五反田団『いきしたい』・青年団『思い出せない夢のいくつか』/『眠れない夜なんてない』 @豊岡演劇祭2020
前田司郎が当日パンフレットに書いていた「夢の文法」が舞台芸術を語るキーワードであるように思えた。
五反田団『いきしたい』2020.9.20 @豊岡市民プラザ
段ボール箱の山が2つ無造作に積まれている。上手側の山の上にはパトライトが載せられている。美術はそれだけで、俳優の演技で空間は埋められていく。段ボールと照明で見立てる芝居。照明が効果的で美しかった。目的と演出がピタりとハマっていて嘘のつき方が鮮やかで見えない景色が豊かに広がっていた。
「奥歯にものが詰ま」った女は、元旦那の死体と別れかけの恋人の男と海へ出かける。どちらの男も彼女にとって存在しているのか良くわからないが、別れかけの恋人の男が光るパンツを買って彼女のところへ戻ってくると、詰まった奥歯はボロボロと口の中からこぼれ出す。彼女の口の中は海の底。
宮台真司が境界が曖昧になると言っていたが、割り切れないことを表現する舞台の心地よさがあった。照明や美術、俳優の演技によって、あの世とこの世、夢と現実、境界が不明瞭になり、見えない世界が見えてきた。Fair is foul。
青年団『思い出せない夢のいくつか』2020.9.21 @江原河畔劇場
線路の上に列車の一車両が輪切りにされワンボックス席がある。前後には脱輪した車輪が置かれている。席を立ってどこかへいく時には線路を渡る。精巧に作られた列車内の美術に対し、その周りの世界の構図は曖昧で抽象的。登場人物が席を立ってどこへ行き、どこから戻ってくるのかはっきりしない。『銀河鉄道の夜』に着想を得ているそうであるが、まさに銀河を彷徨っているような、夢遊のような、空気に包まれていた。
現代口語演劇の低エネルギーで軽快な言葉のやりとりから、曖昧な人の機微を感じ取り、その先にさらに曖昧な宇宙が広がる。リアルっぽいのは、あくまで「ぽい」だけであり、舞台上で広がる世界は現実を超える。いま見えている世界ではないところに飛ばしてくれる。
精緻に配置された言葉、演技、プロップ、照明。リンゴの赤さ、艶やかさが美しかった。
青年団『眠れない夜なんてない』2020.9.21 @江原河畔劇場
どこにも居場所がない浮遊した人々の物語。マレーシアでの昭和最後の日々は、たぶん場所や時代を選ばない。月に移住した未来の人類も共感するところがあると思う。漠然、曖昧の先に夢がある。記憶かもしれない。割り切れることを求め、論理を追求する頭には、ストレスフルな夢の文法。現代口語演劇の言葉は全く日常に溢れた言語ではない。夢の文法。
ラジカセから流れる音楽。そよぐレースカーテン。段差のついた舞台。夢の文法はあらゆる舞台の要素に支えられている。細部に目を凝らし、感動するポイントを探しに生かせる舞台は成功している。作り手が想定していることを客は知り得ないし、客が何を想像するかを作り手は知り得ない。客に想像を明け渡すことのできる舞台は成功する。
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