承認すると信頼されるということ

先日、上司の女性が小学1年生のお子さんを職場に連れてきました。何かの事情で学校がお休みになったのと、その子の預け先も見つからなかったようです。自分がその年の頃は普通に1人で留守番してたなぁなんて思いつつ、微笑ましく眺めていました。

一人っ子でなかなか甘えんぼだったんですが、お母さんも仕事をしないわけにはいかず、その子にゲームを持たせて会議室に入れて1人でプレーさせてたんですね。遊びに対する子どもの集中力ってやっぱりすごくて、1時間半くらいずーっと脇目も振らずに画面を見つめてるんです。

で、ちょっと用があって僕がその会議室に入って、少し話をしたんです。彼がプレーしてたのは「ポケモン」で、自分のモンスターがこんなに強い、この技がすごい、このプレイヤーよりレベルが高いっていうことを自慢するんですね。その無邪気さがかわいいのなんの。僕はどうしてたかというと、「すげーな!」「つよ!」「こいつかっこよくね?」「おお〜!」の4パターンくらいのリアクションを繰り返してたんです。

その子、最終的にどうなったかというと、デスクで仕事してる僕の膝の上に乗るくらい懐きました。最高の癒しでした。



少しさかのぼります。僕が大学生のとき、中学校のサッカー部でコーチをしていたときの話です。

僕はサッカーには2種類のミスがあると思っています。ボールを思ったところに蹴れない、運べないなどの技術的なミスと、自陣深くでドリブルをしてしまうなどの判断のミスです。

選手が判断のミスをしたとき、頭ごなしにそれを指摘するんじゃなくて、なぜその判断を下したのかを必ず聞くようにしてたんですね。そして「なるほど」と必ず一言口にしてから、「でもこうした方がよかったんじゃないかな」と提案をしてみます。すると、選手たちはけっこうこっちの話を聞いてくれるし、飲み込みも早かった気がします。



仕事のときも同じです。後輩から「ラフを見て欲しいんですけど」と相談されることがあります。サッと見て気になったところは「なぜこういう配置にしたの?」と必ず聴きます。他にも、なぜそう考えたが、なぜそのアクションを起こしたか、必ず理由を聞いて、「なるほど」と一言挟んでから僕の意見を言うようにしています。



もうわかると思いますが、僕は常に一度相手を承認してから自分の意見を言うようにしてるんですね。これやるだけで、相手が自分の話を聞いてくれる度合いがかなり違うと思います。特に子どもは、親からも先生からも「あれをしちゃいけない」「遊びよりも勉強」と、禁止事項や望まない優先事項を強制されることが多いと思うんですよね。

そんな中で、自分のモンスターの認めてくれる大人がいればもっと話したくなるし、自分のプレーに理解を示してくれるコーチがいればもっと上手くなって認めてもらいたくなるし、自分の考えに共感してくれる先輩がいれば別の視点も受け入れやすくなるんです。

人ってやっぱり、自分の力、存在、思想、それらを他人に認めてもらいたいんだと思います。そしてその承認というのは、「あなたの考えはわかりました」という「理解」だと思うんです。ここで「100万円の損害が出てしまったけど、あなたの行動は正しかった」という間違った承認をしてしまうと、また違う話になってくるんですけど。

芸人の厚切りジェイソンさんが「日本人は違った意見を言われると『嫌われた』と思い込む」って言ってましたね。あれ、日本の教育上しょうがないと思うんですよ。僕の肌感覚ですけど、日本の教育は間違いを指摘されるばっかりで、良いところを褒められる機会が少ない。その経験が蓄積されて大人になれば、違う意見=敵に見えてしまうんだと思います。外国は小学生の頃からディベートの授業をやるらしいので、そういう文化はないと思うんですけどね。

この「承認」のプロセス、試してみる価値はあると思います。

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