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短篇小説集『ふりはる』松村沙友理篇

↓※本プロジェクトの概要※↓

乃木坂46の映像作品やパフォーマンスを見ていると、ふいに「このメンバーはこんなシチュエーションで物語が生まれそうだなぁ」と妄想がふくらむことがあります。

この妄想を何か形にできないかと考えた結果、卒業後のメンバー達という設定で短篇小説集を執筆することにしました。

それが、短篇小説集『振り向けば青春 ~あの後の彼女たち~』です。

(略して #短篇小説集ふりはる

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▼松村沙友理篇のあらすじ

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―アイドルとその家族、そしてファンの三者が、それぞれの幸せを成就させる。そんなことは果たして夢物語なのだろうか―

松村沙友理が乃木坂46を卒業してから三十年が過ぎ去った。

アイドルからふつうの女性になった沙友理。彼女の幸せだけを願って生きるその夫。かつて松村沙友理のファンだった末期がんの男性。

男性と沙友理の病院での偶然の出会いをきっかけに、止まっていた三人の時間が動き出す。


▼松村沙友理篇

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※この小説は未完成です(現在の状態:一回完成したけど全然納得行かなかったので、完成稿を設定資料に格下げしました!)

※この物語はフィクションです。一部実在する人物・団体・出来事とよく似た事物が登場しますが、我々が生きている世界線のそれらとは関係ありません。


▼【設定資料(旧・完成稿)】

いつもなら寝ている時間に起きてしまった僕の目にオレンジ色の世界が飛び込んできた。予想外の眩しさに咄嗟に目をつぶり、しばらくして再びゆっくりと目を開けてみると、ドラマのワンシーンと見紛うような完璧な夕陽が部屋を満していた。片肘を支えにして顔を起こすと、橙色の砂丘が身体の起伏に沿って広がっていた。こんなくたびれた布団を鳥取砂丘に変えてしまう魔法の夕陽。僕はその光源に吸い寄せられるように、窓側に首を傾けた。

隣のベッドにひとりの女性がいた。窓のほうを向いていて顔はよく見えなかったが、スラッとした品のある佇まいの女性だった。光沢のある薄ピンクのパジャマにはひとつのシワも見当たらず、後ろでゆるく結ばれた髪が左右に分かれて肩を流れている。その川の上には愛らしい形をした耳。歳は何歳くらいなのか、ここからではまるでわからない。こちらに気づく気配はない。彼女も夕陽を見ているのだろう。サンセットライトの眩しさに過ぎた時代を重ねているかのように、その背中からは懐かしさと寂しさが感じられた。

しばらくその後ろ姿から目が離せないでいたが、やがて僕のなかに別の衝動が芽生えはじめた。顔が見たい。どんな輪郭をしているのか、どんな口をしているのか、どんな目をしているのか知りたくなってきた。名前も素性も一切知らない、あるいは存在の有無すら定かではない。もしかするとこれは己の死期が迫っていることを暗示する幻覚なのかもしれない。だが例えそうだとしても、彼女の表情を見てみたかった。僕はただじっとその時を待った。

千載一遇のチャンスが到来したが、それを棒に振ったのは他でもない僕自身だった。初老男性の熱視線を感じ取ったのか、彼女はついに顔をこちらに向ける予備動作に入った。が、その瞬間、閉じろという信号が僕の脳からまぶたに伝わった。彼女がこっちを見ているであろう頃には完全に目を閉じてしまっていた。自分でもなにをしているのかわからない。あれほど待ち焦がれていた彼女の顔を拝めるというところで、なぜ僕は狸寝入りに転じてしまったのか。わからないが、とてつもなく重いなにか、あるいは心のセーフティ機能のようなものが咄嗟に働いた。あれは幻だ。だが圧倒的な存在感だった。顔を見たかった。いいや、やめておけ。胸のざわめきと安堵感の振り子の音を聞きながら、いつのまにか寝てしまっていた。


目が覚めると、いつものつまらない天井だった。スプリンクラーと蛍光灯以外になにも特筆するところがない。スライド式のドア、壁から天井に至るまですべてが主張のない白だ。汚れもないがツヤもない。もう飽きるほど見てきた感情のない病室。僕はほんの数時間前に見た映像を思い返してみた。このつまらない病室があれほど完璧なオレンジの世界になるポテンシャルを秘めているとはどうにも思えない。ここにはなんのドラマもありはしない。さっきのはやっぱり夢だったのか。あの女性も幻だったらしい。……ところで、なにかが、こっちを見ている気がする。

「オハヨゴザイマス」

やっと目が合ったと言いたげに、彼女は下唇をぷいと突き出して少し舌っ足らずな感じであいさつしてきた。年齢は僕と同じか少し若いくらいだろうか。夢に出てきた女性と同じ服、同じ髪型をしているが、いまこちらを見ている彼女から寂しそうな雰囲気は感じない。あまり状況が飲み込めないが、僕は寝起きの体を起こして「おはようございます」と返した。嫌に暗い声になってしまった。独りが長いと挨拶さえろくにできなくなる。

「わたしお昼過ぎからずっといたのに、〇〇さん一度も起きませんでしたね」

そうわざとらしく言って彼女はまた口をとがらせたが、今度は耐えられず笑みがこぼれた。僕はいつのまにか名前を知られていたことがなんだか恥ずかしかった。窓の外はもうすっかり夜になっていた。ちょうどそのタイミングで、僕の名前を彼女に吹き込んだ張本人が現れた。

「あら〇〇さん! 今日は起きてる! 珍しいわねー、あたしに起こされるのが怖くなっちゃった? アハハハ」

このよく喋るふくよかなオバさんは看護師の藤代さん。睡眠サイクルがすっかり狂って夕食どきに寝てしまっている僕を、藤代さんはいつも肩を叩きながら廊下中に響き渡る声で起こしてくれる。白衣の天使ならぬ白衣の重戦士という出で立ちだが、肩を叩く手はとても優しく、狙った血管は逃さない熟練のわざを持った人だ。

「はあい、お夕食お持ちしましたよー。〇〇さん、無理はしなくていいから、バランスよーく食べてくださいね!」

僕がいつものように軽く会釈したのを確認すると、藤代さんは病室の外に停めた配膳車から一人前の食事を持って、隣のベッドへ向かった。

「サユリさーん!……お待ちかねの……」

やけに芝居がかった間で藤代さんがそう言うと、彼女もまた「ええ?」「なになに?」と両手で口を押さえて大げさに目を泳がせた。僕は胸がざわついた。

「ご飯の時間ですよー!」

という藤代さんの茶番にあわせて、彼女はわーいという顔をしながら「わーい」と言った。ここのところ自嘲ばかりだった僕は久しぶりにどうでもいいことで頬が緩んだ。

彼女は病院食を美味しそうにもぐもぐ食べながら、ときたまウウンと唸って横にニョロニョロと跳ねた。ひとくちで頬張るご飯の量が尋常ではない。なんでも美味しく食べることが幸せになるいちばんの方法だと何度も言われてきたが、こんなに美味しそうに食べる彼女が病気になっていることもまた人間の真実だろう。

