2023.08.28「雨夜音」


雨夜音が8月末をもってナナニジでの活動を終了することが発表された。


正直に言って、とてもとてもとても寂しい。きっとこれからのナナニジで音ちゃんはとても大きな存在になっていくんだろうと思っていた。「ハッピー☆ジェット☆コースター」を見て涙を流し、雨の音の中オーディションの広告を目にし、大人の敷いたレールを少しだけ外れた先でアイドルの世界に、ナナニジというグループに飛び込んだ女の子は、とてつもなく「物語」だと感じたからだ。




音ちゃんの活動休止が6月に発表されたときに自分が感じたことがある。それを少し書きたい。


活動休止が発表されたとき、まず自分は非常にショックを受けたことをよく覚えている。これは相当時間がかかりそうだと思ったし、ひょっとするとそのままということまでその時点で頭によぎった。

そう思った理由は公式のお知らせの文面だった。「3月末に本人からは22/7の活動と学業との両立が困難である旨の相談を受けておりましたが、協議のために時間を要しご報告が遅くなってしまいました」と。3月末時点(進級、進学のタイミング)ということは、定期試験が近い云々のレベルでは到底なかったということだ。少なくとも根本的解決を見るには高校卒業まで(さらにその先まで)みなければいけないことは明らかだし、協議に時間を要したということはやはりそれだけ簡単ではないということが察せられた。

それに加えて、アイドルという職業がいかに特殊であるかということ、アイドルという仕事がその人ひとりの人生にとってあまりにも大きすぎるということをあらためて思い知らされたことも、自分にとってはショックの大きいことだった。アイドルというのは基本的には少年少女の若い時間(もちろん幅はあるが)を費やすことが前提となっている職業であって、彼ら彼女らの人生にとって(人生にとって!)その時間が"労働"に費やされているのはどう考えても普通なことではないということを考えざるを得なかった。もちろんアイドルは単なる"労働"ではない、素晴らしいものなんだと確信しているのだけど。


一人の人間の人生を考えたとき、(もちろんこれはあくまで一般的な、例えばの話であるが)高校で勉強を頑張って少しでも良い大学に行くということは、なんらおかしなことではない。じゃあアイドルは、人生において一人の人間の時間をもらい受けるアイドルは、その人生に責任を持てるのか。一般的に言ってせいぜいが二十代後半までしかアイドルでいられないのであれば、アイドルはアイドルでなくなった人生の方が長いことは自明である。



そのようなことを考え、非常にショックを受けシリアスな気持ちになっていた自分だったが、オタクの反応はおおむね楽観的なものが多く、拍子抜けしたと同時に信じられない気持ちもあった。もちろん殊更に深刻に受け止めることは避けたいという気持ちもあったであろうことは理解するし、そういう気持ちから軽口を叩いていたというところもあったのだろう、と思うようにはしている。宮瀬の卒業コンサートがきれいに幕を閉じた後だけに、後ろ向きなことは仮に考えていたとしても言葉にしないようにしていたのだと思う。自分もちょっとネガティブに考えすぎかな、と思うようにも努めた。


でもやっぱり、中には自分としては到底許容できない発言もあった。どうしてそんなことを言えるのか、そんなことを考えられるのか。悲しくなったし、失望もした。八神が計算中でおバカキャラをやっているから音ちゃんに対しても言っていいとでも思っていたのだろうか。

例えば、憧れのアイドルになったのならやり切るべきだ、学業理由で活動休止は無責任だという意見があったかもしれない。言いたいことはわかるが、それはあまりにも酷だと自分は思う。何かを新しく始めるとき、それがどれだけのボリュームがあることなのか、現実問題として可能なことなのか、それを正確に見積もれる人がいったいどれだけいるだろうか。十代の少女が、ましてアイドルという未知の世界に飛び込むときに、そこまで考えて活動を始めろ、続けろというのは厳しすぎる。

もしかすると、"バカ"なのがいけない、ちゃんと勉強しろ、という意見もあったかもしれない。信じられません。テストで点を取るのが簡単だった人にはわからないかもしれませんが、勉強というのは誰もが努力で「やればできるようになる」ものではありません。



ここに関しては気持ちのいいことではないかもしれないが、ずっとモヤモヤしていたことだったので、思うままに書いたものである。




結局、この件に関しては自分は音ちゃん本人はもちろん、運営のことも責める気持ちはまったくない。そしてまた、雨夜音がナナニジのメンバーとして過ごした1年ちょっとは、彼女の人生にとって大きな意味のある時間だったと信じたい。

自分がナナニジに本格的に行くようになったのは今年に入ってからだと考えると、音ちゃんをライブで見た回数はそう多くはなかった。でも、笑顔、真剣な顔含めてのライブ中の表情とか、何かが憑りついたようなセリフパートとか、『ハレロ』のイントロで麻丘と踊っているところとか、ニコ超のjustラスサビでニコニコだったこととか、定期公演の「あまやー!」のコールで思わず笑っていたところとか、宮瀬卒コンで見せた赤く真っすぐな泣き顔とか、たくさん記憶に残っているし、それだけステージ上で目を引く存在でもあったのだと思う。だから重ねてつくづく残念なのだけれど、それでも今の自分には仕方がないと思うことしかできない。


もちろん、八神叶愛というキャラクターの存在もあまりにも大きすぎた。計算中加入から一年、たくさん笑わせてもらった。バラエティという枠組みの中で、いい意味で壁を壊してくれた。曇晴のMVでの八神ちゃんも本当に良かったし、個人的に何度か八神ちゃんの模写をしたりしたのも思い出深かったりする。


11thシングルの特典会で、もちろん一番話したのは圧倒的に麻丘だったのだけど、次に話した時間が長かったのは音ちゃんだった。初めて音ちゃんのオトク会に行ったとき、自分が「最近気づいたことがあるんです…………(ここで音ちゃんがなになに?と顔を近づける)、音ちゃんの声が好きだって」と言うと、音ちゃんは「えぇ~っ!?」と言いながら弾かれたようにソファーにのけぞって手を叩いて爆笑していた。その反応があまりにも良すぎて、単純に楽しい思い出として強く記憶に残っている。でも、あのとき「声が好きだ」と伝えられたことは本当に良かったと今では思う。声優という夢に対して音ちゃんが今後どうつきあっていくのかはわからないが、少なくともまだまだあなたは若いし、何よりナナニジのメンバーとして活動したことは絶対にプラスになる。今はもしかしたら目の前のことでいっぱいいっぱいかもしれないけど、いつか息をつけたとき、そのときにはまた笑顔でそのときにやりたいと思ったことをやってほしい。



アイドルとは「人生」なのだとしても、「人生」はアイドルよりも大きな何かだ。雨夜音の「人生」の中のひとつの時間を分けてくれたことへの感謝と、たくさんの笑顔の想い出と、悔しさと、寂しさと、いつかまた会えることへの希望を伝えたい。



そして、それでもアイドルは素晴らしいものなんだと声を大にしたい。




音ちゃんの誕生日企画のメッセージ、夏祭りファイナル前に書いたまま結局企画のオタクに渡せずじまいだった



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