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競技生活を振り返って 最終回

・市民ランナー生活スタート

年が明けニューイヤー駅伝と箱根駅伝はTVの前で観戦していました。
駅伝というのを正月ゆっくり観るのは5年振りで少し落ち着かなかったです(笑)

1月は陸上部在籍時の部署でフルタイムで働く事になります。

・実業団生活を振り返って

私は、市民ランナーとして走ろうと思っていました。それがマネージャーの話になりそれも急転して実業団選手として走れる様になりました。本当に恵まれています。
試合が無くてもモチベーションを保てたのは「走れる事自体が奇跡」という事実が理由です。

「この環境で走れる事、それ自体が奇跡なのだから」「いつ終わってもいい」という気持ちでここまで走ってきました。

例え故障して終わりになっても、試合で満足いく結果が出せなくても、練習しか出来ずに終わっても良かったんです。実業団選手として走れる事自体、良い事がなくてもキツくても、私の人生で最高な日々でしたから。

補足になりますが、決して結果を求めていなかったわけではありません。
この先も走れるチャンスがあるのだからそれを目標に覚悟を持って取り組んできました。
また、短時間勤務や金銭面でサポートしてくれる会社の為に走らなければならないと思えました。
結果を出す為に努力はします。
しかし、それがダメでも私にとっては最高の日々だったという意味が上記の文章に含まれています。

結果を求めて練習して故障やうまくいかない事が多くても最高ってポジティブ過ぎるかもしれませんがそれくらい大きな事でした。

今後の事は以下の2つのnoteにも書きました。

大学4年と実業団生活を経てようやく約4万キロ以上の地球1周分を走り切りました。
地球って広いです。

合宿地や記録会等を開催してくれた方々には感謝の気持ちでいっぱいです。
試合が無いまま1年間終わる可能性も考えるくらいでしたから。

1月は玉掛けやクレーンの講習があった為、うまく走れない日々でした。
雪も積もっていたので無理のないペースでjogを朝練だけしていました。時々、先輩とポイント練習を午後に一緒に数回やったくらいです。

休んで体がフレッシュな状態に近づいたおかげか最初のポイント練習では久しぶりだったので内臓に負荷が掛かる感じがしました。
雪が比較的無い道を往復するインターバルが最初のポイント練習です。

2回目のポイントでは距離を伸ばしたインターバルです。スピード出し方と全力も出せそうな手応えがあって楽しかったです。
距離走もキツかったですがキツいのが楽しいという高校の時と同じ状態になりました。

もしかして調子だけなら退部してからの方が良いかもしれません(笑)

食べたかった麺屋坂本に行き、お世話になった治療院の先生方、陸上部の方々にも挨拶を済ませて新潟を出発します。

そして、2月1日から新しい場所での社会人生活が本当のスタートです。


・言語化する事の大切さ

noteを通して、
①「これまでの取り組みや過去の整理」
②「本当に今自分自身がやりたい事」
③「実業団生活をしたからこその価値観」
④「自分の人生へ求めるもの」

が今までぼんやりとだったのですが、言語化する機会が増えたのでようやく言葉に出来そうな予感があります。↓

①今まで失敗してきた事が沢山ありました。それを言葉にして整理したからこそ自分自身の事を改めて理解出来た様な気がします。
また、大袈裟かもしれませんが生まれてから24年と少しの間に出会ってきた人達がいたからこそ、私という人間が形成されたと思います。
ここまでの人生は、周りの方々に恵まれて生きてこれました。これからもその「縁」を大切にして「人生なるようになる」くらいの気持ちで生きていきます。

②私が1番やりたい事は、やはり「陸上競技」でした。タイムを縮めたい、このやり方が合っているのか自分の体で試して結果を出したい、それらがモチベーションです。
何より、私が1番自分自身の可能性を信じています。まだまだ納得していません。
正しいと思う努力を最大限取り組んでからでも辞めるのは遅くないです。
才能はありませんが「考える能力」と「安定した努力」が強みだと思います。悪く言えば「考え過ぎるタイプ」「真面目」でしょうか。
市民ランナーとして限られた時間だからこそ、工夫しながら過程を楽しんで結果を出して喜びを手に入れたいです。