「ご飯って、おかわりできるんですか?」

あっという間に茶碗を空にしたあとで、彼女は僕に声を潜めて聞いてきた。病院食をおかわりしようなんて考えたこともなかった。

「いや、僕はしたことないんでわかんないですけど、たぶん、できないと思いますよ」と言うと、彼女はまたさっきの抗議するような甘えるような顔をした。

僕はまだ会話を続けたいと思った。しかしこういう時に気の利いた言葉が出てこないのが僕という人間だ。

「そんな顔されても、僕のせいじゃないですから」

そう冷たく吐き捨てたと同時に、嫌なやつだと思われたかなという後悔が押し寄せてきた。だが彼女にそんな素振りはなく、下唇を突き出したまま食器の並んだオーバーテーブルへ向き直り、空になった茶碗を眺めながら「ゼッタイお腹すくやん」「お腹すいて寝れへーん」とぶつぶつ言ってニョロニョロ揺れていた。僕はまた胸がざわついた。なにかまだ喋りたい。なにか話題はないか。そういえば、僕は入院してからずっと藤代さんに名字で呼ばれているのに、さっき彼女のことは下の名前で呼んでいた。藤代さんのことだから、そのへんも患者の性格に合わせて使い分けているのかもしれない。彼女は「サユリさん」と呼ばれていた。サユリさん、か。

そうか、さっきから胸がざわざわするのはこれが原因かもしれない。この三十年間、僕は、サユリという名前を無意識に避けていたのか。

「サユリさん、……って素敵な名前ですね。ほら、さっき藤代さんにそう呼ばれてましたよね。なんていうか、こう、響きが優雅っていうか」

嘘を隠すように早口でまくし立てた。本当は響きが優雅だから素敵なのではなく、サユリという女性を好きになったから、サユリという響きが素敵に感じられるようになったのだ。好きになった、と言ったが、恋愛などという高尚なものではない。一方通行で不均衡で身勝手な誇大妄想、とでも言うべきだろう。

「サユリ」は、僕が三十年前に推していたアイドルの名前だ。乃木坂46は、松村沙友理は僕の光だった。灰色の分厚い雲を割って、世界の美しさを教えてくれた光だった。


勝手にこの世に産み落とされて、教育という名の型にはめ込まれ、社会の歯車となって死んでゆく。なんで僕はこんなことをやらされているんだ。十代の僕は生きるのに無気力だった。友達がいないわけではない。学校には通えているし、なにか肉体的な苦痛を抱えているということもない。ただただ僕は空っぽだった。僕の人生にはなんの意味もない。他のみんなは楽しそうなのに僕だけがどこか冷めていて、つまらなさを感じている。そんな空っぽな自分を隠すために、僕を支配しているこの虚しさを分かってくれる人は誰もいないと決めつけて、自分を守る壁を作った。僕は独りで色のない世界に閉じこもった。

初めて聞いた時から、乃木坂46の曲にはなにか惹かれるものがあった。それは僕の内側で鳴っている気がした。泣きそうになった。でも、それはなんだか僕の孤独を暴露されているようで、ずっと聞こえないふりをしていた。乃木坂46と微妙な距離感を保ったまま何年か経ったが、とあるお正月のバラエティ特番をきっかけに乃木坂46関連の動画を次から次へと見まくった。そこからは早かった。決壊したダムから水が流れ落ちるように、僕は乃木坂46との空白の時間を一気に埋めた。

松村沙友理は僕の価値観をことごとく塗り替えた。それまでツインテールは好きじゃなかった。もともと方言に対する憧れはあったが、なかでも女の子の関西弁は至高だということを知った。自分のことを下の名前で呼ぶ女は嫌いだったが、自分のことをあだ名で呼ぶ女性は初めて出会った。松村沙友理が話すと空は青く澄み渡り、松村沙友理が笑うと水はきらきら輝いた。時計の針は楽しそうにリズムを刻み、松村沙友理に照らされて僕は世界を見つけた。僕にとって松村沙友理は応援する対象ではなく、僕を動かす希望そのものだった。松村沙友理がいなくなっても、それは僕のなかにあり続けると本気で信じていた。

新卒採用で入社してまもなく、松村沙友理が卒業を発表した。年齢からしてそろそろだろうと覚悟はしていたが、飲み会から帰る車内で「卒業発表」の文字を目にした時は動悸と指の震えが止まらなかった。アイドルの卒業はいなくなるという実感がすぐには湧かない。だが終わりへのカウントダウンがはじまってしまったことは経験的に理解できる。いま僕にできるのは、「ありがとう」と「いってらっしゃい」を言いながら「さみしい」を伝えることだけだと思った。僕は松村沙友理のために前を向くことを決意した。それが松村沙友理のためだと本気で思っていた。

卒業からわずか数ヶ月後、松村沙友理が結婚を発表した。僕は絶望した。世界は再び色を失った。それからは絶望感から逃れるために仕事をした。煙草を吸っているあいだだけは生きている実感が得られた。なにか思い出してしまいそうな夜は、酒の力で無理やり眠った。不健康な生活が僕をかろうじて生かしていた。寿命を浪費するために寿命を浪費した。

その生活を三十年重ねた今年の春に、職場で倒れた。搬送された病院で精密検査を受けると「肺に影がある」と言われた。さらにいくつかの検査を行った診断結果は、肺がんのステージⅣ、脳への転移もあり余命は一年だそうだ。



今日も放射線治療を終えて病室に戻ると、サユリさんはニッと微笑んで「おかえりなさい」と言ってくれた。笑うと目が細くなる。僕はこの言葉を何十年も言われてきた男がいることに思いを馳せた。

サユリさんが来た次の日は天気と藤代さんの話題で終わり、その次の日はお互いの家族の話になった。サユリさんは旦那さんと仕事で出会ったらしく、その知的さと包み込むような優しさに惹かれたと言っていた。もうすぐ結婚から三十年になるそうだ。サユリさんと旦那の幸せな三十年と僕の空虚な三十年が、そのまま人間の価値を決める物差しに思えて惨めだった。

僕は独り身で親もすでに死んでいる。唯一いる従姉とは性格が合わずほとんど絶縁状態だ。職場ではもう僕の替わりが補充されて、なに不自由ない日常が戻っていることだろう。僕が死んでも悲しむ人は誰もいない。跡形もない人生。余命宣告を受けた時に襲ってきたのは、死んだあとに誰からも思い出されない恐怖だった。だから僕は、まだ自分の生涯に無意味の烙印を押せていない。はやく終わりにしたくて悪習慣に浸っていたのに、ここにきて、死ぬ勇気がないのだ。



サユリさんが隣に来てからというもの、僕は遠い昔のことを思い出すようになっていた。学校へ行くために毎朝登った坂道とか、放課後によくひとりで黄昏れた河川敷といった何気ない日常の風景が、そのとき聞いていた乃木坂46の曲と一緒に思い出されてノスタルジックな気持ちになる。相変わらず友達は少なかったけど、あの頃は間違いなく僕にとって青春だった。乃木坂の曲と風景に紐付いて、臆病で繊細で純粋だった頃の胸の痛みもふわっと甦ってくる。まったくもって気持ちのいいものではないが、昔と違ってそこには穏やかな懐かしさも含まれている。やがてそれは僕にある疑問を抱かせた。

なぜ三十年前の僕は、松村沙友理の結婚に絶望したんだろう。裏切られたとか、騙されたとか、そんな身勝手な理由だったのだろうか。そうじゃないような気がするが、こればかりは思い出せない。いや、本当ははっきり覚えているけど、思い出すのを恐れているんだと思う。僕の無益で空虚な三十年は、思い出すことから逃げてきた三十年なのかもしれない。

