見出し画像

「ユダヤの商法」マーケティング

 こんばんは。遅い時間に失礼します。
 今夜も、ここにお越しくださり、ありがとうございます。

 今日は、試行も新たに、今まで読んだ本の中の一つ、「マーケティング」の神髄として君臨する書籍「ユダヤの商法」の紹介をしていこうかなと思います。 どうぞ、最後までお付き合い、よろしくお願いします。

 著者の紹介を少し。
 「日本マクドナルド創業者 藤田田(デン)さん」が書かれた不朽の名著です。
 「銀座のユダヤ人」と外国人パートナーから呼ばれ、商売のルールや信用度に厳しい世界のユダヤ人から「藤田はユダヤ人だ」と言わしめた日本人だったそうで、本の中には「藤田氏の勝負処の勘」や「先見の明」のエピソードが沢山詰まった内容になっていて、とても痛快です。

 時代背景が今とは違っていることもありますが、当時の世の中の様子がうっすらと子供の頃の記憶として残っている和多志にとっても、とても印象に残りやすい内容でした。
 もちろん、既にサクセスストーリーともなっているので、次々に内容が把握できる読み物にもなっています。

 「すべてのエピソード・鉄則」を書き込んでしまうのは、出版社に喧嘩を売ることになりそうなので、いくつかとても印象に残ったエピソードと、当時の時代背景を交えて、和多志なりの解釈を加えてみたいと思います。

Photo by Joshua Austin

「お金の欲しい人が読んでください」

いきなりですが、「あとがきにかえて」にいいことが書いてありますので、こちらから紹介します。要約して書きます。

「お金が欲しいと思う人、この本を読んで『ユダヤの商法』を実行してください。お金に慕われる人になります。」

 「いい男のところには、いい女が斜めになって寄ってくるものです。それと同じように、ユダヤ商法を身に付けた人は、お金にとって”いい男”になるのです。

 「これまで、経済書や商法の本が数々出版されてきましたが、どれにも不思議なことに”こうすれば必ずお金が儲かります”というお金儲けの法則は書いてありませんでした。そういった本の著者がお金儲けなんかしたことがない”学者だったから”なのです」

 だ、そうです。( *´艸`)


Photo by Abenteuer Albanien

78対22の法則

 商売においてだけでなく、この世界の原理原則として「78対22の法則」というのが成り立っているらしい。

 とても有名なので、知っている人は沢山いるとは思うが、知らない人の為に、是非紹介したい。

 地球は78対22の割合のもので溢れかえっている。
 例えば、空気中の気体は、窒素78対、酸素を含めその他の気体が22の割合。

人の身体の水分は78%、その他22%の割合。

正方形と内接する円の面積を比べた場合、円の面積が78に対して、正方形のその他の部分の面積が22にだいたいなっている。一辺が10cmの正方形を考えれば計算しやすい。78.5㎠ 対 21.5㎠ になる。

 世の中にいる「金を貸したい人」「金を借りたい人」の割合も、78対22の割合なんだそうだ。これは、「金を借りたい人」が78ではなく、「金を貸したい人」が78だということが明らかになっているらしい。

 かつて、マクドナルドではライトミールセットとして、セットメニューに「390(サンキュー)セット」というのがあった。
 ハンバーガー、ポテト(S)、ソーダ(飲み物 S)が揃って、390円だった。ハンバーガー、ソーダは種類を選べて、特にハンバーガーは、チーズバーガー、フィレオフィッシュ、ソーセージマフィンの中から選べたので、飛ぶように売れていったのを覚えている。

 高校生当時、マクドナルドでアルバイトをしていた。印象深い。

 もちろん、当時は『「ダジャレ」を効かせたネーミングなだけ』だとばっかり思っていた。
 しかし、藤田社長の、この値段設定には、「ユダヤの商法78対22の法則」がしっかり刻まれていたのである。

