「俯瞰して広い視野を持つことが大切だ」
「おい!Masa(本当は本名で呼ばれた)、ちょっとこい!」
部長がお呼びだ。
入社したての新入社員。不慣れな土地に配属になり、一人暮らしが始まって一週間が経ったその日、1フロアーに50名ほど働いている大きな営業部フロアーに、大きな声が響いた。
部長の方を見ると、しかめっ面が一瞬ニヤっと笑った。叱られるような内容ではないと、自分だけには分かった。
部長の席の前まで近づく。緊張感はある。
「何か失敗したかな?」 部長の席に到着する。
「はい、何か?」
「お前、今、(仕事は)何をしている?」
「お客さんへ出す見積を書いています。」このころはまだ手書きの見積もりを顧客へ出していた。
「いつ、書き終わる?」 部長はまた、ニヤっとしながら質問をしてきた。
「30分もあれば、書き終わります」
「よし、じゃー、今日はそれが終わったら、仕事は終わりにして、片付けて、チャイムが鳴ったら、下のロビーで待ってろ!」
席へ戻ると、ベテランの先輩が心配そうに聞いてきた。
「どうした?なんだった?」
「今日は見積書いたら、仕事終われって、そういわれました。」
そう答えると、先輩も、ニヤっと笑って仕事に戻っていった。
まだ、バブルの余韻が残った 頃
平成5年の世は、まだほんのりバブルの余韻が残っており、世間的には各企業、業績もそこまで落ち込んでいない頃だった。
会社を出て、部長と向かった先は、「風来坊」という居酒屋だった。
そう、此処は名古屋、鶏手羽先で有名な居酒屋に部長に連れて来られたのだった。
神奈川県出身の自分は、名古屋に配属となり、同じ神奈川県出身の単身赴任中の部長に、この日から食事の御伴にちょくちょく誘われるようになった。
食事の後は、決まって部長のボトルのおいてあるバーカウンターのある店に連れていかれた。
カラオケもない、ただ酒を飲むだけの店。二人の他にお客がほとんどいない店だった。ただ、部長は、ひとりの時はマスターと話しをするだけの為に通っていたようで、私が一緒の時は、マスターは奥に引っ込んだままの状態だった。
店に来るようになって、何回目かの時だったか?仕事に余裕のない私の姿を見て、部長から言葉を頂いた。
「この頃、仕事に慣れて来たのか、『仕事するフリ』ができるようになったな (笑)」
とても、心は傷ついた。「仕事をするフリって….、どういう?」
でも、その当時の部長と同じくらいの歳になった今では冗談半分の部長の言葉はよくわかる。新卒一年目の新入社員に「稼ぐ力」を会社は期待してはおらず、新入社員の給料やボーナスは「投資」でしかない事を。
新入社員が「働いている」という自意識は、「会社から言われていることをただ、ロボットのように行っている」だけだし、そこに、会社として雇用した本来の理由(投資金の回収)は、「ひとまず置いといて!」となっているわけで。
日本の企業は、ヒナが羽ばたけるまで親の代わりにエサを与えてくれる有難い存在であるのは、この歳になるとよくわかる。
「部長、M課長と、K先輩の言っていることが違うことがあって、ちょっと悩みます。」
「違わねーよ!」「だから、仕事しているフリしているなって言うんだよ!(笑)」
続けて、
「お前は、二人と距離が近すぎるんだよ、二人に近づきすぎているんだよ」「だから違う二人に見えるんだよ!」とも。
「課長とKさんと、営業スタイルが違うと思うんですが、それで、迷います。K先輩の言われる通りにしていると課長から『違う、ここをこうしろ!』って言われてしまいます。それで...…」
と言いかけて、部長の声が遮った。
「MもKも俺の指示で動いているんだ。だから違わねーよ、同じところに行くように、指示しているのは俺なんだから、分かるか?」
そして続けて言われた言葉が、私にとって、今でも生き方を教えてくれた言葉の一つになっている。
「Masaな、同じ目線でモノを見ていては、そいつと同じものしか見えないんだよ。鳥が空を飛んでいる時、俺たちに見えないものを見ているのは分かるよな?よっぽど、トンビが餌を探している高さは、人間が探すより、広い範囲を見てんだろ?だから、お前もさー、たまに、近づきすぎてんなーって時は、離れて、名古屋のテレビ塔にでも登ってみてだね、「俯瞰」して広い視野を持つことが大切だな?そういって分かるか?」。
あれからもう、30年になる……。
歌手の仕事術的な….。
話しが変わる。
歌手の「研ナオコ」さんが「唄うたい」の極意のようなことに触れている貴重な動画がYouTubeにあがっていた。
できれば、10分19秒あたりから見てほしい。
インタビュアーのお名前が分からないが、その女性が研さんに質問した言葉に返した言葉が、「唄うたい」の極意のような気がする。
「(研さんが中島みゆきさんの歌を)歌う時には、何か、感情移入だとか、入り込む要素とかありますか?」
「あ、いや、入り込んじゃったら、聴く人に伝わらないの!」
「ちょっと引いて唄わないと……。」
「10ある感情のうち、2だけ自分に(残して)、あとの8はお客さんが自由に描いてもらうように….(しないと)」と。
続けて、アルフィーの坂崎さんが補足する。
「(唄うたいは、)ある種、抑えて唄っていることがありますよ、そこで、お客さんも「ウッ!(感情が高まって)」って来ているときがありますから」「そこで、『私、こんなに上手いのよ!』ってさらに歌っちゃうと、(その瞬間、お客さんは)ひいちゃうから!」とも。
研ナオコさんの仕事術も、まさに「自身すら俯瞰してみて、唄をうたう」という極意のようなところが凄い。
自身には、かつての「部長の言葉」ととてもリンクする部分がある気がする。
まるで、日本人は、言葉でも「武道」の試合をしているようで…。
「他人との間合い」はいざ知らず、心の中に描いたもう一人の自身が自身を見守っているかのように、「振る舞いを観察する」のが大事だとも言っている。
「見守る自身」が居ることで、出過ぎず、引っ込み過ぎず、丁度よい距離感で、丁度良い「人との間合い」で試合ができるのだといわれているようで….。
現場の仕事はもちろん目先で仕事を追っていかないとならないけど、ある程度進んだら、一旦、高いところから、全体がどうなっているのか確認する必要があるようで。
私の大切にしている教え でした。 おしまい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?