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「作品の副作用-シャッター絵を描くということ-」

今の時代広告はyoutubeの動画広告を始め、時代を遡るごとにTV広告、チラシ、路上看板などがある。
そんな中でのシャッターのイメージとしてはシャッター街のような荒廃したイメージがつくと思う。
確かにシャッターの残念なところはしまっているときに、閉業しているような雰囲気と人目につかないという欠点がある。

これを一番感じたのはPARCOの通りにあるアパレルショップ「true charm」さんにフラミンゴの絵を描いたときだった。

True charmさんのあるところは車一台分の一通の道路に対面する店舗の群の一つで、人通りは多いものの常に日陰にあるのと、夜になるとPARCOの照明で影になってしまい夜間は特に人目につかず、「営業してるのかわからなかった」という声もあったほど。

しかしいざ描き始めると、PARCOから駅へ行く人々に度々声をかけられた。
その人種は様々で、千葉の船橋から出張で来たビジネスマンから、銀行マンと郵便局員と学生DJの不思議なトリオ、いかにもロールスロイスに乗ってそうなダンディなおじさま、沖縄の問題に取り組む活動家の女性など。。

僕はここで「作品の副作用」が好きなんだなと改めて感じた。

シャッターに絵を描くことは単に作品(絵)を生み出すだけでなく、ライブペイントであり道ゆく人と関わりを持てる機会であること[イベント性]、シャッターが閉まっている時もその店の存在を知らせる広告であること、それだけでなく作者である僕の宣伝も同時にしていること[絵が語ってくれる]。

それが「作品の副作用」であると思う。
僕はこれが好きで、作品にというよりはこちらに興味があるので媒体問わずに作品を作っているんだろうなと思う。

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