思い出せないことはもうひとつある。ここのところ、なにかの配信番組の映像がよく頭に浮かぶ。そこには乃木坂時代の松村沙友理が出ていて、インタビュー形式でMCの人とトークをしている。MCが松村沙友理に自身のグループ卒業後についてどんな予想図を描いているのか質問すると、松村沙友理はあの独特なシンキングタイムに入るのだが、そこで記憶はいつもホワイトアウトしてしまう。そのあとに松村沙友理がなんと言ったのか思い出せない。それを聞いた当時なんとなく印象に残ったような記憶はあるのに、肝心なところに靄がかかっている。



サユリさんが来て一週間が経った。サユリさんとのおしゃべりは、死の恐怖と迫られる決断から僕を解放してくれる唯一の時間になっていた。決断とは、つらい副作用をともなう抗がん剤治療を続けるか、積極的治療を止めて緩和ケアに切り替えるかという末期がん患者にかならず訪れる決断のことである。担当医に促されるまま抗がん剤治療をワンクール継続したが、薬との相性のせいか副作用ばかりで効果がなかった。投与期間の終わりが近づいて先生はまた別の抗がん剤を勧めてきたが、三ヶ月の地獄の日々がまたはじまると思うと正直しんどい。だがそれを拒否するということは、延命を拒否するということになる。この世に未練などひとつもないが、もうあとは死を待つのみだと言えるような偉大な生涯も送ってこなかった。生きるべきか死ぬべきか、なんて最近は本気で考えてしまっている。


サユリさんとの会話が大事な時間になればなるほど、話すことはなくなっていった。情報の入ってこない病室でできる世間話は限られている。残った話題は最近よく思い出すあれしかなかった。僕は、かつて乃木坂46というアイドルグループが好きだったこと、そのなかでも松村沙友理さんという人のファンだったことをサユリさんに話した。なんとなく恥ずかしくてサユリさんのほうを見ないで一気に喋ってしまったが、サユリさんからの反応がない。不思議に思ってサユリさんの顔をちらっと見ると、サユリさんは目を見開いて、床と壁の境目のあたりを黙って見つめていた。その表情に僕は一瞬驚いたが、すぐに我に返った。

そりゃそうか。たまたま病院で隣のベッドになっただけの男に、いきなりこんな話されたら誰だって引くよな。なんで、なんでこんなこと言ったんだろう。サユリさんなら楽しそうに聞いてくれるって、勝手に思い込んでしまった。僕はまた、この過ちを犯したのか。

僕はやっぱり、外側の人間なんだ。内側と外側を隔てる壁は、忘れた頃に姿をあらわす。自分が外側の人間であることを忘れて誰かに心を近づけすぎると、その壁に激突する。

ぶつかった痛みは孤独感と自己嫌悪になって、吐き気のような絶望を催す。僕はいままで何度かこれを経験した。その最後にして最大の激突が、松村沙友理の結婚だった。僕にとって松村沙友理はこんなに大切で大きな存在なのに、彼女にとって僕は取るに足らない有象無象のひと粒だ。そんな当たり前の事実を忘れて、長い夢を見ていた。あの時、トイレで本当に吐いて、そしてこんな思いをもう二度としないように、僕はこの心を決して誰にも近づけないことを決めた。三十年それを貫いていたが、ここにきて死の恐怖に怯えたのか、僕はまた同じ過ちを繰り返してしまった。


ところが、サユリさんはどうやら引いてはいなかったみたいだ。あの話をした当日は言葉数少ななサユリさんだったが、翌日から僕は彼女の質問攻めに遭った。サユリさんに引き出される形で、乃木坂の曲がBGMだった青春時代の思い出をあれやこれやと話してしまった。とある番組での松村さんの発言がなかなか思い出せないことも話した。長らく自分だけの思い出だったことを人に話すのは恥ずかしかったけど、サユリさんは頷きながら聞いてくれた。

この時間がずっと続けばいいのに、そんなことを思った。



痛みは急激に襲ってきた。肥大化したがん細胞が周りの細胞を圧迫することで生じる激痛は、着実に僕の体力を奪っていった。汗がとめどなく吹き出してくる。呼吸がどんどん浅くなる。痛い。苦しい。


そして目覚めた。変わらぬ天井がそこにあったが、さっきまで朝だったのにもう蛍光灯の明かりが点いている。どうやら半日近く意識を失っていたらしい。全身が脱力していてまったく動かす気になれないが、ひとまずあの激しい痛みは消えてくれたみたいだ。

気絶する直前、遠のく意識のなかで僕はあの番組を見ていた。そしてついに、僕は松村沙友理の答えを聞くことができた。はっきりと思い出した。サユリさんに伝えなきゃ。瞬間的にそう思った。しかしそれはもう叶わない。隣のベッドは空っぽ。僕が意識を失っているあいだに、サユリさんは退院してしまった。



それから二週間ほど経って、サユリさんがお見舞いに来てくれた。ほんの少し前まで同じ病院の患者だった人に見舞われるこの状況はなんだか滑稽で笑えてくる。まあサユリさんの場合は入院中も至極元気そうだったけど。おそらく軽い手術とその前後の検査入院だったのだろう。今日は経過観察で来院し、そのついででここへ顔を出してくれたそうだ。

サユリさんはなんの挨拶もなく退院したことを謝った。僕は、それが嬉しかった。所詮は他人だからと気にしていないつもりだったけど、やっぱりなにも言わずサユリさんがいなくなってしまったことは悲しかった。

「そう言えば……松村さんが言ったこと、思い出したんです」

まだこのことを誰にも言えてなかったし、そもそもこの話がわかるのはサユリさんしかいない。自分でも驚くほど、嬉々として喋っていた。

「二週間前の様態が一時的に悪化したあの時、あまりの激痛に意識が朦朧として、ああ、死ぬかもしれないと思った時、不思議な体験をしました。死の淵に触れて、いままで最奥に閉ざしていた記憶の蓋が僅かにずれたんです。その隙間から、三十年前の映像と音声が煙になって立ち込めたんです。

四十六歳でアイドルをいちど卒業して、六十歳になったら可愛いおばあちゃんアイドルとして再デビューしたい

松村さんはそう言ってました。たしかにそう言ってたんです。それを思い出したとほぼ同時に気絶してました」

話が重くならないように笑いまじりに言ってみたが、それを聞いたサユリさんの反応は少し意外だった。うろたえたようにも、納得したようにも見える不思議な表情をしていた。

少し間があって、サユリさんは「そっか、……そうやったんや」とつぶやいて笑った。それからこう聞いてきた。

「それ聞いて、そんなん嘘やって思った?」

どうなんだろう。もちろん真に受けてはいないけど、でもたぶん、それが嘘だと言い切れていたら、ずっと心の奥に閉まっておく必要はなかったと思う。そしてその蓋がいまになって開いたことは、単なる偶然ではないように思えてしまう。

「当時の彼女も本気で言ったんじゃないと思います。松村さんが実際に卒業したのはたしか二十八歳だったし。そんな人生だったら素敵だなという意味での発言だと思います。本人がそれを言ったことすら覚えていないかもしれません。

なのに、僕はいま変な気分です。松村沙友理がアイドルとして戻ってくるのを、どこか信じてみたいと思っている自分がいます。傷つくのを恐れている自分もずっといるけど、彼女の言葉を信じて待ってみたいと思っている自分もいるんです」

