Chase The Rainbow (10)
「敬さん……」
ドアがぱたりと閉じる音を聞いて、枝崎は敬に振り返る。
「あの……っ」
「いいんだよ」
ゆっくりと車椅子を漕いで、敬は枝崎に近づいた。すっと、枝崎の顔に向かって手を伸ばす。枝崎は床に膝をついて、敬の車椅子に寄り添った。
「……痛かったね」
優しく温かい指が、枝崎の頬や口元を撫でてくれる。
「一応、手加減はしてたみたいだけど……」
「そうなんですか?」
一見優男に見える貴船だが、長身だし、医師の中でも特に腕力を必要とする整形外科医だ。確かに、その彼に力任せに殴られたら、いかに鍛えている枝崎でも、この程度のけがでは済まなかっただろう。
「……愁」
敬の指が、頬から口元、そして、そっと唇を撫でている。
「虹の足元に……行けなかったね……」
ぽつりとつぶやいた。
「追いかけても……追いかけても、逃げていってしまったね……」
「また、探せばいいだけです」
そっと敬の指を掴み止めて、枝崎は言った。
「雨が降ったら……晴れ間を待って、また虹を探しに行きましょう。俺、また新しい虹を探します。そして……敬さんと一緒に、その足元に向かって、走っていきます」
「僕と一緒だと……きっと、いつまで経っても、たどり着けないよ?」
優しい年上のひとは、静かな声で言う。
「虹を見つけたら……ひとりで走っていっていいんだよ……?」
「敬さん……っ」
「僕は……君には追いつけない。君の背中を押してあげることはできても、一緒に走ってあげることはできない。だから……」
言いかけた唇を、枝崎は震える唇でそっとふさいでいた。触れるだけのキス。言わせたくない言葉を飲み込んでしまうキス。
「……そしたら、俺、敬さんを連れて行きます」
「……っ」
軽々と車椅子から、枝崎は敬を抱き上げてしまう。
「敬さんが、俺の心を抱きしめてくれるなら、俺はこの腕で敬さんを抱きしめます。俺にできるのは……それだけだから」
虹を見つけたと思った。
雨のあとにかかる美しい虹を見つけた。
強くてしなやかで、そして、優しいひとを守っていく。この腕で守っていく。
彼が倒れることがないように。涙することがないように。いつも微笑んでいられるように。
「……ありがとう」
傷ついた枝崎の口元にキスを返して、敬が微笑む。
「……ありがとう」
枝崎愁が、准看護師の免許と車の運転免許を取ったのは、それから二年後のことである。
彼は間違いなく、ある道を歩き始めていた。
そこは、彼の前に敷かれていたはずだったレールからは少しだけ外れていたかもしれない。
貴船忍が、望まれていた心臓外科医ではなく、整形外科医になったように。
しかし、そこは枝崎自身が選び取った道だった。
流されるでなく、ひとに押されるでなく、枝崎自身が選んで、一歩一歩歩き始めた道だった。
chase the rainbow.
その先に、きっと虹はあるだろう。
歩き続ける道の先に、きっと虹はかかるだろう。
優しいあなたがいてくれるなら。
ふたりで……歩いていけるなら
(終)