

この壁を越え続ける繰り返しが、より強固な自信を創り上げます。

そして、その感覚を焼き付けて何回も繰り返し、同じ形で決められるようになると、自分なりの理論(導線、コツ、ポイント)が見えてきます。

これが俗にいう「ルーティン」という名前に落とし込めれば、さらに先に進める。

・自分なりに、課題や弱い部分を分析して、そこをしっかりと改善する。

・目指すべき所があるならば尚更、ここは逃げずにしっかり向き合う。

良くツーリングの際に「自信どうやって付けるんですか?」と質問をされます。

前述した通り、「自信を付ける」という事は日本一周では特に大きい要素でもあるから、しっかり掘り下げて理解をする必要性があります。

自分の事をしっかりと認める、自己肯定が出来るようになるまでの道のりは長いです。

この長い過程の途中で、挫折もや自分を見失う事もあったり、さらなる高みを目指して普通の人が手を伸ばさない所まで手を伸ばした時、心が折れる事はあります。

自分に自信を付ける過程において、自分を貫いて、もがいて、人より悩んで。

それが多い分、達成出来た時の味わいが他の人よりも衝撃的になると思います。

ぜひ、折れない自信を付けましょう。

【日本一周に挑む心構え】

長期間の旅に挑むときは、まるでオリンピックの選手のようなイメージです。

・大切な大舞台。
・皆が注目している。
・結果を出さなければならない。
・勝っても負けても、次の開催までが長い。

上記は一例ですが、自分に「あえて」プレッシャーをかけます。

極限まで追い詰められて、考えて、考え抜く。

だからこそ、自分自身見つめ直すキッカケにも、日本一周に対して「本気」になれる時でもあります。

そして、そこから新たな気づきが多くあります。

一旦話が逸れますが、僕が思う最高の旅の学習法は「自分の行動」を基に考え、学習し、成長する方法です。「行動」がベースにあります。

行動から刺激されて自問自答して、そして成長出来る。

だから、このような人生の決戦に挑まない手はない。そう考えています。

そして、同時に自分をさらけ出し、他の人に見て貰う事も必要かな、と思います。

要するに、日本一周を宣言し報告をする事。

自分に本当に実力が付いたのか?
過去よりも成長しているのか?

こういった判断は、第三者にして貰う方が刺激になります。
自分がやってる事に自信付けたいなら、時には日本一周と言う形で見せてもいいんじゃないかと個人的には思ってます。

もちろん、自分も完璧ではないので良い時、失敗する時はあります。

しかし、挑戦はいつも何かを見い出すキッカケと捉えています。その挑戦が最終的に成功体験となり、その成功体験が強い軸となる。挫折を喰らっても、「次こそは」と言う力になる。

飛躍的な成長につながる。だから、僕は日本一周という決戦に挑む。

自分自身の行動から成長を実感し、自信を持つようになれば、自然と回りの人間が増えます。これで正しかったんだと実感出来る日が来るんだと思います。ただ、そこに辿り着くには挑戦して行かないと。自分が自分らしく居られないと思うから。

