2023年8月版:学習ペースメーカー
第一冊目『なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか? これからを幸せに生き抜くための新・資本論』山口揚平著(ダイヤモンド社)
感想・読後感 とてもよかった。
すごく面白い本でした。
これからの経済を三層のレイヤーで捉えるという発想が腑に落ちました。
長年抱えていた社会格差の構造の一つの視点を与えてくれるものでした。
少しだけ考えてみます。
三つのレイヤーは、国家・企業・個人の三層を指します。
福沢諭吉先生は、学問のあるなしが、貧富の差を生むのだと書いていた気がします。でも、学問のあるなしが、貧富の差を生むには、まだいくつかの段階を踏む必要があると思っていました。でも、それを説明する理屈が分からなかったのです。
学問のあるということを軸にしても、貧富の差を説明できるわけではないと今は考えます。
例えば、どの国に生まれるかによって、ベースとなる賃金が異なります。
日本では、最低賃金で定められている金額が支給されているということになっています。でも、まだ経済的基盤が無い国では、日本の最低賃金を稼ぐにも大変な思いをしなければいけないところもありましょう。
だから、その人が属する国家によって、格差が生まれると考えることができると思います。
そして、日本国内に目を移します。
どの企業に属するかで、賃金が変わってきます。どの職業に就いているかでも、経済的格差が生まれます。例えば、大企業と、中小企業では、給料の差が出るのは、資本力の差があるので、仕方がないかもしれません。
また、個人に気を配りましょう。
その個人のクレジット(信用)に伴い、環境的格差が生まれます。
学問のあるなしで説明できないことが、三つの層(レイヤー)という見方をすることで、少し道理が見えてきました。
この本の中で、分からないことが沢山あるので、何度か読み返したいなと思いました。
今後の方針
この本の趣旨は、お金について考えようということです。
でも、その先に、コミュニティを作ると生きやすいのではないかと提案されています。
僕もコミュニティづくりには賛成です。
この書き物も、コミュニティづくりの一種といえるかもしれません。
現実社会では、遊びを通じたコミュニティを模索しているところです。
遊びと学びを合致させた受験学習を目指していきたいと考えます。
(以下、2023年8月31日加筆修正)お金とは何か?
『お金とは何か?
ある人は、力(power)であるという。確かにそうだ。
ある人は、怖いものであるという。確かにそうだ。
ある人は、願いをかなえてくれるものという。確かにそうだ。
お金とは、という問いに答えようとすると、様々な答えが浮かんでくる。僕にとってお金とは何なのだろうか。そう考えると、難しい。
お金とは、よく分からないけれど、よく分かるもの。そう言いたくなる。
分かったというと、分からなくなる。分からないとわかるようになる。なんだか、いたちごっこで難しい。簡単といえば、簡単。機能だけみようとしても、機能が複雑でもある。仕組みは簡単。信用が大事なのだ。得るのは難しい。でも働くと契約して義務を履行した対価としてもらえる。よく分からないというのが現状である。割り切らないところが、魅力でもある。
欲しいと言えば欲しい。けれど、いらないやと強がることも出来なくはない。けれど、有ったらあったで困るけれど、無かったらなかったでも困る。難しい。お金は使った方がいいと個人的には思う。使う所を間違えなければ、おそらく返ってくる。戻ってこないようなお金の使い方は、おそらく、どこか筋が通っていない気がする。いつか戻ってくる。けれど、いつ戻ってくるか分からないもの。そんな感じ。』
第二冊目『人生100年時代のお金の不安がなくなる話』竹中平蔵・出口治明著(SB新書)
感想・読後感 とてもよかった。
共著者二方の話は、とても面白かった。どう面白かったか説明するのは、少し、難しい。大風呂敷を拡げて大人が物語ることは大変心地よかったのだと思う。
人生100年時代といわれる中で、自分は何歳まで働いていたいか、考えることになる本です。僕は、90歳まで現役でいたい。そのためには、良い食べ物を食べ、しっかりと睡眠をとり、そして、元気に過ごすことを目指します。