 1983年に登場した500円玉を出して、390セットを買うと、おつりが110円、そのセットの値段と却ってくるおつりの割合いが78対22になっている。

 500円玉で、昼食なり、セットを食べて、おつりが却って来るのである。
 この「おつりがある」のがヒットの要因だったのではと感じるのである。

 高校生がターゲットであれば、390円払っておつりが110円却ってくれば、また、そのおつりで、自販機で飲み物がさらに買えたのである。

 今のご時世では1000円札を出して、780円の定食で、220円のおつりが却ってくる勘定なのだろうか。
 しかし、
 平成元年1989年から導入された消費税が、この78対22の法則を生かせない原因にもなっていったのかもしれない。
 ここにも、経済活性化をトーンダウンさせる要因があったとみて取れる。

Photo by Josh Appel

「天下の公道を活用せよ」

1971年7月20日、日本で最初の「マクドナルド店舗」が銀座三越一階に「ハンバーガの売店」としてオープンした。
 社長はもちろん藤田田氏である。アメリカ本社との株式比率は50対50だったそう。
 ハンバーガー一個の値段は当時80円、営業面積は50㎡だったそうで、藤田氏がいう「ハンバーガーの売店」という、その理由がこの本の中で明らかにされる。

 本の中には書いてないが、この店舗にも、多少の席は設置されたのだろう。
 ただ、この立地と、店舗を取り巻く環境が、爆発的な売り上げをつくるきっかけとなる。

 当初、三越側の計算では、一日の売り上げ15万円/1日、良くて、20万円だったそうだ。
 藤田氏はそれより強気の予想をしていたようで、4000食の売り上げをふんでいた。80円×4000食、端数は切って30万円としたらしい。

 フタを開けてびっくりしたそうだ。30万円/1日どころか、100万円の売り上げを記録したらしい。しかも初日だけでなく、連日売り上げを続けたらしい。

 氷を作る冷凍庫、レジスター、マックシェークのマシーン、それぞれが売れすぎて壊れていってしまったらしい。
 「壊れにくい」はずのそれぞれの優秀なマシーンが、悉く壊れてしまったのだと。50㎡の店で、年間3億円の売り上げを稼いでしまう勢いだったそうだ。

 今までの常識から考えて、50㎡の店の売り上げは、1000万円~1500万円らしい。
 何が後押ししたのか?
 日本人が今までしてこなかったこと、
「外で」
「手づかみで」
「(日曜日は)歩行者天国で」 食事ができるシチュエーションが売り上げをバックアップしたのだと、藤田氏はいった。
店で買った商品を公道でパクついている、道の上で食事ができるのだ。

 日曜日は、店の前の、銀座の国道一号線は歩行者天国になる。
 そして、テーブルにつくことなしに、食事ができる要因が、売り上げの後押しをしたらしい。

 道路いっぱいに「マクドナルドレストラン」が営業してる状態だった。

 小さい頃、和多志も銀座の店で食べた記憶がある。マックシェークが小さな子供の吸引力では飲めなかった思い出がある。それも嬉しい思い出の内に。マックシェークの美味しさに子供ながらに感動があった。
 歩行者天国の道には、簡易テーブルとパイプ椅子、そしてゴミ箱まで、がいくつか用意されていたので、運が良ければ座って食べられた思い出がある。でも、みんな立って、道路で食事していた「カッコよさ」もスタイルのうちだったはずである。
「買って、すぐ食べられる外食」。
 ここから、何年間もの間、マクドナルドは外食産業で圧倒的な強さを魅せることになる。

 確かに、味も美味しい。今までの日本人の食事には登場しなかった食味だ。藤田氏は「ハンバーガー屋」をやる前に、何人もの日本人から言われたことがあったらしい。
「日本人はコメと魚を食べて来た、パンと肉など売れるわけがない」と。

 でも、そんな言葉を払拭する自信はあったらしい。ハンバーガーが「ユダヤ商法」に合致する、第二商品だったからだとも。

 「味も日本人好みに変えたらどうか?」という忠告にも耳を貸さなかったらしい。
 味を変えて、失敗したら、外野からヤジが飛ぶのが分かっていたからだそうだ。
 こうして、マクドナルドは日本にも定着し、その後、アジアの国々に店舗網を伸ばしていったことになる。

 いつの世にも天才的な商売師はいるもので、その中でも藤田田氏の「ユダヤ商法」はあの当時の日本経済に大きな足跡を残していったのは間違いない。

本日も、あなたの大切な命ともいうべき時間をここで共有して頂き、ありがとうございました。また、機会がありましたら、是非お立ち寄りください。
Masa



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?