iPhoneを取り上げられた私は戦闘力ゼロ

applestoreでバッテリー交換をしてきた。1時間後に受け取りだといわれ、遅れると閉店なので気をつけてと言われたが、私は腕時計もしておらず、時間を知る術がなかった。スマホを取り上げられて戦闘力がゼロになった気分だった。


バッテリー交換を待つ間、AppleStoreから出て、近くの家電量販店へ向かいました。スマホを預けてしまったので、時間を知るすべがないのです。

家電量販店に入ると、大きなテレビやオーディオ機器、そして様々な家電製品が所狭しと並べられています。普段は目的の商品しか見ないので、じっくりと店内を見て回る機会はあまりありません。

まずは、オーディオコーナーへ。高級なヘッドホンや最新のBluetoothスピーカーが並んでいます。試聴機で音質を確かめてみると、臨場感あふれる音楽が耳を楽しませてくれました。

次に、キッチン家電コーナーへ移動。最新の炊飯器や電子レンジ、コーヒーメーカーなどが並んでいます。普段は料理をあまりしないので、これらの製品には疎いのですが、機能性とデザイン性を兼ね備えた製品の数々に感心してしまいました。

そのほかにも、掃除機やアイロン、ドライヤーなど、日常生活に欠かせない家電製品が所狭しと並べられています。普段は何気なく使っているこれらの製品も、最新モデルになると機能性がアップしているのがわかります。

家電量販店をぶらぶらしながら、普段見る機会の少ない商品を眺めているうちに、あっという間に時間が経過していました。ふと時計を見ると、AppleStoreに戻る時間が近づいていました。

慌ててAppleStoreに戻ると、ちょうどバッテリー交換が終わったところでした。スマホを手にした瞬間、ホッと安堵のため息をつきました。今回の経験で、スマホに頼りすぎない生活の大切さと、普段見逃している家電製品の魅力を再発見できた夜になった。


私たちの生活に欠かせない存在となったiPhone。それは、単なる通信デバイスという枠を超えて、私たちの生活のあらゆる面に浸透しています。時間を確認するためにも、情報を調べるためにも、人とコミュニケーションをとるためにも、iPhoneは常に手放せない存在となっています。

しかし、今回のバッテリー交換で数時間iPhoneを手放した経験は、私にとって大きな気づきとなりました。iPhoneがないと、時間がわからなくなり、知りたい情報にアクセスできず、まるで世界から切り離されたような感覚に陥ったのです。

これは、iPhoneに頼りすぎているがゆえの弊害だと言えます。私たちは知らず知らずのうちに、iPhoneに自分自身の能力を委ねてしまっているのかもしれません。

例えば、道に迷ったときにはGPSを頼り、複雑な計算が必要なときには電卓アプリを使う。確かに便利ですが、果たしてそれでいいのでしょうか?もしiPhoneがなくなったら、自分の頭で考えて道を見つけたり、暗算をしたりすることができるでしょうか?

iPhoneに頼りすぎることで、私たちは自分自身の能力を見失ってしまう危険性があるのです。記憶力や思考力、判断力といった人間本来の能力が、iPhoneの便利な機能に取って代わられてしまっているのかもしれません。

さらに、iPhoneに頼りすぎることは、人間関係にも影響を及ぼします。飲み会の席で友人とおしゃべりをするよりも、iPhoneを見ていることに夢中になっていませんか?家族との団らんの時間も、iPhoneの画面を見つめてしまっていませんか?

iPhoneは便利なツールではありますが、それに支配されてしまっては本末転倒です。私たちは、iPhoneをコントロールしているつもりが、実はiPhoneに支配されているのかもしれません。

今回の経験を通して、私はiPhoneとの付き合い方を見直すことにしました。iPhoneに頼りすぎず、自分自身の能力を信じること。そして、大切な人との時間を大切にすること。

iPhoneは確かに便利なツールです。しかし、それに依存しすぎず、バランスを保つことが大切だと感じています。時には、iPhoneから離れて、自分自身と向き合う時間を持つこと。そうすることで、人間本来の力を取り戻すことができるはずです。

iPhoneに支配されるのではなく、iPhoneをコントロールする。そんな賢明なiPhoneとの付き合い方をするべきかもしれません。


「腕時計なんていらない。スマホで時間を確認できるから、わざわざ腕時計をする必要はないんだ。腕時計をしないことが、私の宗教なんだよ」なんて言う人もいます。

確かに、iPhoneをはじめとするスマートフォンの普及により、腕時計をする人が減ってきているのは事実です。特に若い世代では、スマホが時間を確認するための主要なツールとなっています。

しかし、私はこの「腕時計いらない論」には賛同できません。今回のバッテリー交換の経験で、改めて腕時計の重要性を実感したからです。

スマホがあれば時間を確認できるのは確かですが、それはスマホが手元にあることが前提です。バッテリー切れやアップデート中、あるいは修理中といった場合、スマホは時間を教えてくれません。

また、スマホを取り出して時間を確認するのは、意外と面倒なものです。会議中や授業中、電車の中など、スマホを取り出しにくい状況は多々あります。そんなときに、さっと腕時計を見れば、時間がわかります。

腕時計は、ファッションアイテムとしての側面もあります。スーツにはやはり高級腕時計が似合いますし、カジュアルな服装には、ポップなデザインの腕時計が映えます。腕時計は、単なる時間を知るためのツールではなく、自分を表現するためのアイテムでもあるのです。

そもそも、スマホで時間を確認するのは、あくまで便利な機能の一つに過ぎません。本来、時間を知るためのツールは腕時計なのです。スマホに頼りすぎて、腕時計の存在価値を忘れてしまってはいけません。

「腕時計をしない宗教」なんて言葉もありますが、それは単なる皮肉でしょう。宗教とは、もっと崇高で尊いものです。腕時計をするかしないかは、個人の自由であり、好みの問題です。

私は、今回の経験を通して、改めて腕時計の大切さを実感しました。スマホに頼りすぎず、腕時計を身につけることで、自分自身の時間をコントロールしていきたいと思います。

「腕時計いらない論」に惑わされることなく、自分なりの時間との付き合い方を大切にしていきたいですね。時計は、単なる時間を知るためのツールではなく、人生を豊かにしてくれる大切なパートナーなのです。

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