自分のなかでぼんやり思っていたことを、ついに言葉にしてしまった。それは自覚となってはっきり跳ね返ってくる。僕は恥ずかしくなった。だが恐る恐るサユリさんのほうを見ると、彼女はいままででいちばんの笑みを僕に向けてくれていた。


サユリさんが帰ったあとも、しばらくその笑顔が脳裏に焼き付いていた。僕は、やっぱり信じてみたくなった。



旬の食材で彩られた先付けを平井くんはあっという間に食べてしまった。懐石においてはタブーな行為だが、それが彼の若さを端的に表していて私は羨ましかった。次の料理が来るまで空っぽの皿を眺めて待たせるわけにもいかないので、平井くんに最近の仕事について質問しながら、味も見映えもこだわり抜かれた職人技を一品ずつゆっくりと味わっていた。

平井くんの活躍はもちろんよく知っている。そんな彼が、私を師と仰いでくれていると人伝に聞いた時は、驚きとともに少し誇らしい気持ちもした。DREAMLIVEのイベントで何度か挨拶したことはあったが、こうして平井くんのほうから「ふたりでお話がしたいです」と連絡してきたのは初めてのことだ。社長の椅子を譲って幹部の相談役に徹するようになってからは、この世代の子と話す機会がめっきり減ってしまった。

ようやく運ばれて来たお吸い物に、今度はなかなか手を出そうとしない平井くん。どうやらさっきの失敗に学んだらしいが、汁椀は先に蓋を開けておかないと、あとで痛い目を見るよ。まったく、いじらしい男だ。彼が業界の内外を問わず人気者なのも頷ける。だが、そう思うとなおさら気になるのは、こんな前途有望な若者が、「あのご隠居はもう庭の花に水をやるしか能がない」などと陰口を叩かれるこの年寄りに、いまさらなにを求めているのだろうか。

終盤になってやっとテンポをつかんだ平井くんと同じタイミングで茶碗蒸しを食べ終わったところで、私は本題へと彼を促した。平井くんはコップに半分以上残っていた水を飲み干して伏し目でゆっくり息を吐くと、私の目を見て話しはじめた。

「少し長くなってしまうのですが、僕の身の上ばなしを聞いていただけますか」

私は余計な茶々を入れず最後まで黙って聞くことにした。

「家族の影響もあって、幼い頃から音楽は身近な存在でした。家にあったピアノを毎日なんとなく弾いているうちに自然と曲を作るようになって、中学生でDTMに手を出しはじめる頃には、音楽を仕事にしたいと思うようになっていました。一般の大学に進学しましたが、やっぱり音楽への思いが捨てきれなくて、卒業後はバイトで生活費を稼ぎながら、ひたすら曲を作って動画サイトに投稿する生活がしばらく続きました。就職を選ばなかった時点で音楽家になる以外の道はないと覚悟していましたが、鳴かず飛ばずの日々に終わりが見えないのはとても苦しかったです。

一昔前なら、作詞作曲編曲に歌唱とMV制作まですべてひとりでやっているというだけでそこそこ注目されたんでしょうけど、その頃にはもうレッドオーシャンになっていて、全身全霊で作った曲が誰の目にも届かずに埋もれてしまっている悔しさがずっとありました。自分の作品に絶対の自信があったというよりも、とにかく他者からの評価を欲していました。

先生の半生とDREAMLIVEに懸ける思いについて綴った本を読んだのはそんな時です。世界にはこんな人間がいるのかと震えました。誰もが努力次第で夢を実現できる世界を作る。その先生の思いの強さと、それを実現させる行動力に深く感銘を受けました。この人が心血を注いで作ったものに触れてみたいという思いが、僕がDREAMLIVEでの配信をはじめるきっかけでした」

こんな人間がいるのかと震えた、か。たしかに若い頃の私は、同世代人と比べて激動の人生だったように思う。女手ひとつで育ててくれた最愛の母を八歳の時に失い、私は親戚の家に引き取られた。劣等感、貧困、まだバイトもできない年齢、当時は我が身に降りかかる過酷な運命のすべてを恨んだ。だがそんなコンプレックスは、自分の力でお金を稼ぐことへの狂気じみた執着になり、人の三倍の密度で生きてやるという闘志になった。

小学生時代に小遣い稼ぎのためにはじめたギターの弾き語りが原体験となって、二十六歳でDREAMLIVEを立ち上げた。数多の夢を乗せたこのライブ配信プラットフォームは、睡眠時間を削って奔走した運営チームの頑張りと、個性豊かな演者たちの熱量あふれるパフォーマンスによって、五年ほどで一大コンテンツになった。

「最初のほうの配信は自分の曲を宣伝することだけをやっていたんですけど、なかなか期待していた反応は得られなくて、いきなり挫折しました。

でも、ある時ふいに視聴者から質問が来たんです。配信画面の奥にスチールラックが映っていて、そこにたまたま僕の一軍のCDコレクションを並べていたんですけど、そのなかに視聴者さんが大好きなアルバムがあったらしく、居ても立ってもいられなくなってコメントしてくれたそうなんです。それが新鮮で嬉しくて。そこからだんだんと、視聴者さんが聞きたい話はなんだろうって考えるようになって、ボロアパートで起きた珍事件とか、趣味のCD蒐集の話をするようになりました。

自分でも喋るのが楽しくなってきて、色々工夫しているうちに、作曲家志望でフリートークがやけに面白い人がいるという評判が少しずつ広がって、その頃から楽曲の再生回数が伸びはじめたんです。業界の方から飲みに誘っていただくことも増えました。そしてついに念願の仕事のオファーをいただきました。それからは本当にたくさんの縁に恵まれて、ありがたいことに現在は音楽で飯が食えている状態です。

なんですけど、本当に恵まれているのはわかっているんですけど。仕事に追われる日々のなかで、なにかが失われていく感覚があるんです。相手の気持ちになって考えるっていうライブ配信で鍛えたスキルが、自分の音楽家としての強みであることは間違いないんですけど、その弊害というか、いつのまにか曲を作ることが、義務でしかなくなっていました。曲を提供して喜んでもらえるのはもちろん嬉しいんですけど、そこに本当の自分がいないんじゃないかって。ただただ音楽が好きで、作曲を楽しんでいた昔の自分がいない、と思ってしまったんです。

自分が本当に作りたい音楽ってなんだろうと悩んで、学生時代のメモ帳を見返したり、実家の押入れに眠らせていたCDを引っ張り出して聴いたりしました。それでもなかなか心の靄が晴れませんでした。

そんな答えの出ない日々が続いている時に、先生の本を読み返しました。久しぶりに読んで改めて震えました。先生の文章にあふれる熱量は少しも風化していなかったんです。いまの僕があるのはDREAMLIVEがあったからで、先生が僕の人生を変えてくれたんだと改めて思いました。でも、それだけじゃありません。

先生と一緒に仕事がしたい、先生に恩返しがしたい、そんな思いが心の底から燃え上がりました。努力が報われる世界を作るという先生の夢は本当に素敵で、ぜひその夢に、僕もお供させてほしいと思いました。僕は最高のエンタメを先生と一緒に届けたいんです。