世の中でどのように貢献していきたいと考えているのか、も大分感覚を掴めてきました。
中間的な目標を掲げます。
より多くのこどもたち、及び大人に基本的な遊び・学びの環境を提供し、社会的な余裕の幅を作り出すことを目指します。
そして、天下を支える丈夫な心身の養生を社会的に価値あることに据え、各所の人たちとの協力を取り付けながら、基本的な衣食住の心配を無くし、生活環境の充実、ひいては、人として生きられる社会の構築を実現します。
今後の方針
読書の継続と、人との会話を増やしていく。
旅は、余りしたくないので、地元で活動を継続していきます。
別のちょっとした考え
受験学習は、社会で活躍する総合的学力を養成する受験勉強の一種です。
基本的なinputは、教わったことや自分で考えたこと感じたことに限ります。その後、他者との競争ではなく、協働的な教え合いを通じて、互いの生き延びる知恵を高め合うことを目的としたoutputを行います。
自分の興味や関心に沿って学習していくことができます。
デメリットは、一般的な受験勉強ではないため、点数を取ることに特化していません。成績は伸び悩むことになります。
今回の日誌は、受験学習を学長自ら行います。
受験時機を待ちつつ、受験学習を行います。達成したい目標を掲げるとすると、一年目の数値的目標は、共通テスト9割5分を目指します。文系科目を受験しますが、単一的知識ではなく、横断的知識の獲得を目指していきます。
では、よろしくお願いします。
2023年8月6日 小金井学舎 学長 記す
2023年8月1日(火)
読んだ本①『リベラルアーツの学び方』瀬木比呂志著(ディスカヴァ―・レボリューションズ)
昔話
昔話をちょっと挟む。
この本が出てから、もう8年になる。当時、自分は学生だった。この本をきっかけにリベラルアーツに興味を持ち、様々な文化に触れる機会を作るようになった。有難い本だ。
先週、偶々手に取って読んでみると、懐かしい感情が湧きあがった。でも、昔の自分に比して、どれくらい自分は進歩したのだろうと考えることになった。学習意欲は以前より弱まっているかもしれない。しかし、継続性に目を向けてみると、自分を少し誇らしくなってくる気がした。
読書や当時の趣味を継続して行っている自分を発見したのだ。そのことがなにより嬉しかった。
小金井学舎の目標
学べることは、適宜更新していくと思う。時々見返していただけたら嬉しく思います。
リベラルアーツは、自由人になる為の基礎教養・能力のことだと思います。ただ、古代ギリシアでのリベラルアーツと現代日本におけるリベラルアーツの構成要素は、違ってくるでしょう。
自由ということを考えると、経済的自由と精神的自由ということを事上げされることが多いと思います。
経済的自由とは、自身の衣食住を満たせるだけの金銭を稼げることを指すと思われます。
精神的自由とは、自身の生活・人生における分岐点(ポイントオブノーリターン)の判断の責任を自己責任で背負う精神のことを指すのではないでしょうか。
双方の自由は、確率することは難しいから、二大自由として掲げられることが多いのでしょう。
経済的自由を求めるためには、精神的自由を持ち合わせていなくてはならないし、精神的自由は、経済的自由を持ち合わせていなくてはならないと僕は考えています。
鶏が先か、卵が先かという問題です。
また、生まれ育った環境によっても、左右されてしまうと思います。
僕が何とかしたいと思う課題の一つに、経済的外部阻害要因の是正を上げたいと思います。
例えば、塾に通いたいのだけれど、経済的に厳しいので通えないとか、競争原理に基づいた塾の経営方針に合わなくて、ストレスで参ってしまったとか、そういった、阻害要因に中てられて、苦しんでいる中高生に、向けた受験学習のすゝめを実践しよう。それが、本企画の趣旨です。
趣旨に沿った受験学習をするために、リベラルアーツという概念が有効だと僕は考えているのです。
リベラルアーツについて知りたい人は、色々な本が出版されているので、そちらに譲り、僕が想うリベラルアーツについて少し、話したいと思います。
リベラルアーツを学びなさいと言うことは無いと思います。小金井学舎のベクトルは、リベラルアーツに近いということを言いたいです。
