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新版『ドン・キホーテ』島村・片上訳【前編】

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セルバンテスの小説『ドン・キホーテ』。 ネット上に(青空文庫にも!)、「無料」で「自由」に読めるテキストがまったくないので、島村抱月・片上伸(のぶる)訳を書き起こし、文章を読み…
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#ロシナンテ

第二章には工夫に富めるドン・キホーテの初めての門出を述べる。

 こういう用意が整うたので、非違の正そうと欲するもの、難儀の救うべく、非道の改むべく、弊害の除くべく、義務の果たすべきものを思えば、自分の猶予のために世界中が損亡をしているという考えにせき立てられて、彼は自分の計画の実行を、もはや延ばす気はなかったのである。そこで、だれにも前もって自分の目論見を知らさず、まただれの眼にも触れないで、まだ日の白みそめぬある朝(それは七月の月の最も暑い日であった)、彼は鎧に身を堅め、にわか細工の兜をいただき、ロシナンテに打ち跨り、円楯を掴み槍を掻

第三章にはドン・キホーテが騎士の位を受けた道化た式の次第を述べる。

 それを思うと気が揉めて、彼は貧しい一膳飯流の晩餐をそこそこにすませた。喰べてしまうと主を呼び、一緒に厩のなかに閉じこもって、その前にひざまずいて言った。「武勇の騎士よ、足下の寛典をもって拙者が求める賜物を授けたもうそれまでは、拙者はここを立ち上りません。そのものは足下の美名と人類の利益とに貢献するでござりましょう。」主は自分の脚下にいる客人を見、こんな口上を聞いて、何とし何と言ってよいやらわからず、ただ驚き呆れてじっと見つめたまま立っておった。お立ちなされとしきりにすすめて

第四章 旅籠を出てからわが騎士の身に降かかったことども、

 騎士の位を授けられた嬉しさに、馬の肚帯も踏み裂かんばかり、にこにこと、浮かれあがり勇み立って、ドン・キホーテがかの旅籠をあとにしたのは、日も東雲のころであった。しかしながら、携帯すべきはずの調度、とりわけ旅銀とシャツとについてかの主の心づけを想い出して、彼は家に引きかえして一切の仕度をととのえ、また一人の家来をも召しつれようと決心したのである。それは、彼の近所のもので、妻子のある貧乏人ではあれど、騎士の家来の役目には極めてあつらえむきの、一人の小作人を手に入れるあてがあった

第五章 には、わが騎士の災難の話が続く

 さて、まったく身動きのならぬのを知って、彼はいつもの救治策に頼ろうと考えた。それは自分が読んだ書物のある一節のことを思うのである。すなわち取りとめもない彼の心は、カルロートーがマンテュア侯爵に手を負はせて山腹にうちすてておいたときの、ボールドウィンとマンテュア候爵とに関する一節を想いだしたのである。子供らは暗んじており、若い者どもは忘れず、老人は感服して信じてまでおる話である。それでありながらマホメットの奇蹟ぐらいにしか当てにはならぬのである。それが今の彼の身の上にぴったり

第六章 わが工夫に富める紳士の書庫で牧師補と理髪師との為した、おもしろくも重大な検査のこと。

 彼はまだ眠っておった。そこで牧師補は姪にかのすべての禍を作りださした書物のある室の鍵を求めた。姪はすこぶる快くそれを渡した。人々はみな、家婢も一緒に入っていった。見れば極めてよく装幀した百冊以上の大冊と、別にいくらかの小冊子とがあった。家婢はそれを見るや否引き返してその室を駆け出し、まもなく一皿の神水と水撒きとを持ってかえってきて、『さァあなたさま、学士さま、この室をお浄めなさんせ。魔法使いを一人でも残してお置きなさんすなよ。そいつらをこの世から追い出そうというわしらの目論