更生保護における「見守り」を巡って

 対人援助や教育の現場において、その対象者、利用者に対する関わり方として「見守る」という概念が「寄り添い」などとともに重要な位置を占めています。「子どもの成長を見守る」「地域で高齢者を見守る」などと使われますが、この対人関係における「見守る」という言葉には、間違いや事故がないように注意して、事の成り行きを注視する、注意深く見るといった意味があります。すなわち、その対象となる人から少し距離をおいて注意を払うことを意味し、さらに対象に対する「心配」や「気遣い」の気持ちが含まれていると言われます。確かに「厳しく見守る」とは言いませんね。対象の自発的、自主的な活動を尊重して、気遣いながらも、そっと離れたところから口出しをせず、その様子を注視している。そして、いったん間違いや事故が生じそうになったとき、あるいは生じたときには、さっと駆け寄って手を差し伸べる、あるいは厳しくしかることが、その背景に想定されているのだと思います。こうした、対象者の自立、自己決定を促す姿勢が、人の成長を支えることになるのでしょう。
 ところで、「見守る」という言葉は、法律用語としてはほとんど使われることはありませんが、更生保護法の前身である「犯罪者予防更生法」(以下旧法)においては、保護観察において行う指導監督の方法の一つとして「保護観察に付されている者と適当な接触を保ち、つねにその行状を見守ること」が規定されていました。法務省の私的な研究会が著した注釈においては、「その行状を見守る」とは、「監視」することではなく、「常時本人の行状に関心をもって、その実情の把握に努め、必要に応じて適切な指示、援助等を採ることができるようにしておく」意味であるとされていて、明確に「(厳しい)監視」を否定していました。
 その後、旧法は平成十九年六月に廃止され、新たに「更生保護法」(以下新法)が制定されました。新法は、平成十七年に相次いだ保護観察対象者(以下対象者)等による重大再犯事件を背景に、「強靭な」更生保護制度を実現する更生保護制度改革の過程で企画立案されたものです。その内容の柱の一つとして、保護観察における遵守事項の整理及び充実、明確化が示されました。例えば、対象者の生活実態をしっかり把握するため、対象者に対し、保護観察官らの求めに応じて面接を受けたり、勤務実態や経済状況などを示す書類の提出義務、住居の届出義務などが課されました。
 生活実態の把握に関して、新法においては、指導監督の方法の一つとして「面接その他の適当な方法により保護観察対象者と接触を保ち、その行状を把握すること」が規定されました。この条文において、「見守る」という言葉は「把握する」に置き換えられたのです。法案の議論の過程で、それまでの「見守る」も、刑事司法における再犯防止のために行う「監視」に他ならないという考えが強く示され、遵守事項違反があれば速やかに仮釈放の取消しなどの処分を行えるよう監視するために対象者の行状を把握するという考え方に変わったと考えられます。
 確かに法律の条文は変わりましたが、私たち民間人である保護司が対象者との関係を維持し、その更生を導いていく上で、やはり「監視」の姿勢は、対人援助の原則から見ても、対象者の不信や虚偽、隠蔽を招くだけになりかねないと思います。もとより四六時中監視することなどできるはずもありません。彼らが自ら私たちのもとに足を運び、腹を割って話ができることを通じてはじめて地域での保護観察が成立するのではないでしょうか。私たちの対象者との関係は、彼、彼女らに対する人間的な強い関心を持つこと、彼らの言動に敏感に反応すること、彼ら自身が自らの価値に気づけるよう促すことなどによって深められます。保護司レベルにおける「強靭な」更生保護とは、いくら彼らに裏切られても、なお関心を失わず、関わり続けようとするタフさなんだろうと思っています。距離感の判断、いざというときの行動判断など見守り続けることは実は難しいことですが、私たちは決して諦めません。


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