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建国記念の日に思ったことをツラツラと…

ああ、今日は「建国記念の日」か…
神武神話ではイワレヒコがスメラミコトを名乗ったのは1月1日だったのだが、明治政府が新暦への移行を理由に勝手に2月11日にしてしまったのだった。(何故新暦1月1日にしなかった!)
9世紀に力づくで征服された岩手には、実は神武神話などどうでも良い話なのだが、岩手の場合神武神話より「裏神話」のほうが重要で、裏神話ではイワレヒコに倒された畿内の王ナガスネヒコには兄アビヒコがいて、敗戦後、ナガスネヒコの戦士たちを連れて津軽に亡命し、そこで勢力を回復した。やがて彼らは岩手に南下し、奥州安倍氏の祖となった。

…ことになっている。

なっているだけで、これももちろん史実では無い。

元ネタの神武神話に対抗して戦国時代から江戸時代の間に誰かが創作し、人々に定着したんだろう。
ただ、歴史学がなかった時代なので、この裏神話は支配階級である武士にも定着し、戦国時代の安藤氏は幕末までそういう系図を守ってきた。
ついでに言うと、安倍晋三は奥州安倍氏の安倍宗任の子孫なので、さらに遠いご先祖様は神武天皇に誅伐されたアビヒコ・ナガスネヒコ兄弟ということになる。
晋三の父安倍晋太郎さんはそのことを知っていた。祖父安倍寛が家系を誇っていたおり、最晩年晋太郎さんは岩手詣でを繰り返したからだ。
当時晋太郎さんの秘書だった晋三も岩手に同行したので、このことをわかっているはずなのだが、みんなが知ってのとおり小学生並みの字も書けない計算も出来ないというXXなので、その後この件について晋三は何も言及していない。たぶん覚えられなかったんだろうな。

一方、弟の岸信夫さんはそのころから先祖の血筋について思うところがあったらしく父晋太郎さんとは別に自民岩手県連の玉澤徳一郎に誘われて来県し、それ以来、選挙のたびに中尊寺を訪れ、先祖にあたる奥州安倍氏の供養をしていた。

なお、俺は奥州安倍氏の同盟者金氏の末裔である。
金氏は奥州安倍氏の外戚で、当時日本の産金を支配しており、これを朝廷ではなく奥州安倍氏に献上していた。
平安中期、朝廷は金氏→奥州安倍氏→朝廷というルートで金を確保していたのだった。
その金氏は奥州12年合戦では安倍と朝廷と分裂して両方に加勢したので、戦後も没落することなく現地に継続した。
鎌倉幕府の成立で葛西氏の支配の下、政治的な主導権と同族的な結合を失ったが、そのせいでかえって室町から戦国の動乱では各分家が争うことなく勢力を維持・拡大し、江戸時代には仙台藩北部(岩手県南)の生産地帯は「どいつこいつも金氏」という状態になった。
現在も金、紺、昆、金野(こんの)、今野、紺野、昆野、金野(きんの)、今野、紺野などが全て金氏であり、数では圧倒的に繁栄している。
もはやここまで拡大すると直接の家族以外実際は他人なのだが、歴史と生活域を共有する遠い遠い親戚としての共感だけは残っている。
歴史はしばしば権力を握った有力者の系譜でつづってしまいがちだが、金氏のように権力の座から転落した方が繁栄している一族は日本中に存在するに違いない。
権力者に注目して日本の通史を語る態度はボチボチやめて良いんじゃ無いかな?

って、長々喋っているうちに建国記念の日の話じゃなくて一族自慢になってしまった。
まぁ良いんだ。誰も困らないよね。

あっはっは。

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