ただ、走り抜けてる自分に周りが凄い声掛けてくれる。

「Kさんも場所は違えどどこかで走り続けている。」そう言ってもらえる事も多いです。

だから自分もやる理由がある。

諦める理由がない。

そんな言葉を掛けて貰えてやらない理由があるのか。

人の生など短い。
今を全力で走り抜けて行く。
これが日本一周の理由だったりしたのです。

「日本一周は、簡単ではない。」


その通りです。
しかし、容易くないから、夢を大きく描こうと、力強く手を伸ばそうとする。

そして理想は現実になるんだと。

夢や理想は、それを乗り越える達成感を味あわせてくれる。

正直、日本一周以外にも達成感を味わう方法や、やり方は数多くあるだろうけど、自分の事を信じてやり遂げる事が出来れば、方法に関係なく強くなれます。

「こんな自分でも」と経験と自信がつき、その壁を乗り越えることが出来ます。

どんな時・状況でも考えだけは前向きに保つ。「自分は絶対負けない」と心を決めて身支度をする。

そして自分の中で、熱が入る瞬間を見つけたならば、その過程を振り返り、もう一度結果を見て。「あ、これか。」って何かが見える。

それを教えてくれたのが僕の中で旅だったりしました。

ではあなたにとって、旅とはなんでしょうか。

1年間、約50,000キロ走って来れたのには理由があります。

その過程は楽な道でもなくて、、

何度も失敗して

何度も挫折をして

何度も心が折れて

何度も涙を流して

何度も諦めそうになって

何度も辞めそうになっても

そこからの執念、野望だけで自分の足で、


しっかりと歩いて来たからなのです。

ここまで読んでくれた皆さんに僕が強く言いたいのは、何も出来ないのは、あなただけじゃないと言うこと。

僕も同じ所から這い上がった人間、同じなんです。

だからこれからちょっとした事で折れる必要はありません。

日本一周の経験者として言うので、心でどうぞ聞いてやってください。

僕は折れないし、折れそうになったらこの項目【さらば北の大地よ】を見て下さい。

挫折しそうになったら僕の全てを書いたこの書籍で是非振り返ってください。

あなたの今後の糧になるよう、力の限りを振り絞って書かせて頂きました。

僕がバイクを降りても、僕がツイッターを離れたとしても、僕の意志が本作品として残れば何よりです。

僕はあなたのそばにいて、いつもあなたを応援しています。

是非、これからも諦めずに歩いていきましょう。

いつの日か、リアルなあなたとお会いできる日を心より楽しみにしています。

追いかけるカモメたち

苦しみのどん底で見上げる月はいつも輝いていた。

まるで、自分をあざけり笑うかのように。


しかし、そうではない。


月がいつも以上に輝くのは、


くじけぬようにと励ましてくれてるからだった。




  Special thanks!


 2022年8月20日 日本一周発 

 2023年8月31日 日本一周完

 K@日本一周ブロガー





















おまけ

【番外編】北海道について


せっかく北海道に行くのだから、少なくとも一週間以上は滞在したいところです。それでも全然足らないと思いますが・・・。

北海道の海岸線の一周が大体2800kmほどと言われています。

面積は日本の国土全体の約22%と広大。

もし連休などで一周しようとしたら、1日400km、1週間ほど走行すれば数字上は可能ではあります。

ですが、北海道を一周した事実だけが欲しいならそれでいいと思いますが、単に一周なら北海道を満喫できません。

海岸線のみを走っていても飽きますし、内陸にたくさん魅力的なスポットや道があります。

なので、もし北海道を隅から隅まで周るとなると一週間では到底不可能です。

僕が2023年北海道を周った時は


滞在期間60日間超

総走行距離13,000km

(雨でほとんど走れなかった日もあり、1日平均200km)

百名山を含め、ほぼ全てのスポットは周りましたが、僕と同じスケジュールをやるなら最低1ヶ月半、かなりの体力が要ると思われます。

観光しながら長めの距離を走る日もあれば、ゆっくりと野宿をするために夕方にはキャンプ場などに入って、まったりする日もありました。なのでツーリングだけを目的とせずに他のことも楽しんでいると、走行距離は200〜300kmくらいになるんじゃないかと思います。

北海道は限られた都市以外なら、とてもスムーズに走れるので時速60kmくらいで走ったとして、一日4時間〜5時間ほどバイクに乗っているくらいが個人的には丁度よいです

そんなこんなで、北海道を回るのは時間が足りなくなってしまいがちなので、時間が取れないようであれば、一度に全体を回ろうとするのではなく、数回に分けて何年かかけて訪れるのも一つの方法だと思います。20年間、毎年夏に北海道に来ているというライダーもいました。


北海道は無料キャンプ場がとても多い

そしてめちゃくちゃ安い!

なんなら、無料のキャンプ場がたくさんあります。
無料なのにゴミ捨てオッケー、芝生ふかふか、トイレもきれいなキャンプ場もあります。ちょー快適なんです。めちゃくちゃありがたい。

料金を取るキャンプ場でも¥300とか¥500。昼ツーリングして、夕方から寝るだけなので、快適で設備が整っていて安ければ、僕はキャンプ場に他に望むものはありません。必要十分です。

(欲を言うと、ロケーションがよければ、更にテンションは上がります。)

ただし、人里はなれたキャンプ場では、管理人もいなく、他の宿泊客もいなくて、濃霧がたちこめた状態。そしてクマ注意の看板があった場所での野宿はさすがに諦めたことがあります。


