「ブランコ」(小説)
「僕は、大学に行くつもりはないよ」
公園のブランコを漕ぎながら彼は楽しそうに言った。
まるで彼を祝福するかのように雲一つない空から陽が降り注ぐ。
ブランコで遊ぶその友人は、身長がそれほど高くはなく、肩幅も広くない。華奢な体型である。
丸くて大きな瞳をもち、鼻筋が通り、少し茶色がかった短髪がよく似合っている。
その短髪も赤い毛糸の帽子で隠れてはいるが、端正な顔立ちであることがはっきりと見て取れる。
童顔で可愛らしいといったら失礼だろうが、制服を着ていなければおそらく高校生とは思われないだろう。
紺色のダッフルコートにブラウンのミトン手袋をして、少し大きめのタータンチェックのマフラーが印象的だ。
いつもは子供たちの笑い声で溢れているこの公園も、天気とは裏腹に自分たち以外は誰の姿も見えない。
あるのは足首ほどまで積もった雪とぽつんと佇む遊具だけ。
昔は夢中になって登ったジャングルジムも、今は「使用禁止」の張り紙がされている。
子供たちが泥だらけになりながら楽しそうに自分の夢の世界を作り上げる砂場もいまは雪に埋もれて見えなくなっている。
時折吹く風が頬を刺す。顔が紅潮する。
しかし、顔が紅潮したのは凍てつく風によるものだけではないらしい。
大学に行くつもりがない。
彼のその言葉に衝撃を受けたからだ。
私は隣のブランコに腰かけていたが、思わず立ち上がりそうになるほどだった。
ゆらゆらと軽快に動くブランコの隣で、私の心の中では様々な感情がこみあげてくるのがわかった。
(私よりずっと頭の良い彼が進学しないなんて・・・。)
そのことに苛立ちを覚えたのか、或いは彼よりも成績の悪い自分が大学進学を目指していることに惨めさを感じたのか、私はつい皮肉なことを口走ってしまった。
「変わっていますね。」
白い息と共に発したその言葉を今でも忘れられない。
すると彼は地面に足をつけ、ブランコを漕ぐのをやめた。
そして、こちらのほうを向いて笑顔でこう答えた。
「フフッ、よく言われれるよ。」
そう言い終わった後、再びブランコを漕ぎ始めた。
どうやら私の言葉など意に介していないらしい。良かった。そう安堵していると続けて彼は言った。
「いい加減その敬語やめていいのに。同級生なんだし、友達なんだし、タメ口で話そうよ。」
「善処し・・・するよ」
「うん、あんまり無理はしなくて良いけどね」
私は友人である彼に対してもつい敬語を使ってしまう。元々の性格と割り切ってしまえば楽なのだろうが、この性格ゆえ友人と呼べる人は彼以外にいない。
その彼が大学へ進学しないというのだから驚いた。てっきり進学するものだと思っていたからだ。
驚きを抑えながらさらに突っ込んで聞いてみることにした。
「専門学校とか、それか就職ですか。」
「ううん、どちらでもないよ」
(えっ・・・。)
どちらかに進むであろうと思っていたのに意外な答えが返ってきてさらに私は戸惑った。
彼はこう続けた。
「映画、撮りたいんだ」
二度目の想定外の答えに私はそのときどういう表情をしていたのかわからない。
どのように返答してよいのか困っていると、彼はいたずらな表情をしながら私に言ってきた。
「ね、だから変わってるでしょ。」
なんと皮肉を言ってしまった私の言葉を彼は素直に受け止め肯定し、そして突き返してきた。
「映画を作るのってすごくお金がかかるでしょ。だから、お金は全部そのために使いたいんだ。」
「アルバイトしながらちょっとずつお金を貯めて頑張るつもりだよ。」
要するに学費があったら映画を撮ることに使いたい。
学位を取ることよりも映画を撮ることに時間を使いたい。
そういうことなのだろう。
大学や専門学校に通うこと、就職よりも映画を優先させる。
私にはそれが理解できなかった。
そこまでして映画を撮る意味があるのか、馬鹿げている、そんなのは夢物語だ、頭が良いのにもったいない。
様々な言葉が脳裏を過ったが、大切な友人に対して今度は皮肉なことは言うまいとぐっとこらえた。
「僕も聞きたい!!」
彼はきらきらとした目で問いかけてくる。
「君は進路どうするの?」
「とりあえず大学進学ですかね。」
「それで卒業後は?」