それで、ですね、たとえば僕と先生の共同名義で作曲家オーディションとシンガーオーディションを同時開催するというのはどうでしょうか。参加資格はDREAMLIVEの配信者であること。そうすればプレイヤーとクリエイターの両方にとってDREAMLIVEが夢のある場所だとアピールできると思うんです。先生とDREAMLIVEに僕ができる最大の恩返しは、先生の情熱を、その情熱に救われた僕が次の世代に繋げることだと思っています。先生……」

さっきから先生先生と何度も呼ばれてなんだかこそばゆいが、この状況はどこか懐かしい感じもする。そうか、あの時か。三十六年前のロサンゼルスでもこんなふうに「若者」と「先生」による会食があった。

芸能界を志す人々にとってDREAMLIVEが本当に夢のある場所になるためには、メジャーなタレントにDREAMLIVEに参加してもらう必要があった。若き日の私が目をつけたのはアイドル、そのなかでもトップの人気と知名度を誇る秋元先生プロデュースのアイドルだった。

だが当時まだまだ無名だったDREAMLIVEにとって、それは簡単に手の届く相手ではなかった。熱烈なアタックのおかげで秋元先生に直接会ってプレゼンするチャンスを二度もらったが、いずれも玉砕した。

そんな難攻不落の巨城を落とす突破口を模索していた時、秋元先生がロサンゼルスに行くという情報が入った。私は迷わず情報をくれた人に「自分もちょうど同じタイミングでアメリカに出張するので、現地で秋元先生と合流させてください」とお願いして、返事も待たず飛行機に飛び乗った。あの頃の私は理想を実現するためならなんだってできた。

実際、この大胆な訪問は功を奏した。アメリカまでわざわざ会いに来た面白いヤツだというのをきっかけに、秋元先生が初めて私に興味を示しているという感覚があった。この千載一遇のチャンスを逃すまいと、エンタメに対する熱い思いやDREAMLIVEが目指す未来を全力でぶつけた。帰国後に再会した秋元先生から開口一番に「一緒に仕事をしよう」と言われた時は、DREAMLIVEが次のステージへ進むための扉を開いた音がして全身に鳥肌が立った。

最初に参加してもらったのはAKBグループ。その後すぐに乃木坂46にも参入してもらった。そして、私は沙友理と出会った。

松村沙友理は乃木坂のなかでも特にDREAM LIVEとの絡みが多いメンバーだった。仕事で一緒になるたびに、私はどんどん彼女に惹かれていった。最初はDREAMLIVEと新しい化学反応を起こしてくれる人として応援していたのが、気づけばひとりの女性として彼女を好きになっていた。

サービス精神あふれる彼女はいつだって与える人だった。私はそんな彼女の生き方を尊敬しながら、いつしか彼女が羽を休める場所に自分がなってあげたいと思うようになっていた。誰かが彼女を守らなければならない。募る思いが抑えられなくなって、グループ在籍中の彼女にプロポーズした。いま考えると、DREAMLIVEに協力してもらっている全アイドルからの信頼を失いかねない、代表取締役として非常に軽率な行為だ。

だが、沙友理からの返答は、「卒業まで待ってほしい」だった。私たちはお互いに思い合っていたが、彼女のグループ在籍中は仕事仲間の関係を貫いた。松村沙友理は二十八歳で乃木坂46を卒業し、数ヶ月の交際期間の後に私たちは入籍した。結婚してもうすぐ三十年になる。あっという間だったような気もするが、まあそれくらいは経ったかという妙な納得感もある。イケメン若手社長などと持て囃されたのはとうの昔の話で、いまの私は三十年の重さでちゃんと老けた。あの頃とはまるで別人だ。年月には逆らえない。

いや、そうではない。年月などではなく、私を変えたのは紛れもない私自身だった。夢のために命を燃やしていたかつての私はもういない。いまの私は、沙友理のために生きている。こんなことを平井くんに言ったら、彼は失望するだろうか。だが、これがいまの私なのだ。いまの私には沙友理の幸せ以外に望むものはないし、私にしか沙友理を幸せにすることはできない。世界のすべてが私たちに牙を剥いたあの時、私はこの命の限り彼女を守ると誓った。

だが、どんなに外敵からは守れても、内側からの攻撃には無力だった。普通の細胞がある日いきなりがん細胞になって増殖をはじめる。そんなことが沙友理のなかで起きていた。このやるせなさはどこにもぶつけようがなかった。幸いにもがんは早期の段階で発見されたため、内視鏡手術のみで完全に切除することができた。術後の経過も順調で二週間ほどまえに無事に退院し、現在は家でこれまでどおりの生活が送れている。体調はまったく問題なさそうだ。いくつになってもよく食べる、出会った頃から可愛くてキレイなままの沙友理だ。本当に素敵な女性だ。

ただ、心のなかはどうなのだろう。再発の可能性は低いとはいえ、一度がんを経験するとやはり色々と考えてしまうのだろうか。沙友理は時々、壁や床の一点を見つめてぼんやりしていることがある。病気になるよりも前から、それこそ芸能界を引退した頃からだろうか。その時の物憂げな表情もまた美しいのだが、彼女がその瞳の先になにを見ているのかわからなくて、私は少し怖くなるのだ。

どれだけ一緒にいる時間が長くても、人の心を完全に理解することはできないのかもしれない。たとえば私にプロポーズされた時や、卒業をメンバーとファンに伝えた時、あるいは沙友理の話を聞かないで私が突っ走ったことで、世間から電撃結婚と騒がれた時に沙友理が本当はなにを思っていたのか、それをすべて知っているのは沙友理だけだ。

だからせめて、私にできることはなんでもしてあげたいのだ。退院してからまだふたりでディナーに行けていなかった。沙友理が美味しいものを食べて、私はそんな沙友理を見る、これ以上の幸せはない。沙友理はなにが食べたいかな。私はひさしぶりに沙友理がお肉を食べているところが見たいな。

「……先生?……」

もうすぐ沙友理の誕生日だ。前に沙友理がとても喜んでくれて、また来たいと言っていた鉄板焼のお店があったはずだ。誕生日プレゼントはなにがいいかな。たしか、去年の誕生日にあげたのは

「……先生?」

……またやってしまった。歳を取ると人の話もろくに聞けなくなるのだ。

「いや、すまない。なんでもないんだ。歳のせいか近頃は集中力が続かなくてね。じつは―妻への誕生日プレゼントを考えていたとはさすがに言えない―妻がちょっと前まで入院しててね。大事には至らず二週間前に退院できたんだけど、今日は経過観察で病院に行ってるんだ。まあこの時間だともう帰ってるだろうけど、ちょっと気になってしまって。いや本当にすまない」

終わってから連絡がないということは、検査で特に問題はなかったらしい。

「いえいえ、そんな大変な時期だと知らず、長々としゃべってしまい申し訳ありません。奥様を大事にしていらっしゃるのも先生の尊敬しているところです。……ところで、オーディション企画については、いかがでしょうか?」

私はどう答えたらいいか少し悩んだ。まずは平井くんの思いが嬉しかったと素直に伝え、さらに彼への感謝の気持ちも言う必要がある。平井くんは私とDREAMLIVEに恩返ししたいと言ってくれたが、それはこちらも同じ気持ちなのだ。彼のような熱量と人情のある子が参加してくれたおかげで、DREAMLIVEは人肌の温もりを感じられる場所になった。株式会社DREAMLIVEの元代表取締役としてだけでなく、ひとりの人間として彼に協力してあげたいと心から思う。だが、彼はひとつ大きな間違いをしている。

