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川と鮭


私はいじめとは川と同じだと考えた
みんなが噂に流され、人をいじめる、
まるで川に流れる葉っぱのように
いろんな人が噂に流される、
まるで葉っぱにいろんな色がありいろんな種類があるように

鮭になって川を登れ
ほんとうは自由気ままに泳ぐのが1番いい
そんなことができるのは一握りの魚だと思う
だから、それができないなら川の流れに負けないように登れ、鮭のように

ただただいじめって嫌だなあ
ある程度大人の気持ちを持つと、なぜいじめが起きるのかと考える、、そして「いじめをする奴はバカだ」と思う

子供は素直だから小さな国を作りたくなる
一つの同じ目的があれば仲間意識が生まれる
それが楽しみでできてるのか特定の人を非難することなのかはわからない

ただ思うのは、いじめをする奴はしょーもない奴、1人で何もできないやつ、だから1人で何かできるやつを妬む。さらにそんな人がいないと一人になる人を作る時もある。そしてそいつを見せしめに恐怖で統治する。

恐怖は昔からあったら国の治め方、
だから簡単にパッとはなくならない、

しかし、無くさないといけない、自分たちのために

無くなってくれ、いじめ

。。。今からもう未来の子供が心配だ

周りを笑顔にする人になろう

何色にも染まる白色じゃなくて、染まりたい色がある白色に←書きながら、ふと思いついた言葉

川の世界で、葉っぱになるか、鮭になるか
私はみんなになって欲しい、鮭に

ではでは今日はこの辺で、お鮭に失礼します🙃

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