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ヒント-013

ダンスの手法として、コンタクト・インプロビゼーションというものがあるが、共演者に自分の身をゆだねたり、接触しながら複数人でダンサーが動きを展開するメソッド、もしくは振付法だ。
ある程度確立されている手法であるが、自分はひねくれているせいもあってか、積極的に自分の作品には取り入れることには躊躇してしまっている

共演するダンサーへの「信頼/ラブ」のようなものが、このメソッドには、ベースになっているからかもしれない。
そうでなければ、他のダンサーの背中に乗っかってみたり、腕を絡めにいったりはできないだろう。

自分は、共演者が他のダンサーのアクションから身をかわしたり、急に「暴力的」な行為をされたら、どうなるのだろうと、思ってしまうのだ。
基本的には、自分はプロジェクトを共に進めているメンバーを信用している。だがコンタクト・インプロビゼーションでよくある、出演者同士の立ち位置の距離感は、苦手なのだ。
近過ぎると言うか、個人のパーソナルエリアを「領空侵犯」していないか?と感じてしまうのだ。

こういう考えを持つ人は少ないだろうが、人間の内面には「悪意」としか言いようのないものが、確実に存在している。それをむき出しの状態で外部にアウトプットされる可能性を、常に自分は想定しているところはある。

それが起きる可能性は「公演本番には無いでしょう」という保証もないと思っている(実際に、そういう場面に出くわしたこともある)。石山は、他人を一切信用していないのか、と言われそうだが、自分のこれまでの経験を通して、こういうスタンスになってしまったのだ。

ただ、もし自分と同じような感覚を持っているダンス・アーティストがいるならば、「それでもいい。それがあなたのリアルなら」と声を掛けたい。
アクション展開の根本的な部分で、共演者に「信頼/ラブ」が無かったとしても、それを明確な形で示す事が苦手であっても、ダンス作品もしくはパフォーミングアーツを仕上げる事は出来るのだ。

「信頼/ラブ」が当たり前にあると言いがちな前提すらも、コンテンポラリーなアーティストは疑ってもいいのだ。
そうでなければ、「ショウって普通そういうものでしょ。そうじゃないと動員が稼げないでしょ?」というようなエンターテイメント界の人々の意見/スタンスと同じになってしまうと思うのだ。

その意見は全く否定する気はない。ただアートの方法論がエンターテイメントのものと全く同じになってしまったら、「じゃ、何でアートフィールドで作品を出すの?」という「そもそも」論になってしまうだろう。

石山は、様々なモノのフォルム、そして時間経過と共にそれが移り変わる状態の多様性を観たいと思っている。
その為に効果的なものは何でも取り入れようと奮闘しているが、そこに「信頼/ラブ」は無くてはならないものではないような気が、どうしてもしているのだ。

(文責・石山雄三)

次回は10月7日、掲載予定。

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