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「死とは何か」読書備忘録

「死とはなにか」という本のアウトプットです。

死を意味する状態は2つあるという。

  1. 心臓が止まった時(身体説)

  2. 思考能力が完全に停止したとき(人格説)

どちらの意見にも納得できるが、状況に応じて疑問がでてくる。

例えば臓器移植ドナーとして登録していた人が、心臓を提供するときの話。

2の人、思考能力が停止した人の場合。
仮に植物状態だとして、心臓は動いている。

思考能力が停止していたら死んでいると見なされた時、心臓移植の提供者になったとしても、殺人に問われないかどうかだ。

仮に、2の説が世間的に流布されていたとしても、手をかける医者はどう感じるのだろうか。
僕が医者だったら殺してしまったという罪悪感に苛まれると思う。

どの様な状態が死なのかを決めてしまうと、あらゆるところで疑問が出てくる。

昔、鋼の錬金術師を読んだときの話。
人間を錬金術で作ろうとしてもうまくいかなかった。なぜかというと魂がないから、という理由からで。
僕は幼いながらに納得した覚えがある。

「体を構成している成分をつなぎ合わせても、そりゃ人間にならないよな、だって魂がないんだから」

しかしこの本には、

「魂なんてない。体の機能が思考させ、感情を表現しているだけだ。」

こういう意見もある。

魂の重さは〇〇グラムだ!みたいな話もあったけど全く信憑性はない。

そしてこの歳になって、自分がもっている意識がどこからきたのか、という疑問を持ち始めていた。

身体説(心臓が止まったら死)派と、
人格説(思考能力が止まったら死)のどちらかと言われれば僕は身体説派だ。

僕は年を重ねるにつれてどんどんリアリストになってきた。
スピリチュアルな話は信じられない。
なにより思考を止めたら死!なんてちょっと怖い。

植物状態の人を家族に持つ人の前でそんなこと言えるわけない。

魂を軽視するわけではないが、あまりに説明がつかない。本文引用。

魂と宗教はつながる。
そして僕の中では宗教は虚構と感じる。
※否定しているわけじゃありません。あくまでも感じ方の問題です。

その虚構が作り出した説に乗っかってる感じもしてビビッとくる部分がないんだよなあ。

よって、僕は身体説を推す。

完全備忘録用でした。

もし読んでくれた人がいたときのための豆知識を1つ。

オートミール30g水50g入れたとき、食感は粘りの強い大和芋という感じ。結構イケるぞ。

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