北海道のライダーハウス

ライダーハウスはバイク旅をしている人の為の宿泊施設で、北海道各地にあります。個々のライダーハウスで運営形態はまちまちですが、総じて安価で泊まれます。

連日、常にキャンプだとさすがに疲れてくるので、たまには屋根付きの部屋で寝て体力を回復させるのがいいです。

テントの設営や撤収の時間を省くことにもなり、効率的にツーリングに時間をあてられるのも利点。

安く泊まれるライダーハウスは費用削減にもなります。

また、同じように旅をしている人が多くいるので、情報交換したり交流しやすい場所でもあります。(利用者はほとんどバイク乗りと、たまにサイクリスト)

ライダーハウスのオーナーさんはもちろん色々な情報をもっているので、とても頼りになりますしね。

公民館の一室を解放してくれている無料の場所なんかもあります。

基本的に素泊まりで、一泊2000円以下で泊まれます。

あまりに居心地が良くて、そのライダーハウスに長期間滞在しているような人も。俗に言う「沈没者」

ライダーハウスのことを熟知してしまって、施設の説明やら受け入れの対応やらを手伝っているような人もいるので、オーナーさんかと思ったら、違うんだ・・・、ということも。

また、中にはオーナーさんが繁忙期の農家などでのアルバイトを斡旋していて、稼ぎながら旅をしていて長期滞在しているような人も。仲良くなった人とは一緒にご飯に行ったり、オススメ。

北海道は無料の温泉だらけ

実際に、いくつか利用してみました。

熊の湯(羅臼)
吹上露天の湯(上富良野)
和琴温泉露天風呂(屈斜路湖) などなど

基本的に湯船があるだけで、そこに浸かるという感じです。石鹸で体を洗ったりはできない(排水設備がない)場所がほとんどなので、毎日無料温泉を渡り歩くのは厳しいかも。でも、最高の体験。


オススメは道東と道北エリア

広大な大地の北海道らしさを感じるには道東と道北エリア。広い道に長い直線道路、広く見渡せる牧草地がありました。

道北エリアのおすすめ

オロロンライン
クッチャロ湖〈湖畔がサイトで、温泉も最高の立地〉
宗谷岬 〈日本最北端の岬、一度は訪れたい〉
旭山動物園 〈行動展示で有名な動物園、本当に活発に動く動物たちが楽しい〉

道央エリアのおすすめ

美瑛の丘〈うねる地面一帯の曲線が本当に美しい〉
北の国からロケ地 〈北の国からファンなら行きたい〉
襟裳岬(えりもみさき) 〈天然のアザラシが見れる〉
ナイタイ高原 〈一面緑の高原に牧場あり、眺めが最高〉
札幌観光  〈都市としての面、歴史的建造物、歓楽街などがギュッと詰まっていて面白い。札幌味噌ラーメンがうまい〉

道東エリアのおすすめ

開陽台 〈見渡す限りの平原。どこまでも続く直線〉
摩周湖 〈霧の摩周湖と言われるが、そんな事でもないよう。〉
知床横断道路 〈北海道で峠道と言えばここ。ワインディンが楽しく景色もいい〉
さくらの滝 〈サクラマスが遡上する姿が頼もしく面白い。(6月上旬〜8月下旬)〉

道南エリアのおすすめ

函館観光 〈近代建築物。朝市で海の幸を堪能〉
小樽運河 〈運河がのどかな雰囲気〉
ニセコパノラマライン  〈程よいワインディングロードで山の中を走っている感じ。リゾート地っぽい雰囲気もチラホラ〉

最後に北海道のメシ🍚は美味かった!\(^o^)/

寿司、海鮮【小樽、北海道各地】
ジンギスカン【札幌、帯広、北海道各地】
豚丼【帯広】
豚サガリ【富良野】
サンマ丼【根室(鈴木食堂)】
旭川醤油ラーメン【旭川】
札幌味噌ラーメン【札幌】
函館塩ラーメン【函館】
イカ刺し【函館】
ハンバーガー【函館(ラッキーピエロ)】
乳製品【北海道各地】
ビール【札幌(夏に国内最大のビアガーデン)】
メロン【富良野、夕張】

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