③実業団生活で走る事が仕事になっていたからこそ、いざ働いてみると陸上競技って仕事に何の役にも立たないと感じました。
役に立つのはメンタリティと体力だけでした。
フルタイムで働き始めると分からない事ばかりで1人だと仕事が出来なかったからです。
仕事が出来る人は、例えどんな業種であれ尊敬します、と言えるくらいです。
小林凄いなとしか言えません。この辺の語彙力無くてすみません(笑)
2月1日からは転勤場所で社会人生活の本当のスタートになりました。
仕事を早く覚えたい気持ちや走りたい欲もあって精神状態は「挑戦」で良い状態だと思います。後は、身体が付いてくれば良いバランスになってきます。
仕事だけになるのは嫌な感覚、面白くなさそうなので走る事は続けようと思いました。
これからは、仕事と陸上競技の両立を心掛けていきます。

④私が人生に求めるものは「楽しそう」「面白そう」「縁」です。
陸上競技を続ける事やそっちの道の方が面白そう、この選択をしたら楽しいかも、縁が重なって実業団生活できた…などがありました。
これからもそんな感じで人生が流れていくと思います。
これらを求めるにあたって「目の前の事には自分自身の力が届く範囲は全力で取り組む」精神でやっていくと思います。
また、「時には息抜きをして適当くらいがちょうどいい」のを学んだのでそれも大切にします。これは、大学と実業団でも一緒になった同期から学んだ事ですね。

「言語化」する事を目的としてここまでnoteをやってきて感じたことは、相手にどう伝わるのかも考えないといけない事でした。普段の会話でも「相手に分かりやすく簡潔に伝える」という事は大切になっていきます。
それに伴い、インプット→アウトプットをこれからは実践していけたらと思っています。
もっと比喩的な表現等が使えて分かりやすく柔らかい文章にステップアップしていきたいと思えました。


・終わり

18回にもなる長編を読んでくれた方々、ありがとうございます。
これで「競技生活を振り返って」は終わりになります。細かい所やチーム事情は省きましたが自分なりに過去の出来事を言語化出来たのではないかと思います。
正直、終わらないんじゃないかと思っていたので一安心です。

これからは、市民ランナーですし練習等を時々、陸上以外にも目を向けたいので読んだ本や日常で感じた事をnoteにするのを予定しています。適当に、気ままに、です。

これまでの競技生活は、結果は残せませんでしたが沢山の人に恵まれました。

どんなに努力しても速く走れるとは限らない。
でも「あいつが頑張ってるから自分も頑張ろうかな」と、少しでも人の頑張りに、良い影響を与えたり背中を押す様な走りをしたい。

そんなモチベーションで箱根駅伝とニューイヤー駅伝を目指していました。
結果で恩返し出来たら1番良かったのかもしれませんがそれは叶いませんでした。

ごめんなさい。


これからの競技生活は、自己満足の世界に入っていくと思います。その中で他の市民ランナーの方々と新しい「縁」を作っていけたらいいなと思っています。

また、後悔が無いと言ったら嘘になります。
しかし、これも私の人生。
良い時もあれば悪い時もある。それは当たり前で私は他の人よりほんの少し良い出来事が多かっただけです。

これからは、世の中が落ち着いて知り合い以上の人達と直接会う機会があれば「ありがとう」と言葉で伝えていきたいと思います。

「今置かれている環境の中で最大限、努力する」
このメンタリティは高校の頃から大学、実業団で培ってきたのでそのメンタルを活かしていきます。

長い間、ありがとうございました。
初めは、自己満足くらいの気持ちでしたが読んでくれる人達が1人でも多くいると思うともっと読みやすく分かりやすく…と欲が出てきました。もっと面白い事を記事に出来たら良いなとは思いつつこの真面目な文章が自分らしくて良いのかもしれません。

この場を借りてになりますが、今まで私と少しでも「縁」があり名前は知らなくてもその場だけの関係だとしても私にとっては貴重な出会いでした。「一期一会」です。

学校の同級生、大学の先輩や同期、後輩、親戚の方々、仕事を通じて出会った方々、陸上競技をしていたからこそ出会いがあった方々、沢山の人数がいますが、この場を借りてお礼を申し上げます。ありがとうございました。

飯塚 匠

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