不自由な自由体験

不自由な自由体験、読者貴君はこの言葉をどういう意味だと捉えるだろうか。


この答えは先日友人が送ってくれたリンクにあった「あなたにとって自由とは何ですか?」という問いに対する答えだ。
私はこのフレーズをいたく気に入り、背中に刺青を彫り、声高に叫び周り、あまねく全ての生き物にこの言葉の素晴らしさを説いた結果、ついに銭湯はおろか町の公共施設を全て出禁になった。

自由体験、素晴らしく甘美な響きだ。
しかしこの世はしがらみに囚われている。
自由と言えば聞こえはいいが結局は自分の身は自分で守らないといけないし我を通そうと思ったら周りの人間に舐められてはならない、このように不自由な自由体験があるものか!

先日言葉遣いを指摘されて言い合いになったことがあった。私からすれば自由に言葉を操って味付けし胡椒を効かせたハンバーグステーキを焼いているに等しいのだ。俺がどう肉を焼くかにお前が口を出す資格はない。そう思っていた。

どうやら彼の言い分は違うらしい。強い言葉を使ってはならないと。説明もなかったがどうやら不快にさせたことは事実だ。これは謝る他ない。

しかし私はもっと自由に言葉を使っていいと思うのだ。言葉を縛ると人間は縛られてしまう。思考の可動性が減ってしまうのだ、プロテクターをつけた手足のような言葉を動かすのはいささか見るに耐えない。
それは自由にやりたいことをやり、最大限の幸福を目指すと決めた自分の人生に真っ向から反するもので、到底受け入れることはできない。
こうした頭の硬さも見る人が見れば美徳なのだろうか。
利益があればすぐに受け入れるのだが………

私も友達を失いたいわけではない。こうした言動は極力控えるが完全に抑える気はさらさらない。そこは各自自衛していただけると幸いだ。

不自由な自由体験を読者諸君は楽しみきれているだろうか。

不必要なところまで縛り付けてないだろうか、どこか痛い思いはしていないだろうか、周りの目ばかり気にしてはいないだろうか。
有限でかき氷のように甘い自由体験を余すところなく楽しんでくれ。

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