彼が先生と呼んでいるのは、いまの私ではない。彼の尊敬する私はもういないのだ。君の目の前に座っているのは、ただの老いぼれだよ。夢だとか、努力だとかは、君たち若い世代で好きにやってくれ。この老体は、世界中の悪意から沙友理を守ることで精一杯だ。

あの頃、乃木坂46の松村沙友理は、みんなのアイドルであり続けようと常に努力していた。本当にいつも頑張っているのを私は見ていた。沙友理は女性にとってかけがえのない十年間を、ファンのために輝くことに費やしたんだ。その結果がああだなんて、おかしいじゃないか。誰かのために生きてきた人間が、なぜ心に傷を負っているんだ。あんなのは間違ってる。だからもう、沙友理には自分のために生きてほしいんだ。私が沙友理にできるのは、残りの人生を自分のために送らせてあげることだけなんだ。いまはもう、それ以外に望むものはなにもない。

結局、社長を辞めてからDREAMLIVE内での企画には口を出さないようにしていることを説明して、そのうえで平井くんとなにか一緒にできないか私のほうから会社に掛け合ってみるとだけ伝えた。平井くんは私の前向きな返事に喜んでくれたが、その表情は少し拍子抜けしたようにも見えた。



帰宅すると、沙友理がリビングでテレビを見ていた。画面に映っているのは、昔のライブ映像だ。沙友理は卒業後もこうしてひとりテレビに向かい、あとを託した仲間の活躍を見守ってきた。

ただ今日は少し様子が違う。これはおそらく卒業前のライブだ。沙友理が自分の現役時代の映像を見ているなんて、もしかするとこの三十年で初めてかもしれない。

「ただいま」
「おかえり」
「めずらしいね。どうしたの?」
「うん。なんかちょっとね」

沙友理からそれ以上の返事はなかった。私もなぜかそれ以上は聞くことができなかった。今日は久しぶりに若さを浴びて、なんだか疲れてしまった。

「自分はもう寝るから、沙友理もあんまり夜ふかししないでね」と言い残して、私はリビングをあとにした。



黒を基調にした店内は、天井から壁に当てられた間接照明によってやわらかい雰囲気を纏っている。電球色のスポットライトにやさしく照らされた柾目板の長いカウンター席に座ると、目の前に鉄板があって焼くところを間近で見ることができる。完全予約制の鉄板焼専門店は誰の目も気にすることのない空間だ。この場所なら、私の心のさざ波と、沙友理の胸に引っかかったものが少し晴れるかもしれない。そんな期待を抱いていた。

このところ、私は沙友理に違和感を感じていた。なにかを隠しているというより、なにかを思い出さないように抑え込んでいるように見える。入院してから、ぼーっとする回数がなんとなく増えたような気がしていたが、経過観察のあとからは目に見えて様子がおかしい。病気のことでなにかあるならどんな些細なことでも言ってほしいけど、もし本当にそうだとしたら、なぜいままで教えてくれなかったのだろうとも思ってしまう。沙友理のことをすべて知っていたいという気持ちが、沙友理のすべてを知ることはできないと逆説的に証明しているのだ。それでも私は、沙友理のすべてを知っていたい。

「入院生活はどうだった?」

「全然嫌じゃなかったよ。ご飯はおかわりできなかったけど、看護師さんがとっても元気な人で毎日笑ってた! 隣のベッドの〇〇さんとも仲良くなったし……」

そこまで言って沙友理から一瞬笑顔が消えた。自分で言った言葉で記憶の蓋が開いてしまったような、驚きを含んだ沈黙だった。しかしまたすぐに笑みを浮かべた。その笑顔はどこか憂いを含んでいた。その表情と、経過観察の夜に沙友理がライブ映像を見ていたことが脳内で落雷のように結びついて、嫌な予感がした。得体の知れない恐怖が私を飲み込んだ。

「なにか、あったの?」

そう聞くと、沙友理は「えへっ」ととぼけてみせた。なにかあるのは明らかだった。私が視線でもう一度同じ質問をすると、沙友理は頷きながら正面の鉄板に目をやって、ステーキ肉が焼かれるのをじっと見つめはじめた。私は彼女のなかにあるいくつもの迷いが整理されるのを待った。


「……ウチがまた、芸能界戻りたいって言ったら?」

ミディアムになろうとしている肉を見つめたまま沙友理は言った。私は脈が一気に早くなった。沙友理の意図が読めない。私は、沙友理にはもう芸能界への未練はないと思っていた。

「……戻りたいの?」

「……うーん、わかれへんけど、少しだけ思ってるかも」

「どうして?」

沙友理はまたしばらく黙り込んでから、ひとつずつ話しはじめた。

「……病院でお隣さんだった〇〇さんと仲良くなって、お話するようになったの。そしたらね、〇〇さんはむかし乃木坂46のファンだったんだって。しかも推しがわたしだったんだよ!」

私の知らない場所でそんなことが起きていたのか。全身が熱くなった。

「なんで早く言ってくれなかったの、言ってくれれば病院に頼んでベッドを代えてもらったのに」

「ううん。わたしはそれでよかったの」

それでよかったってどういう意味? なにを言われてもわたしは受け入れるって、それがわたしの背負う運命だからって、そういう意味? それは違う、それは沙友理のせいじゃない。私は三十年前の怒りに震えた。

「その人になにか言われなかった?」

「〇〇さんはそんな人じゃないよ。それにね、わたしのことに気づいてないの。〇〇さんと松村沙友理との青春時代を、隣のベッドのサユリさんとして聞かせてもらってたの。わたしは悩んだけど、結局最後まで自分からは言い出せなかった」

なるほど、なんだか不思議な話だ。三十年も経つと気づかないものなのか。

「〇〇さんはね、ずっと思い出そうとしていたことがあったの。わたしが乃木坂にいた頃に出た番組で、卒業について聞かれたわたしがなにか答えたんだって。直前までの映像は覚えているのに、そこでわたしがなんて答えたか思い出せないって言ってた。それが卒業発表する何年も前の番組みたいなの。それがわたしも思い出せなくて」と無意識に手で考えるポーズをしながら言って、沙友理はさらに話を続けた。

「経過観察で病院に行った時、〇〇さんの病室に顔を出したの。わたしが退院するタイミングで様態が悪くなっちゃって挨拶もできてなかったから。二週間ぶりに会ったら、〇〇さんわたしが番組で言ったことを思い出してたの。

四十六歳で卒業して、六十歳で可愛いおばあちゃんアイドルとして再デビューしたい

わたし、そう言ってたんだって。正直おぼえてなかったけど、たしかにそんな夢みたいなこと言ったかもなって。そしたらなんか、あの頃のことがブワーッと甦ってきちゃった」

そんなの初めて聞いた。たしかに夢に溢れた沙友理らしい言葉だ。いや、そうじゃない。

「そうなんだ。でも、もう長いことそれを忘れていたんだよね。思い出して、いきなり再デビューしたくなったの?」

「〇〇さんが言ったの。『当時の彼女も本気でそんなこと言ったんじゃないと思います。でも、それを信じてみたいと思ってる自分がいるんです』って。ずっとマイナス思考だった〇〇さんが初めて前向きなことを言ったの。わたしはそれが嬉しかった」

