持続可能なコンテンツの時代
怠惰にYoutubeを眺めていると、視聴済みの動画も再生してしまうことがあります。内容を知っていてもなお見たくなってしまうようなコンテンツは、全てが閲覧可能になったインターネットの世界では、いち作品として以上の価値を持つのだろうなと思います。
金曜ロードショーでラピュタが放送されると、視聴済みの人たちも揃ってバルスバルスと叫んでいます。夏になると毎年のようにサマーウォーズが再生され、こちらも視聴済みの人たちによって「よろしくおねがいしまあああああああああっす!」と叫ばれています。これらの作品は名作ゆえに、TV局から「放送するけどどうする?」と問われれば、人々はテレビをつけ何度でも再生することになります。
令和の時代になると、NetflixやYoutubeから「再生できるけどどうする?」と問われ続けるような生活です。見たことがあるけど見てしまう。そんなものが周りにたくさんある状態です。こうなってくると、新たな作品を投下してその時の視聴数を稼ぐやり方のコスパがどんどん落ちてきます。新着動画をYoutubeに投稿したとしても、比べられるのは「過去の名作」になってしまいます。
視聴者ひとりから見た「過去の名作」は大小あれど限りはあるでしょうし、その中だけでエンタメ消費を完結させられる人もいるでしょう。ぼくは同じ映画を何度も見に行くような人種なので、まさにそのタイプです。こんな世界になってくると、質ではなく新しさを武器としたエンターテイメントは繰り返し消費されることがありません。名作を生み出すことを資産形成とするなら、時事的なコンテンツは単発バイトのようなものです。目指すべきはバズるコンテンツではなくサステナブルなコンテンツでしょう。
こういうの見ると納得させられますよね。そのとき流行っていたものはすごい速度で1位になりますが、脱落も早いです。いま「香水」歌ってる人いないですもんね。
時間が経っても色褪せないnoteを書きたいものですね。
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