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一人芝居を終えて書く文章 #1

不定深度3200一人芝居三部作『真空に臨む』(6/10-6/12@STスポット横浜)が終演しました!
私にとって40分間ひとりで舞台に立ち続けるという経験は初めてであり、いつもと違う演技を求められていたように思います。その中で新しい発見と成長を実感したため書き記しておきたいと思いました。

さらっと書くつもりが意外と長くなってしまったので何本かに分割して投稿します。目次は以下です。

1. 稽古場の話: 不定深度の稽古場ってどんなところ?
2. 演技の技術の話:
 身体と発語を一致させる
3. 演技の心構えの話: 「シャキッとした」演技・演劇
4. これから考えたり試したりしたいと思っている断片的なアイデア: メモ代わり(読まなくても良い)

1.  稽古場の話: 不定深度の稽古場ってどんなところ?

ひとまず1本目は、不定深度の稽古場について書きたいと思います。
なぜいきなり稽古場の話を?(不定深度に参加するつもりないから興味ないぞ!)と思われるかもしれませんが、ここから始めるのは、明日以降続いていくこの振り返り文章全体を通底するテーマを示したいからです。
この振り返り文章は「俳優が主体的に創作に関わるために必要な姿勢や技術」について書いていく予定です。次回以降の「技術」や「心構え」をそういう目線で読んでもらいたいので、ひとまず稽古場の話から始めて行きます。

不定深度という団体との関わり方

私は不定深度という団体を、自分の演劇/演技についての研究発表の場だと思っています。他の団体のことをよく存じ上げないのではっきりしたことは言えませんが、不定深度はかなり特殊な創作の仕方をしているのではないかと思っています。

というのも、主宰かつ演出家の東野さんが企画・出資・脚本など創作をコントロールしうるもの全てを担当しているのにもかかわらず、参加者(俳優)の「やりたいこと」に沿って創作が進んでいくからです。
この団体がそうなっていった経緯とそういう状況のありがたさ・難しさについて書いて行きます。

経緯

私は不定深度でかなりの数の振り付けを作ってきました。セリフを発しながら話している内容とは無関係に動くというアプローチは、もともとは4年前の夏の公演でモノローグを棒立ちで言わないための工夫として東野さんが持ちこんだものでした。
当時大学2年生の自分はなんだか先進的なアプローチに触れてる気がして意気揚々と自分の所作(ボディランゲージ、ジェスチャー)をそのまま振り付けにしようとしていたのを覚えています。けど、結局あんまりうまく行かなくて、行き詰まった挙句共演していた3個上の先輩のをこっそり丸パクリすることにしました。笑

パクった振り付けを踊っている。(『滲む』2018夏)

その反省と悔しさから「喋りながら日常的な所作とは違う風に振り付けを作って動く」という試みをしている劇団を研究するようになりました。それこそチェルフィッチュとか、オフィスマウンテンとか。ワークショップにも参加して、どうやって/何がしたくて振り付けを作ってるのかを聞きに行ったり。
その後何度も「動きながら喋る」をやり続け、回数を重ねると人は段々と熟達していくもので、なんとなく精度が高くなっていき、再現性みたいなものが生まれ始めました。
テキストとも関連させられるようになっていき、振り付けについては(多分)主宰より研究しているから、次第に巨大な裁量権を与えられるようになりました。

他の俳優に動き方をレクチャーしたりした(『朱く飾って』2021秋)

少し話がそれますが、「動きながら喋る」所作の振り付けについては自信がついてきたけど、一方でこれが演技として面白いのだろうか?(ちゃんと作品の一部になれているのだろうか?)というところには疑問符がつくところではありました。俺が客席で俺を見てたら、なんでこんなことしてるんだろう?と思ってしまうでしょう、という不安がありました。「どうやって/何をしたくてあんな風に動いてたの?」という問いにはうまく答えられずにいました。

それが今回の「チャレンジャー」ではかなり作品の進行に沿ったものとして提示できたのではないかという手応えがあります。これは「技術」の章で書きます。

なんでこんなことしてるんだろう…(『ゆらり獏』2019夏)
ダイアローグシーンの身振りは「わかる」(『ゆらり獏』2019夏)

話を戻しまして、そうして私は不定深度の振付師のようなポジションにつくことになりました。2019年夏の「ゆらり獏」のあたりから、東野さんにできないことを私がやる、といった分担がなされるようになっていったように思います。
東野さん自身「動きながら喋る」(物語る身体)を団体コンセプトに設定するなど、団体の方針をこちら側に傾けるようになりました。
私は私で、自己愛と知的好奇心をエンジンにして「動きながら喋る」アプローチの更なる探究を続けて行きました。私が公演の合間に他所で見たり聞いたり考えたりしたものを、東野さんの作った枠組みの中でやる、というサイクルができていきました。

「俳優の興味・関心に沿って主体的に創作できる」状況のねじれ……に続く

次に、この「ミニ演出家」的なポジションを任される状況のありがたさと難しさについて書きたいのですが、筆を迷わせ続けていて全然文字が増えないので一旦ここで投稿します!
皆さんの反応いただけると嬉しいです。これを読んで演劇など創作に関わる人たちが何を考えたのか知りたいです!なんにせよ最後まで書くつもりですがきちんと書くかどうかは反応次第ということで……よろしくお願いします。
(写真:おにおん・6D)

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