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神に呼ばれた話

神社に呼ばれた話を聞いたことがあった。神社に限らず、ヒトは時おり無意識に誘われるかのようにその土地を目指す衝動に駆られることがあるだろう。それはディズニーランドなどのテーマパークや、銀座のブランドショップ、海や山などの自然かもしれないが、ある場所を目指している途中に偶然神社に立ち寄る流れになることがある。秩父夜祭りを見に行く流れで三峯神社を参拝したり、スピリチュアルインフルエンサーとの懇親会ついでに鹿島神宮、そして今日は、仕事のついでに府中の大國魂神社へ立ち寄ることになった。

朝イチの仕事を終えて事務所に戻る道すがら、緊急で次の仕事が入った。初めて行く現場だがよくある現象なので調査に行ってくれとのことで、昼食を取ってから時間に余裕を持たせて移動を開始した。初めて行く現場は駐車場の有無を知らないため早めに到着し、駐車場が無ければ近隣のコインパーキングを探す必要がある。案の定今回も駐車場なしの現場だと通りすがりに視認して、やや通り過ぎた場所にふと目に止まったのが、大國魂神社のコインパーキングだった。これはここに停めろという事だと、私の直感は決断したのである。

大國魂神社は府中駅の目抜き通りに位置し、かつて国府があった府中はもちろん、武蔵国の関東全域を束ねる神社に相当するらしく大変由緒があるのだと調べて分かった。存在自体は知っていたがご利益やご祭神様については知識がなく、そもそもあまり神社の由来に興味がない。ただ呼ばれたからにはご縁があるものと受け取って誘われるように車を停めて、ひとまず現場入り。作業自体は予測がピタリと的中し、数分で解決に至ってお客様からは大変な感謝を頂いた。気分よく車に戻って道具を仕舞い、カメラだけ持参して表参道を歩く。小休止がてら境内を散策する事にしたのである。

私は龍や狛犬が好きなので、彫像を見つけては撮りたくる。造形や表情をじっくり観察して、どんな意図があるのか思いを巡らせる。手水場の龍は珍しくカップルが向かい合う構成で、これはまさに今私が悩んでいるツインレイ問題だと勝手に解釈した。それよりも鏡の理論的に、自らが見つめる相手もまた自分を見つめて、その瞳の中に互いの宇宙を感じる側面を示唆しているのか。身が引き締まるのを覚えつつ手と口を清めて、本殿に向かった。平日の午後は閑散としていて、七五三のお参りや老齢のご夫婦などがちらほら。若い女性の単独巡礼も意味深で、何かのご利益を得られたら良いなぁと背中を応援してしまう。そう言えばご利益は安産祈願だったっけ。


本殿の作りに装飾などの派手さはなく、落ち着いた印象だった。二礼二拍一礼の間に呼吸を整えつつ、自らの宇宙を優しい世界に染めていく決意を改めて誓う。1年間を振り返って数多くの守護と援助を頂戴してきた。夢にまで見た奇蹟を実現させてきたけど、夢に映ったということは現実化の素養があったということ。夢に描けない内容を現実化させることは難しい。ということはいろんなことに興味を持って夢を創ることから始めたらあなたの宇宙は拡大していくのだろう。


参拝を終えると本殿右手に気配を感じたので近寄ってみると別の鳥居と祠があって、説明文には住吉神社の隣に「大鷲神社」とあった。ちょうど今占星術的にはイーグルズゲートと呼ばれる転換期らしく、前回のライオンズゲートで大きな変化を体験した私としては目をむくほど驚き、ここに呼ばれたのかと察した。いよいよ腹を括らなければならないけど覚悟は良いか?と問われる。覚悟も何もなるようにしかならないのだから、一瞬一瞬のイベントをしっかりと味わいつつ自分のペースで歩んでいくだけ。ある意味それが私の覚悟だと悟って、次に樹齢一千年の大銀杏を見に行った。

本殿の裏手に佇む大銀杏は単独の樹木ではなく、多くの幹が結集していた。屋久島で見た杉のように太くて力強く、大地のエネルギーを蓄えて荘厳な面持ちにも関わらず威圧感とは無縁で、無限の優しさを漂わせていた。御神木は触れなかったので隣のイチョウを触ってみたが、心地よい清涼感を覚えた。木は氣を蓄える。抱きつきたい衝動に駆られたが、必要な分だけ頂いて謙虚にお別れした。その後は水神社や鼓楼などを訪問して、神社とは古のテーマパークだったのだなぁと実感した。手漉き和紙の御朱印を拝受して帰途に就いた。


東京に居られるのも残り2ヶ月。寂しくはないが、経験を活かせる次のステージは未だに模索中である。なるようになると思っている。

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