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愛すべきインチキ!板橋競馬場について

こんばんは。板橋競馬倶楽部です。

どうですか? 馬券当たってますか? 私はと言えば、スプリンターズステークスからG1は連敗続き。インチキと暮らす新しい生活様式にすっかり慣れつつあります。

さて、今回はレースとは離れた話題です。

板橋競馬場のことを知ったのは、いかさんのこのツイートでした。驚くべきことに、我らが愛する麗しのパリこと板橋区に競馬場が存在したというのです!

ウィキペディアによると、その競馬場があったのは東武東上線「大山」駅の近く。今からさかのぼること100年以上前の1908(明治41)年からたった2年間だけ存在したそうです。

そんな板橋競馬場ですが、知れば知るほどひどい競馬場だったということがわかってきました。​以下、ウィキより転載。

板橋競馬場は競馬会側の資料がほとんど焼失しているため現代では詳細は分からないことが多いが、八百長の横行や運営会社の内紛、馬場・施設の劣悪さなど悪評が多く伝わっている競馬場である。
競馬場の経営会社の設立にも横領や不正が絡んでいる。(中略)当時の競馬雑誌『馬匹世界』では東京ジョッケー倶楽部の幹部たちを前科者だの猿に衣裳だのと罵倒している。

マスコミに「前科者」とか「猿」とか叩かれる競馬場の幹部。最悪です。

板橋競馬場では初日から連日、露骨な八百長が行われたと指弾の的になっている。
東京ジョッケー倶楽部会員の持ち馬と非会員の持ち馬がきわどい勝負になると判定は必ず東京ジョッケー倶楽部会員の持ち馬の勝ちになったという。また、当時のスタートはスタートライン上に張ったロープを跳ね上げる方式だったので、東京ジョッケー倶楽部の非会員の有力持ち馬が後ろや横を向いたタイミングでスタートさせることも行われたという。不正は騎手同士でも行われ、弱い馬をわざと勝たせていたという。騎手自身が賭け金に手を出すことが出来たからだという(現代の競馬では関係者が馬券を買うことは禁じられている)。

胴元が100%勝つカイジのような環境。騎手も騎手で握り合ってやりたい放題。富国強兵のダイナミズム感じる。

発馬係や検定係を務めていた外国人は板橋競馬場の不正があまりに酷いので憤慨して辞任したという。

なんか、うちのやつらがどうもすみませんでした。


そんな板橋競馬場での記念すべき第一回開催は天候にも恵まれなかったようで、こんな記述があります。

天候は2日目の曇天以外は雨で一帯の地盤は粘土質の為、競馬場の内外が泥濘膝を没するという状態となり観客も泥にまみれ、馬も泥濘に足を取られ落馬が続出したという。交通の足となる人力車も高額な料金を吹っ掛けたが、車夫がいうには雨中このすべりやすい泥濘の中を車を引いて走るのは命がけなので危険手当もあるとのことで、これを報じる競馬雑誌も一理あると書いている

競馬場に行くまでにぼったくられ、泥まみれで観戦したインチキレースでさらにぼったくられる観客たち。そんなんだから第三回にはこんな状態になります。

新聞も『作二日目の板橋競馬は初日にも増したる寂しさ只徒に馬主と刑事のみウヨウヨと場内に彷徨するのみ、(後略)

競馬場にはインチキ馬主と刑事しかいなくなりました。ドロケイです。

そしてこの第三回開催を最後に板橋競馬場は閉鎖します。こち亀のオチのようにすがすがしいラストに感動すら覚えてしまいます。

いかがだったでしょうか。我らが板橋競馬倶楽部にふさわしい競馬場だと思いませんか? 残念ながら現在、競馬場の面影はなくなっているようですが、近いうちに現地をレポートしてみたいと思います。

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