浴槽にて
この浴室は四年前の冬に改装した。
四年。四年前なら今頃とっくに冬服を着ていたのに、それなのに今は10月後半でも半袖と長袖を行ったり来たりしていて(冬生まれだから暑がりなのだ)季節の淀みと滞りに閉じ込められている。制服姿の中高生とすれ違うたびに、彼らは秋を生きているのにわたしだけまだ夏の終わりなんだと思う。定められた時間と定められていない時間。
わたしの浴室の、つやつやした白い壁にベビーピンクのタイルの床が気に入りで、指で押したらちょっと柔らかいのがいいと思う。タイルふちに沿って、ブロック状に水の塊が乗っかるのもいいと思う。湯に浸かっているときそれを広げたり潰したりする。
あのね、大人はよく「後悔しない選択をしなさい」というけれど、後悔しない選択なんていうのは最初から存在していないと思う。わたしは、どちらを選んでも必ず後悔するのを分かっていて選ぶ。
否、選んでもいない。気が付くといずれかの選択肢に偏って、もう覆しようのないところまできている。つまり手遅れになっている。「手遅れになること」そのものが選択である。
手遅れになったとき、意識としての自分は、感想として「そうか。自分はこれを選んだか」とだけ述べる。また、繰り返し。
わたしは、自分の無知を特別に恥じたりしないし、馬鹿であることをそんなに悪いと思えない。でも、意志的に何かを選ぶときには大いに困る。わたしは頭が悪いから、何を選択すれば自分が幸せになれるのか(自分の選択に納得できるのか)分からないから、困る。わたしはきっと選びたいはずなのに、無知だから判断がつかないのである。呆れる。
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