これから来る流動性の高い世界に適応しつつ、次世代へのバトンを繋ぐという継続的価値観の養成を目指すのが小金井学舎です。
難しい課題設定だと思います。
いつの時代も難しい課題を抱えていたと思うのですが、これから来る時代もそれ相応に難しいだと思います。でも、何とかやっていけるだけの学力とスキルの開発を一歩ずつ行っていく他ないと考えています。
それには、受験学習が効果的だと僕は思うのです。
受験勉強が苦手な子を対象に、各人の興味関心の幅を広げること。そう言った取り組みをしていきます。
ひとまず、今できることは、読書リストの再編だと思っています。少しずつ活動をしていきます。よろしくお願いいたします。
8月14日(月)
読んだ本②『脱優等生のススメ』冨田勝著(ハヤカワ新書)
とても、善かった。元気が出てくる本でした。
何かしたくなってくる本です。実際に何をしていくか考えてみましょう。
2023年の今後の予定
令和教養主義的読書リストの作成
まずは、教養主義的読書リストの再編を行います。
本当に残念なことなんですが、昭和時代の教養主義は絶えてしまったと、個人的に感じられます。僕の周りに、昭和教養主義的読書リストを一つずつ潰していく人は、残念だけれど、いなかった。自分の読書遍歴を振り返ってみても、昭和時代に読んでいたであろう、読書を後追いするだけの力を養生することは出来ていなかったと言える。
ここでいう、教養主義的読書とは、所謂インテリになる為の読書のことではない。リベラルアーツを自分の中に導入するための基本的な知識・教養のための読書のことだと考えている。
リベラルアーツは、自由人になる為の具体的な技術だったはずである。
しかし、現代社会における具体的技術って一体なんぞやと考えることになるのだけれど、その技術を導入するための基礎的素養を養う読書リストが、令和の教養主義的読書リストである。
具体的な作成手段は、まず、昭和時代の教養主義的読書リストを一つずつ潰していく。その中で、時代的テーマの抽出を行う。例えば、夏目漱石の『こころ』という作品は、何を語っているのだろうかと考えること。歴史と社会との関わりの中で、作品を読んでいくことが必要である。
しかし、出来ることならば、古事記や日本書紀から、遡って話を読み解いていきたい気持ちが沸き起こる。古代史・神話のモチーフが、例えば新海誠監督の映画作品にリメイクされていることを鑑みれば、昭和時代の教養主義的読書リストは、まだ猶、健在ともいえるだろう。と学長は考えている。
まあ、御想像の通り、成績が伸びる学習ではない。でも、これを継続して心がけていくことによって、生きる力は確実に養われると思う。
ボランティアエコノミクスの研究
ボランティアが大好きな学長は、ボランティアの経済を研究している。
ボランティアエコノミクスは、人生の借金の前払いとして、幸福度を高めてくれる贈与花見酒経済である。一つの仮説だけれど、おそらく、正しいと思われるものだ。
人生の借金という概念がある。これを説明するのは大変難しい。
自分にとって都合のいいことを継続して行っていると、人生に澱が溜まってきて、いずれ破綻してしまうことを、人生の借金という。
この人生の借金の前払いが出来るのが、ボランティアという活動である。
2023年8月20日(日)受験学習の意義
受験学習を通じて、僕は、有形無形の創造された経済、詰まるところ社会益を生み出していきたいと考えている。
従来の受験勉強では、自分が学習したこと=個人の利益になると説明されることがある。でも、それは一面的な見方に過ぎない。
AIという従来の学校教育における数値化が意味を為さなくなってきている昨今(全く意味がないという意味ではない)、自分の興味関心が誰かの興味関心を賦活するような体験・学びを得ることが大事なのではないかと課題を設定したいと思う。
具体的に言うと、今迄の世の中では、100点満点のテストにおいて、100点を取る人が善しとされていた。この傾向は、後、20年位は、賞味期限があるだろう。でも、これからの社会は、80点だけとれるが、10点しか取れない他の子を50点まで引き上げられる能力が重視されてくる。知識の総量・情報処理の能力では、AIに太刀打ちできない分野が増えてくる。将棋でも、文章作成能力でも、人の信用度チェックでも、会計でも、接客でも、なんでもそうだ。
