ベネチア郊外の小さな町へ。130年以上の歴史あるパティスリーを訪ねて
イタリア北東部に在住する私ミヤコが、ベネチア郊外の小さな町ミラーノ(Mirano)を訪ねてきました。目的は老舗のパティスリー「パスティッチェリア・トノロ(Pasticceria Tonolo)」。ここは、1909年のパリで開催された国際博覧会のコンペティションで優勝したという、130年以上もの歴史があるお店なんです! まるで文化遺産のような老舗が、なぜこんなに小さな町で今も続いているのか? 変わらず続くおいしさと、地域愛の秘密を聞いてきました。
歴史が残るミラーノの市街地に佇む小さなお店
まず、ミラーノ(Mirano:以下、ミラーノ)と、ミラノ(Milano)とは別の町です。“R”と“L”が違う日本人泣かせの発音ですよね。一般的にみんなが思い浮かべるミラノはイタリア北西部ロンバルディア州の大都市です。一方、私が訪れたミラーノは、イタリア北東部ベネト州の一角にある人口約2万7千人ほどの田園都市。ベネチアから西へ18kmの場所に位置しています。
ローマ時代に遡ることができるほど歴史があり、ベネチア共和国とつながる建物も多く残っている町です。
パスティッチェリア・トノロ(以下、トノロ)は、ミラーノの中心地にあります。控えめで小さな入り口。その上に掲げられている店名は、卵黄を思わせる黄色で、中からは甘い香りが漂ってきます。
現在は、創業者からみて6代目にあたる兄弟が、経営をされています。今回、取材をお願いしたら快く引き受けてくださり、お店を担当されているロベルタさんがお話をしてくださいました。
130年以上も前に創業されたパティスリー
_まず、このお店の歴史を聞かせてください。
ロベルタ:私たちのお店は、6代前の先祖ジュゼッペ・トノロから始まり、記録によると1886年の創業になります。しかし、これは正確な数字だとは思っていません。本当はその数年前に創業したのはずなのですが、残念ながら古い資料がないんです。
昔は菓子類だけでなく、パンも焼いていたそうです。その後、代々続いていくうちにパティスリー専門店になり、今、私たち兄弟がこのお店を継いでいます。
1909年にはパリで開催された国際博覧会に出品し、当店のベネチア風のフォカッチャがグランプリを受賞しました(注:表面にアーモンドがのっているフワフワの甘い生地が特徴。ジェノバのフォカッチャとは別物)。
その博覧会では産業アカデミーのコンペティションがあり、各国から選りすぐりの人が参加していました。パンやお菓子だけでなく、食べ物に関するイベントだったのです。
そこでグランプリを受賞した2年後、ローマで同じようなイベントが開催され、こちらでも優勝しています。
当時から卓越したおいしさだったんですねと言うと、「その時代は参加者の数が少なかったから」と謙遜されるロベルタさん。しかし、優勝時のお菓子は現在どうなっているのでしょうか? 続けて聞いてみました。
グランプリを取ったレシピは今も同じ
-優勝したベネチア風フォカッチャは、今でも同じレシピで作っているのですか?
ロベルタ:今でも私たちのレシピは、先祖が残したものとまったく同じで、一切手を加えていません。新しいお菓子もありますが、伝統的なお菓子はオリジナルのレシピで作っています。
クリームはシンプルに、卵、小麦粉、砂糖、牛乳だけで作ります。つまり、家で作るのと同じ方法です。違いは作る量が多いだけです。
卵も一つ一つを手で割ります。卵を割る機械さえもありません。
生地の発酵には最低でも12時間かけています。季節によって温度管理が変わるので、手間もかかります。
-ベネチア風フォカッチャは、パスクワ(復活祭)のある4月周辺だけ販売されるんですか? 主にパスクワのお祭りで食べるお菓子ですよね。
いえ、ベネチア風フォカッチャは、涼しい時期に販売しています。10月くらいから始めて、パスクワの時期、4月前後まで作ります。今年は涼しかったのでパスクワの後でも作りましたが、年によりますね。今の時期(注:インタビューは5月末)は暖かすぎて、発酵がうまくいかないから作りません。
-こんなに手間がかかっているのに、他のお店より良心的な価格です。その理由を教えてください
販売量が多いので、価格を低めに設定することができるんです。
もちろん、材料費は上がっていきますが。 でもリーズナブルな価格を保てるのは、たくさん売っているから、たくさんのお客さんがいるから、レストランなどにも卸しているからです。
また、バランスのとれた品質と価格が私たちのポリシーなんです。
お客さんを満足させることと正直な価格であることしか考えていません。
ここで私は涙目になってしまいました。私もこのお店の長年のファンです。おいしいお菓子の裏側にある、経営者の努力とお客さんへの真摯な思いに感激してしまいました。
歴史と一緒にお菓子とコーヒーを味わえる場所
-お店の内装も歴史を感じさせる重厚さがありますね。
ロベルタ:今の内装は1984年に改装したものです。
当時としてはかなりモダンで、設計をした建築家が「飽きのこない内装だから、時間が経つほど美しくなるよ」と言っていて、本当にそのとおりになりました。
店内にはアーモンドを砕くための石製の大きな乳鉢があります。これは祖父の代まで使っていました。冷蔵庫の上に乗っている銅製の鍋は、クリームを煮るのに使っていたものです。
壁にはフリッテッレ(ベネチア風ドーナッツ)を乗せていたお皿が飾ってあります。博物館のように、先祖代々が使っていた道具を飾っています。
ここで、本業で店舗設計をしている私ミヤコから内装の説明をさせてください。
まず、私のお気に入りは重厚なカウンター!