「そうですね、公務員とかですかね。」
「へぇ、すごいじゃん!!頑張ってね!!」
「はい・・・。」
勢いに押されて何となく答えてしまったが、少なくとも私の目指す道は安定しているし、無難であるだろう。
民間企業ではないので倒産するリスクもないし、ボーナスもきちんと出る。この不安定な世の中での最適解だと思っている。
ところが同時に映画を撮りたいと豪語する人間から見たら私はいったいどううつっているのか。
なぜだかはわからないが私はそれが無性に気になった。
相変わらず彼は隣で前後に足を揺らしながらブランコを漕いでいる。
「ブランコそんなに楽しいですか。」
「うん、楽しい!!」
「君もやってみたら。きっと気持ちいいよ!!」
彼は屈託のない笑顔ですすめてくる。
しかし、私はどうしてもブランコを漕ぐような気持ちにはなれなかった。
「遠慮しておきます。」
私がそう言うと、めずらしく少し沈んだ声で「それは残念だなあ。」と返してきた。
そこで会話は止まってしまった。
そこから幾ばくかの時が過ぎたのであろうか。
彼はその静寂を破るようにブランコから飛び降り、両手を左右に大きく広げポーズをとってつぶやく。
「決まった。」
ブランコから降りただけなのにまるで自分が体操選手であるが如く、或いは彼に言わせれば映画のヒーローが如くといったほうが好ましいのだろうか、とても満足げな顔をしている。
「じゃあ、僕この後予定あるからまたね。フフッ、映画監督は色々忙しいのさ。」
そう言って彼は立ち去ろうとする。
そのときの私にはそれが彼なりの冗談なのか、或いは本気で言っているのかがよく分からなかった。
笑っていいものか、笑ったら失礼なのか。
しばらく逡巡していると、私は彼が飛び降りたブランコがいまだ前後に動き続けていることに気がついた。
話題を変えようと私が「このままだと危ないと思うのですが」と言うと、彼は「ごめん、止めておいてくれる?」と頼んできた。
私は立ち上がり仕方なく動くブランコのチェーン部分をつかみ静止させる。
それを見て彼はありがとうと感謝の意を表し、ぺこりと頭を下げる。
彼は再び公園の出口へ向かおうとする。
私と帰り道は逆方向なのだが、一人で歩いて帰ろうとする彼の後ろ姿を見て思わず「駅までバイクで送ります、近くの駐車場に止めてあるので。」と声をかけていた。
ところが彼は申し訳なさそうな顔をするので、「では公園の出口まで一緒に行きま・・・行こう。」と言うと、今度はうれしそうな顔をして手袋越しに親指を上に上げた。
私たちは公園の出口まで一緒に歩いた。
その間二人の間に会話はなかった。
それでも彼が笑顔で鼻歌を歌いながら大手を振って歩いている様子を見ると、どうやら気分を害したというわけではないらしいことが見て取れた。
段々と公園の出入り口に設置された車止めが見えてくる。
出口に到着すると、別れの挨拶のつもりなのか、それとも私がタメ口で話そうとしたことがうれしかったのか、彼は握手を求めてきた。
「私の手冷たいから」と言い訳をして断ろうとしたが、彼は「大丈夫、僕の手は温かいから」と言って先ほどまで身に着けていた手袋をとって、こちらに向かって手をさしだす。
私は俯き加減でさしだされた手を握り返す。
「温かい」
思いがけず口に出してしまっていたらしい。
「だから言ったでしょ。」
彼は弾けるような笑顔でこちらをのぞきこむ。
それに満足したのか、彼は再び手袋をはめ、公園を後にして駅の方向へ向かう。
私はその後ろ姿を眺めながら見送る。
30メートルほど離れたくらいであろうか。
彼が後ろを振り向き、こちらに向かって両手を大きく振るので、私は右手を少しだけ挙げてそれに返答する。
彼の姿が見えなくなったあと、空を見上げるといつの間にか曇天になり雪がちらついていることに気づく。
また一段と冷え込んできたようだ。
「今夜は積もるかな」
かじかんだ手を上着のポケットに突っ込む。
私は受験勉強のためにとポケットの中に入れておいた英単語帳を強く握った。
しかし、その手には先ほどの彼の手の温もりが残っていた。
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