その変化に対応する形で、自分善ければすべてよしという価値観は、今後あまり通用しにくくなる。情けは人の為ならず、ということがより現実化してくる。勿論、世の中が戦国時代みたいに群雄割拠的殺伐環境になることや、AIによる完全失業者が増えたりすることを鑑みると、どうして、自分が他の人の為に汗水垂らして助けなければならないのかということが、現代的常識だということも理解しているけれど、やはりなんといっても、人情が第一義に来ると私は信ずる。譲れないLineだと信じる。
僕は初めに言っておくけれど、100点満点の内、100点満点取れる人ではない。
でも、80点を取って、10点から50点の手伝いは、余り苦にしないタイプの人間である。なので、教育、受験学習という分野で、少しずつ、自分の頭で考えられる。そういう学習環境を提供したいと考えている。
私はそういう人間でありたいと思うている。
映画『君たちはどう生きるか』感想文
今週、映画『君たちはどう生きるか』というものを見に行った。大変怖い作品だと思う。簡単に筋だけ述べる。
母親を火事でなくした主人公は、再婚した父の妻の失踪を追い、異世界に潜り込む。その世界で、様々な通過儀礼を通じて、世界の成り立ちを知り、悪意ある世界と共に歩むことを決意する。
しかし、これは、的を射てはいない話である。
私が考えたテーマは、『沈黙』である。
私は、初めて映画館でスタジオジブリの映画を確認したが、これは、かなり大変な作品である。
もし、仮に、この作品に実在した人物がモデルとなっているという仮説を立てるとするならば、主人公の眞人は、星新一であり、大伯父は、森鴎外である。
森鴎外に理由を尋ぬると、そこには、沈黙というテーマが生まれてくるだろう。
静かにという合図とともに、積み木の塔を指ではじく。
これは、森鴎外の作品を下敷きにしておる。
では、描かれた時代背景を考えてみよう。
夏目漱石は、『心』を描いた。
そういう時代なのだ。
取り敢えず、私が何を書いているか分からないという人は、ひとまず、『心』を読み給へ。話はそこからしか始まらない。
8月29日(火)事業承継とビジネフモデル
事業承継についての本を読んでいた。
事業承継、M&Aと称される既存事業を引き継ぐことを指す。
無論、金がかかる。不採算事業で譲り受けたとしても、不採算=赤字な訳で、お金が必要だ。
自分は人が育てた事業への興味はある。しかし、まだ買いたいとは思っていない。というより、お金はないからだ。
すると、この本は、誰を対象としているのだろうと首を傾げてしまう。
僕の食指が動く事業とは、マネタイズしにくい事業である。このようなモデルをビジネフモデルという。ビジネスモデルより一本足りない事業形態のことを指す。
ビジネフモデルは、稼げない事業のことを指します。不採算事業、理想的な事業です。でも、勿論、持続可能性が低い事業、もしくは、持続できない事業のことです。
ビジネスモデルを作ろうとして、ビジネフモデルになってしまうこともあります。
僕は、残念なことにビジネフモデルを作るのが大得意です。こればっかりは仕方がありません。
小金井学舎も同様にビジネフモデルです。儲かりようがありません。現代の社会は、儲からないということで、見向きもされないことを重々承知ですが、僕は、ビジネフモデルが好きなんです。すると、必然、お金をかけないで、事業を起すという考えに結び付きます。
仕事とは、誰かの悩み事や困りごとを解決する糸口を提示することである。と今の僕は考えています。
解決するために仕事があるのではなく、解決する糸口を紹介・提示することだと考えています。本当だったら、解決しますというと商売になると思うのだけれど、残念ながら、そううまくはいきません。
色々とやりたいことがたくさんあるけれど、それをどうお金をかけないでうまくやっていくのか。それが問題なんです。
お金をかけず、事業を立ち上げる方法を身につける。これは言うはやすし、行うは難しです。
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