側面はカラフルな大理石をパズルのように組み合わせて作られています。職人さんの緻密な腕に敬服します。
そして、カウンタートップはなんとメノウの一種であるオニキス。こんなに分厚いオニキスを惜しげもなく使うなんて! 今では、こだわりの強い施主でも注文できないほど貴重な石です。
そして、見どころはシャンデリア。Vistosi社のGiogaliというモデルで、50年代ごろに設置されたものだそう。小さなパーツを組み合わせられるので、サイズや形は自由自在。このシャンデリアのおかげでVistosi社が有名になったくらいの代表作です。
内装の説明をしていた時のロベルタさんは、誇らしそうに微笑んでいました。プラスチックが氾濫している現代では、このように本物の素材を使うお店は稀です。
-コーヒーカップのことも聞かせてください。他のお店では見かけない薄いカップを使っていますよね。
ロベルタ:私より年上の親戚の話では、昔からずっとこのエスプレッソカップを使っているそうです。ドイツのメーカーに問い合わせをしたら、すでに製造中止になっているので、もう入荷できないことがわかりました。現在は在庫が少なくなってきているので、後々問題になるかもしれません。
もし、カップを変えることになっても、お客さんたちは変わらず私たちのお店を愛してくれたらいいのですが。
老舗のパティスリーは、これからどこへ行くのか
実はこのトノロ、18km先のベネチア本島にも支店があります。ベネチア人のお気に入りのお店で、本店がミラーノにあることを伝えると、みんな信じたくないような苦い顔をします。「トノロのお菓子を食べられるのはベネチアだけの特権だと思ってたのに」というような。
大きく栄えた都市でもあるベネチア、ロベルタさんはどう考えているのでしょうか。
-あなた方はずっとミラーノに店を構えていますが、ベネチアにも支店がありますよね。
ロベルタ:1950年代に叔母が叔父と一緒にベネチアへ行って店を出しました。
叔父はもう亡くなったので、今はその妻と子供たちが引き継いでいます。
-お店や家族をすべてベネチアに移そうとは思わなかったんですか?
ロベルタ:いえ、これでいいんですよ。こちらはこちら、あちらあちらです。
叔父の家族はずっと向こうでやっていて、父と私たちはずっとこちらでやっています。 私たちは仲がいいし、必要な時はお互いに助け合いますよ。
私は生まれ育ったこの町が一番好きなんです。
私はミラーノの広場で暮らしていて、買い物に行くのもこのミラーノ。他の町には行かないし、他の国に行くこともありません。
私は、ここミラーノに根ざしています。
先のことはまだわかりませんが、今はこうして、ここで伝統を受け継ごうと思っています。
ミラーノの広場ではイベントがよく行われます。月曜日は朝市が立つし、蚤の市も月に一度は開催されます。
その度に近隣から人が集まり、トノロの小さな店内は、身動きが取れないくらい人でいっぱいに!
私も手土産を持っていく時は、トノロのお菓子を選びます。受け取った人は、包み紙を見ただけで弾けるように喜んでくれるんですよ。
地域の人にこれほど愛されているお店のお菓子を、ずっと味わえることを願っています。
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