なるほど、沙友理らしい理由だ。それでも、やっぱり私は納得できない。その彼はたしかに心優しい人間なのかもしれない。だが世間にはそうじゃない人間もいる。

結婚を発表した時、沙友理はいわれのない攻撃を受けた。裏切られた、騙されたが奴らの言い分だった。結婚までの一般的な交際期間を持ち出して、卒業前から私達が付き合っていたのではないかという噂が流れた。彼女のアイドルとしての覚悟をバカにするな。沙友理はいつだってファンのことを考えていた。よく知りもしない奴が好き勝手に沙友理の努力を踏みにじるのが許せなかった。

だが、沙友理は言い返さなかった。すべてを受け入れて、あるいはすべてに疲れて、彼女は芸能界を引退した。私もそれを止めなかった。沙友理をひとりの女性として幸せにしてあげたいと思った。そんな彼女がいま、六十歳で再びアイドルとしてデビューしたいと言い出したのだ。

「ごめん。沙友理がつらい思いをするかもしれないことに賛成はできない。大変な仕事だってことは、沙友理がいちばんよく知っているよね。無理をすれば、健康にも少なからず影響が出る。それとも、このまま穏やかにふたりで暮らす、じゃダメなのかな」

「ううん。いまはとっても幸せ。あなたと出会えて結婚したことはわたしの幸せ。でもそれと同じくらい、アイドルとしての十年間は幸せだったなって。わたしはアイドルをやってよかったって思ってるし、わたしと出会ってくれて応援してくれたみんなにも、『松村沙友理に出会えてよかった』『松村沙友理を好きになってよかった』って思ってもらいたいの」

最後は私の目を見て言った。キレイな茶色い瞳に、沙友理の真っ直ぐな思いが映っていた。

「うん。わかった。その気持ちはわかった。でも、でもやっぱり、芸能界に戻ってほしくはない。沙友理はもうじゅうぶんすぎるくらい人のために生きてるよ。もう、自分の時間を大切にしていいんだよ。お願いだから、もうこの話は終わりにして」

私は三十年前の憤りが甦って頭に血がのぼっていた。沙友理の思いは理解できた。三十年の時を越えて帰ってきた還暦おばあちゃんアイドルというのはそれなりにインパクトもあって、実現は可能だと思う。それでも私は、首を縦に振ることができなかった。世界の悪意から沙友理を守ることが、私の使命だから。

その後はたあいのない話をするように努めたが、重たい空気は最後までふたりのあいだを漂っていた。肉が焼けるジューという音がこころなしか大きくなっていた。



サユリさんと再会したあと、僕は担当医にお願いして抗がん剤治療のセカンドラインに入った。「信じてみたいと思っている」などというまるで僕の口から発せられたと思えない言葉を反芻しているうちに、やがてすべての辻褄があったからだ。

積極的治療か緩和ケアかなんて本当はどっちでもよかったのかもしれない。欲しかったのは正しい答えじゃなくて、信じられるものだったんだ。


あれからサユリさんは度々お見舞いに来てくれるようになった。できることなら、少しでも快方に向かっているという報告をしたいところだが、なかなか元気な姿を見せられない自分が不甲斐ない。

頭痛や怠さはもはや日常で、ステロイドや抗がん剤の副作用によって外見にも変化があらわれはじめた。こんなことなら緩和ケアを選んで穏やかに死ねたほうがどんなに楽だったかと考えない日はないが、その度になぜかあの番組の映像が目に浮かび、松村沙友理の言葉が再生される。六十歳の松村沙友理はどんな女性になっているんだろうか。もしライブなんてやるとしたら、僕と同世代かもっと上の人達がタオルを首にかけて最前列を陣取っているに違いない。そんな光景を生で見たらおかしくて吹き出しちゃうな。なんて想像しているあいだに、痛みを忘れて自然と時間が流れていくのだ。



年が明け、冬の寒さも和らぎ、春がもうそこまで来ている。抗がん剤治療はサードラインに突入した。まもなく余命宣告から一年だ。結局セカンドラインの抗がん剤もあまり効果はなく、肺と脳ともに腫瘍はさらに大きくなってしまった。強くなるばかりの痛みを抑えるため、モルヒネの量もどんどん増えている。もうやめよう、楽になろうと何度も思った。再デビューなんてありえないさ。そんなことのために延命治療を選ぶなんてバカみたいじゃないか。自分のなかの弱り果てた自分がそう言い続けている。

しかし不思議なことに、信じてみたいと思っている自分が日に日にその存在感を増しているのだ。松村沙友理にもう一度だけ会いたい。僕は、自分の人生を肯定して死にたい。信じてよかったと思えるものがなにかひとつでもあれば、僕は自分の人生を肯定できるような気がするんだ。だから僕は、松村沙友理の再デビューを信じて待ちたい。

だが、身体は悲鳴を上げている。時間はあとどれくらい、残されているのだろうか。



住宅街の一角にある球技禁止の公園で、子どもたちがサッカーをやっている。鉄棒二個分とフェンスをゴールにして、男子小学生が流行りのサッカーアニメの技名を叫びあっている。そのなかに独り、仮想のコートをなんとなく往復しながらしけた面をした少年がいる。つまらなそうな顔で球の行方を眺めながら、時々ぼんやりと空を見上げている。なんとつまらない人生だと、悲劇の主人公を気取っているらしい。


騒々しい昼休みの教室で、眠そうな目で頬杖をつく少年がいる。キラキラした高校生活から背を向けるように、独り窓の外を見ている。この頃になると、自分の人生がつまらないのは自分がつまらない人間だからだと気づきはじめた。熱くなれるなにかを求めているが、行動する勇気はないらしい。


トイレの壁にへたり込む青年がいる。たったいま吐いたらしい。己の身の丈を忘れて希望なんて持ってしまった、僕だって熱くなれるんだと信じてしまった。だがそんな幻想は一瞬にして覚めた。鏡に映った自分の醜さに、嘔吐した。


独りの男性が医療用ベッドで苦しんでいる。僕はそれを天井から見下ろしている。ゴロゴロと痰が絡む音と、ベッドサイドモニタのアラーム音だけが静かな病室に響いている。外はこんなによく晴れているのに、この男性はもう二度と青空を見ることが叶わないようだ。肌は青白く、顔や足がむくんでいる。きっとステロイドの副作用だろう。これは一体誰なんだ。あれ、僕はいま、なにしてるんだっけ。



ああ、そうだ、僕はいま病院のベッドの上だったな。モルヒネの永続投与でも誤魔化しきれなかった激痛が、いまは消えている。もはや痛みを感じる必要もなくなったらしい。五十年以上連れ添った肉体が、活動を終えようとしているのがわかる。視界にはぼんやりとした薄明かりだけがかろうじて見える。僕の存在はこの世から少しずつ消えていって、やがて誰からも忘れられる。僕は死ぬんだ。なにも残せずに、独りで死ぬんだ。



さゆりんごに、会いたかったな。



そうだ、僕はさゆりんごに会うんだった。ここで終わったらさゆりんごに会えないじゃないか。六十歳になったさゆりんごは、どんな可愛いおばあちゃんになっているのかな。見たかったな。声を聞きたかったな。だけどもう、これはだめかもしれない。

指一本動かす力も出ない。電源はすでに落とされて、いまは全ての機能が停止に向かっている最中だ。ああ、終わっちゃうんだな。せめて、せめて最後にひとこと、さゆりんごにありがとうと言いたかった。どんな反応をされたっていいから、そう伝えたかった。

