十八番/おはこ、とは・・・
自分ってどのくらい曲のレパートリーがあるんだろう?
というかレパートリーってどの程度のことを言うのだろう。
「1番得意な曲を弾いてよ!」
お客さんにこういうリクエストを頻繁にいただくのです。
(動画にしたいけど大変なので先に殴り書き執筆しておこう)
答えを先に言うと
「得意な曲なんてありません」
です。それにはいろんな理由があります・
もちろんJpopなどの歌謡曲等のポップスは入れません。
膨大な数がある上に、たいてい1度か2度練習して演奏することがほとんどで、場合によってはその場で楽譜を見て完全初見で弾くこともある。
たとえミスなく弾けたとしても、たとえお客さんが楽しんでくれても、これは得意な曲じゃない。ある程度数をこなして暗譜をしていても、こんな譜面づらは簡単なものを「おはこ」というのはプロとして演奏活動している奏者として虚しさすら感じると思います。(少なくとも私はそうです)
暗譜をしている曲?
実際にクラシックで暗譜している曲はどのくらいだろう。
チャルダッシュ、G線上のアリア、ユモレスク、ツィゴイネルワイゼン、ハンガリー舞曲第5番、タイスの瞑想曲、愛の挨拶、愛の喜び、ヴィヴァルディの春1.3楽章、夏の3楽章、秋1楽章、冬1.2楽章、カノン、アイネクの第1楽章、、、
ざっと10〜20ぼっちだろう。学生の頃は様々な協奏曲とかソナタとか暗譜するほど弾いていたが、プロ活動するとそのほとんどを弾く機会は無く、忘れてしまった。
「経験のある曲」ならオケやソロ、かなり多いレパートリーがあると思うけど、その細かくまでは覚えていない。60分を超える超大作ベートーベンの第9交響曲も3分程度のエルガーの小品である愛の挨拶も、どちらも1曲と考えると曲数で暗譜している曲を判断することも厳しそうだ。
十八番/おはこ
「十八番」 これこそ、わけがわからない。
クラシックプレイヤーの多くは自分の作品持たず、他人の作った作品を演奏するため、作品その物を自分の生き写しとして売り出すことは出来ないのです。弾いた経験のある曲の回数で言うなら情熱大陸は年に2〜300回は弾いているので他人から見れば紛れもなく十八番だが、十八番というのはあまりに虚しい。なぜかというと、自分の作品ではないのに、他人の作品を使用することで得られる名声である上、楽譜上は努力しなくても演奏できる比較的簡単な作品のため、演奏においてなんの苦労もないからだ。(ここではあくまで単純に「弾く」という行為だけで語ってます)
そう。
「おはこ」と呼べるような曲がないのだ。
考えすぎなのかもしれないけれど、葉加瀬太郎氏が情熱大陸を弾くような感覚で弾くような作品など存在しない。何かを生み出す芸術家ではなく、芸術家の作った数多の作品を楽譜を使用して体現する職人に近い。言うなれば右から流れてきた書類を左に流す立場のヴァイオリン奏者がほとんどなのです。
上手・得意な曲?
先に挙げた情熱大陸を筆頭に、演奏回数が著しく多い曲は間違いなく「得意な曲」となっていきますが、演奏家本人としては不本意の場合もあります。僕の場合はほぼ必然的に「得意な曲」=「リクエストされる曲ランキング上位」になってしまい、なんとなくですが「得意と言いたくないレパートリー」で身を固めています。
学生時代はヴァイオリンソナタや協奏曲などを長い時間をかけて研鑽を積み演奏しますので、本来はそのように積み上げていったものを得意な曲なりレパートリーなりに上げたいところなのですが、そのような曲を弾く機会は学生時代以外、ほとんどないのです。
ヴァイオリンソナタはまだリサイタルなどをすれば演奏できますが、協奏曲はそれこそバックにオーケストラを連れて弾くもの。そのような奏者は限られた奏者しかいないのです。
やりがいのあるクラシック曲は必要とされていない
ファンが膨大にいる奏者、コンクールの覇者など実力と集客力を兼ね揃えた奏者のみが立ち、演奏する曲なのです。ソナタにしてもクラシックではマイナーな曲で、普段の受注型の演奏仕事ではリクエストされることは滅多にありません。イベントなどで演奏することはできず、自主企画をして集客をしてやっとできる曲目のため、集客力がない限りはまともなホールで演奏することはできません。
クラシックが好きなお客さんは一般人の100人に1人というのはよく聞く比率ですが、プロ奏者になると、その中で集客を加えてクラシックを演奏して生計を立てることがとたんに難しいことがわかります。
多くのヴァイオリン奏者がポップスばかりを弾くのは、それが仕事になりやすくお金が入るからであって、それが望んだ演奏活動かどうかはそれぞれかと思います。
「得意」と言いたいかどうか
演奏にしても物作りにしても、お客さんの望むものを作るのが大事な仕事形態の一つなのでもちろんその道を選ぶ人がほとんどですが、その演奏する曲そのものをどういう気持ちで、どの程度準備して、どの程度思い入れを入れるか。演奏者によると思いますが、クラシックを深く学んできたヴァイオリン奏者にとっては、「得意」と呼びたいものは、自分の技が遺憾なく発揮できる作品を、何度も積み重ねてきて、まるで呼吸をするように当たり前にその曲を披露できる曲、みたいな定義でありたい。
そんな願望が心にはあるのかと思います。
もちろん、これは僕自身が考えていることであって、他の奏者はどうだかわかりませんが。
少なくとも、チャルダッシュや情熱大陸のような、誰でも知っていて誰でも弾けて、自分の作ったわけでもない曲を「得意」とは言いたくないの気持ちは、少なくとも僕にはあります。
深い意味は無い
多分お客さんの多くはラーメン屋で注文するかの如く
「この店で1番人気のある美味しいやつ頼むよ」
と同義で
「1番得意な曲を弾いてよ
(=あなたが弾いてみんな一番楽しめる曲を弾いてよ)」
と注文するのだと思いますし、全然おかしくないと思うんです。
そこはまあ、めんどくさいラーメン屋みたいなものだと思って
「情熱大陸を弾いてよ」
これで解決です。
「得意なやつ」と注文すると
「訳のわからない、明らかにその場にそぐわない長尺のドス黒い現代曲」が流れるかもしれません。
でもそうじゃ無いかもしれない。
そのお客さんが求めてるものは、なかなかわからないものです。
だからこう答えるのです。
「1番得意な曲を弾いてよ」
と言われたら、そういう感情が渦巻くため、僕は
「得意な曲なんてありません」
と答えてしまいます。
日々の仕事に追われ、そのような技を見せるような曲も用意しておらず、披露する機会すらなく、そう答えるしかないのです。毎日のようにパガニーニのカプリースを練習してパッと弾けるのであればそれも良いのですが、私自身は大人になってから練習しすぎで腱鞘炎を患った経験があるため、そのような異常なまでに練り上げられた超絶技巧曲は避けるようになりました。
このジレンマから抜け出るには、自分で曲を書くしかないのかもしれません。
技巧はほどほどに「思い入れのある曲」「自分の作品と言える曲」「普段からいろんな場所で弾ける曲」「永く弾ける曲」
それだったら、たとえお客さんが全く知らない曲でも
1番得意なのは自分が作った〇〇という曲です。
と胸を張って言える気がします。
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