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乃木坂46の楽曲を一日一曲語る。31日目『ガールズルール』


_______【この記事の構成】_______
▼今日のこばなし

本題の伏線になる時とならない時がある雑談

▼『○○』の基本データ
作編曲、歌唱メンバー、MV等の情報

▼『○○』を語る
愛と飛躍に溢れた考察

▼おわりに
総括とキメ台詞


▼今日のこばなし

「『今日のこばなし』は必要?」

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今朝アップされたキンコン西野のVoicyを聞いて、『今日のこばなし』について改めて考えてみた。
西野さんの言っていたことを簡潔にまとめると、

色んな人に文章を読んでほしいなら、「長文」と「つかみのボケ」は絶対やめろ!

である。

さて、『今日のこばなし』の主な目的は2つある。
①筆者の人となりを読者に知ってもらうため
②筆者がインプットとアウトプットを習慣づけるため
これらは筆者が毎日記事を書く理由である一方で、乃木坂46の楽曲考察を見に来た人からすればノイズになりかねない。

この二律背反をwin-winに近づけるため、

「時間が無い時は、『〇〇』を語るから読んでね」

という一文を目次のすぐ上に置いて、『今日のこばなし』をストレス無く飛ばせる仕掛けを作ってみた。
今後しばらくはこのスタイルでやってみようと思う。

(2021.01.20追記)
新たに、記事の最初に『この記事の構成』を提示するのを思いついてやってみたところ、コレがけっこう好感触だった。
ただ、そこで『今日のこばなし』がどういうものか説明しているので、「時間が無い時は、『〇〇』を語るから読んでね」の一文は必要なくなった。


▼『ガールズルール』の基本データ

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▼収録 / 発売日
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6thシングル『ガールズルール』全てのタイプ / 2013年7月3日

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▼作詞 / 作曲 / 編曲
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秋元康 / 後藤康二

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▼歌唱メンバー
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3列目:伊藤万理華、井上小百合、中田花奈、若月佑美、星野みなみ、秋元真夏、深川麻衣、斉藤優里
2列目:桜井玲香、生田絵梨花、生駒里奈、西野七瀬、高山一実
1列目:松村沙友理、白石麻衣、橋本奈々未

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▼センター
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白石麻衣

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▼MV(ミュージックビデオ)
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監督:柳沢翔


▼『ガールズルール』を語る

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・ただの夏曲ではない

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『ガールズルール』は一見すると、水際の少女たちがキラキラまぶしい、テンションアゲアゲな、いわゆる「夏曲」である。

しかし、なにか他の夏曲と違う雰囲気がある。
それが何かを突き止めるべく、AKB48の有名な夏曲たち(表題曲)と聴き比べてみたところ、筆者はある事実に気づいた。


①AKB48の夏曲

AKB48の夏曲に多く見られるのは「僕」→「君」への片思いの歌である。

画像1

そして、歌詞で描かれているのは「僕」から見た「君」なので、これらの曲を聞いている人は自然と「僕」の目線に誘導される。

AKB目入り


これにより「君」のまぶしさがより強調され、「僕」と「君」の不均衡さが切なく感じられるのである。


②ガールズルール

『ガールズルール』の歌詞には人を指す言葉がたくさん出てくる。
図解するとこうなる。

ガルル


歌詞は「私」視点だが、その内容は「彼」に関するものではなく「女の子たち」(私たち)自身について歌ったものである。

女の子たちは
真夏に恋して
卒業していく

- 出典:『ガールズルール』/ 作詞:秋元康 作曲:後藤康二(ck510)
ガールズトーク
女の子同士は
嫌なとこまで
見せあって
楽な関係になる

- 出典:『ガールズルール』/ 作詞:秋元康 作曲:後藤康二(ck510)

また、「パパやママ」や「男の子たち」について歌っている歌詞の主語も全て「私たち」である。

ガールズルール
パパやママに言えない
秘密の話
いっぱいこの海に流したら
忘れよう

- 出典:『ガールズルール』/ 作詞:秋元康 作曲:後藤康二(ck510)
待・っ・て!
もう少し!
男の子たちが
やって来るそれまで
私たちの夏

- 出典:『ガールズルール』/ 作詞:秋元康 作曲:後藤康二(ck510)

つまりこの歌詞の主観は不均衡な「君」との関係に心かき乱される「僕」ではなく、心の通じ合った対等な「私たち」である。

しかし、『ガールズルール』にはこれだけにとどまらないある仕掛けがある。

「私」はあえて自分たちを客観視した「女の子たち」という言い回しを使い、それと対になる「男の子たち」の存在を引き出している。

そして、この『「男の子たち」が「女の子たち」を見る行為』は、『「ファン」が「アイドル」を見る行為』と同じ構図である。

これにより、『ガールズルール』を聞いている時の我々は自然と「男の子たち」の目線になり、曲中の「女の子たち」に乃木坂ちゃんの姿を重ねて見ているのである。

ガルル目入り


AKB48の夏曲と『ガールズルール』はどちらもキラキラしているが、そのキラキラの構造が異なっているのだ。
前者は「僕」視点で片思いの色眼鏡を通して「君」を見ているから、「君」がより一層キラキラして見えるという仕組みになっている。
後者は絶対不可侵の幻想的な「女の子」の楽園が、外の「男の子」からはとてつもなくキラキラして見えているのである。


・ミュージックビデオ

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『ガールズルール』のMVはCM監督としても高い評価を受けている柳沢翔が監督を努めた。
彼の作るMVは、とにかく映像が美しい。

MV終盤の、ライトアップされた夜のプールに女の子たちが制服のまま飛び込んで戯れるシーンは最高だ。
なぜなら、これはまさしく先述の絶対不可侵の幻想的な「女の子」の楽園を映像化したシーンに思われるからである。

その山場を向かえるまでの演出も見事だ。
・友情と恋愛
・友情と劣等感
・大人による押しつけ
などなど、少女たちがそれぞれの環境の中で心にわだかまりを抱える様子が描かれる。

そんな少女たちが、夜のプールで一切のしがらみから開放されてはしゃぐその刹那的な美しさは、イノセント(無罪の、潔白な)という言葉がよく似合う。


▼おわりに

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筆者が『ガルル』のMVで一番好きなのは、橋本奈々未と松村沙友理の関係性である。
駄菓子屋でアイスを食べてるななみんを、さゆりんごがカメラで撮っているシーンなんてもうエモエモのエモ。

では、また明日 stay tuned!



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