僕は死にたくない。さゆりんご、僕は死にたくないよ。君に会いたいよ。さゆりんごに会いたい。会って伝えたい。ありがとうって伝えたい。



「さゆりんごに会いたい」



……あたたかさ。右手が温かいなにかに包まれた。誰かが、僕の手を握っている。やさしさと、なつかしさを感じる。


誰かが、僕の名前を呼んでいる。声を震わせて何度も呼んでいる。泣いている。いちばん聞きたかった人の、いちばん聞きたくなかった声だ。


さゆりんごだ。さゆりんごが来てくれたんだ。さゆりんごが、会いに来てくれたんだ。さゆりんごだ。ずっと会いたかったさゆりんごだ。


ぼんやりと白んでいた視界に、はっきりとさゆりんごが見える。その手で僕の手を握って、その目で僕の目を見ている。声を詰まらせながら僕を呼んでいる。どうして、どうして泣いているの。僕は君に会えて嬉しいのに。泣かないで。やっと会えたんだから、笑ってよ。僕は君に笑ってほしいんだ。君の笑顔が、僕の光だったんだ。だから泣かないで。笑って。いままでも、これからも、君の笑顔がいちばんだから。



……ああ、そうだ、その笑顔だよ。
その笑顔を、僕はずっと待っていたんだ。



さゆりんごに出会えてよかった。



ありがとう……大好きだよ……。




看護師さんから電話をもらい、沙友理と私は病院へ向かった。先を急ぐ沙友理に置いて行かれないように息を切らせながら病室へたどり着くと、人工呼吸器を付けた危篤状態の彼がいた。沙友理は呼吸を整える間もなく彼のもとへ駆け寄ると、青白い彼の手を握って何度も名前を呼んだ。声を震わせながら、何度も彼を呼び戻そうとしていた。沙友理の涙を久しぶりに見た。きれいな涙だった。沙友理にとって、彼が本当に大切な人だったことが伝わってきた。


それは一瞬だった。彼は眠ったまま、魂だけがなにかに反応したように、その表情が一瞬だけ生命力を帯びたように見えた。

すると、沙友理は彼の名前を呼ぶのをやめて、思いっきり笑った。私は直感的に理解した。いま、ふたりだけにわかる心と心のやり取りがされている。

その刹那、時計の針は自由に動き回り、世界はふたりを中心に広がっていた。そこにいたのは紛れもなく、憧れの存在を前にして目を輝かせる青年と、その明るさで世界を照らすアイドルの姿だった。

気がつくと私も泣いていた。長いあいだ忘れてしまっていた、人の思いが紡ぐ世界の美しさ、そしてこの瞬間に立ち会えた喜びがこみあげてきた。私は心のなかで彼と約束をした。


それからすぐに彼は亡くなった。心臓が止まったその瞬間に、彼は私のなかで永遠に生き続ける友になった。帰りの車で、沙友理はアイドルとして再デビューしたいと改めて宣言した。私は、健康を第一優先にすることを条件にそれを受け入れ、応援すると伝えた。沿道では桜が咲きはじめていた。


 

彼の死から一週間が経ったある日の昼下がり、私は旧オフィス近くのコーヒーショップにいた。DREAMLIVEが走り出した直後の最も正念場だった時期に、朝方まで開いていたこのカフェで幾度となく睡魔との死闘を演じたものだ。久しぶりに訪れた思い出の場所であの頃と少しも変わらない三百円のコーヒーを飲みながら、私はある人物を待っていた。

しばらくすると、平井くんが緊張と高揚を携えたぎこちない歩き方でやって来た。テーブルの向かいに座った平井くんは、異様にワクワクソワソワした私の表情に気圧されたのか、はにかみながら「素敵なお店ですね」と調子を合わせるように言った。どこにでもあるチェーン店なのだが、私もなぜか「そーだろ?」と得意げに答えてしまった。平井くんが頼んだアイスカフェラテが来るのも待たずに私は話をはじめた。

「オーディションの件は順調に進んでいるみたいだね。会社に話しておくと言ってから返事が遅れてすまなかったね。企画運営にはあまり関われないが、私も審査委員として誠心誠意やろうと思ってるよ」

「はい。本当にありがとうございます。お返事をいただいた時は飛び上がるくらい嬉しかったです!」

本当に一点の曇りもなく無邪気に笑うやつだなぁと思いつつ、はやる気持ちが抑えられなかった私は間髪入れず本題へ入った。

「それでね、今日は別の頼みがあって来てもらったんだ。どうしても平井くんにお願いしたいことがあってね」

平井くんは真剣な眼差しで次の言葉を待っていた。

「私の妻の……いや、松村沙友理の再デビューシングルを君にプロデュースしてほしいんだ。世界一可愛い還暦おばあちゃんアイドル、松村沙友理のデビューシングルをね! どうかな?」

いきなりのことに平井くんはしばらくキョトンとしていたが、そこに含まれる意味をひととおり咀嚼すると、その目にクリエイター特有の眼光を宿らせた。

「めちゃくちゃワクワクしますね! 僕でよければぜひやらせてください! 先生からの直々の頼みというだけでも嬉しいのに、世界一可愛い還暦おばあちゃんアイドル、考えただけでワクワクが止まりません!

……ですが……本当に、いいんですか?……先生は奥様が芸能界に戻ることに、その、百パーセント賛成してらっしゃるのかな、と……」

私を先生と呼んでくれているだけあって、私の内面についての理解もなかなか年季が入っているようだ。もっともこの仕事を頼む以上、平井くんには思いの丈を包み隠さず話すつもりでいた。

「つい最近まで、沙友理には穏やかな生活を送らせてあげたいと思っていた。世間の目など気にしない暮らしをね。それはきっと、彼女から煌めくステージを奪った私の贖罪でもあったんだ。

でもね、この世界には、松村沙友理が帰ってくるのを待っている人がいたんだ。その人に出会って私は思い出した。沙友理はやっぱり世界を照らす光なんだよ。ステージの上でライトを浴びているのが彼女のあるべき姿なんだ。誰かのために心を尽くしている時の沙友理が、いちばんまぶしくて可愛くて偉大なんだ。

実はね、アイドルとして再デビューしたいと言ってきたのは沙友理からなんだよ。彼女のことだから、過去について掘り返されたり否定的なことを言ってくる人がいるのもじゅうぶん理解しているはずだ。それでも沙友理はステージに立つと言った。最初は反対したけれど、彼女の覚悟に負けたよ。沙友理が人生をかけてやりたいと思ったのなら、人生かけてそれを応援するのが私の務めだ。


松村沙友理を待っている人がいる。
だから彼女はもう一度ステージに立つ。
アイドルとは、そういうものだからね」



(完)

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▼制作の過程を綴った日記も更新中

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短篇小説集『ふりはる』松村沙友理篇は、2021年7月13日にいったん完成しました。

しかし、完成度に納得がいかず、書き直すことにしました。

その辺の経緯も『ふりはる制作日記』で綴っています。ぜひお読みください。

(2021.08.13 いたがきブログ)

▼松村沙友理篇や並行して制作中の西野七瀬篇などの制作過程は『ふりはる制作日記』でお楽しみください!


▼オーディオ・コメンタリー

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完成した作品を自分で読みながら解説や裏話をするオーディオ・コメンタリー動画をつくりました。

▼チャプター1

▼チャプター2

▼チャプター3

▼チャプター4


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