あのときの温もり【親心】
僕は部活で柔道をしていた。
階級は66キロ級と、部内では小柄な方だったが、一番強かったので主将を任されていた。
朝、部活に行く準備をしていると、電話がかかって来た。
電話はひげダルマからで、「子猫は無事だから、引き取りに来なさい」という内容だった。
僕は、部活終わりに動物病院に行くことにした。
部活が終わって、「皆でラーメンを食べに行こう」と盛り上がる友達と別れた僕は、動物病院に向かって自転車のペダルを踏んだ。
病院に到着すると、「次の診察は13時からです」という札が、ドアに掛けてあった。
僕が引き返そうとしていると、「堀口君?」と声をかけられた。
振り返ると、病院に隣接してある、ひげダルマの自宅窓から、ひげダルマの奥さんが顔を出している。
僕が、「はい」と返事をすると、「ちょっと待ってなさい」と言って、顔を引っ込めた。
そして、パタパタと駆けてきた奥さんが、病院のドアを開けてくれた。
奥さんが、ひげダルマを呼びに行っている間、僕は、静まり返った院内待合室の長椅子に腰かけた。
しばらく待っていると、奥からガチャンとドアの開く音が聞こえた。
と同時に、ミュウミュウと鳴く、子猫たちの声も聞こえてきた。
その元気な鳴き声に、僕は自然と笑みが出た。
やがてひげダルマが、子猫を入れたスポーツバッグを抱えて待合室に来た。
ひげダルマが、僕の隣に座った。
「君が昨日、この子たちを連れて来た時、この子たちは衰弱して、危なかったんよ」
ひげダルマは、毛むくじゃらの太い指で、子猫の背中をそっと撫でる。
子猫たちの体温は低下しきって、脱水症状を起こしていたらしい。
ひげダルマは一晩中、子猫たちを温めて、ミルクをあげていたという。
「君はこれからこの子たちの親になるんやから、ちゃんとした知識を身に付けんといかんよ」
ひげダルマはそう言うと、粉ミルクと哺乳瓶、スポイトの入った袋を、僕に手渡してくれた。
「ミルクは3時間おきな。子猫は吸引力が弱いから、お湯で溶かしたミルクをスポイトであげること。それからウンチは自分の力で出しきらんけん、ミルクをあげ終わったら、湿らせたティッシュでお尻の穴を優しく叩いてあげて」
「わかりました。あの…それでこの子達はオスなんですか、それともメスですか」
「それはまだわからん。性別が分かるようになるのは生後2か月くらいかな」
「そうなんですね。あの、診察代は…」
「今回の診察代は、君の優しさに免じてタダでいいよ」
日ごろは不愛想なひげダルマが優しく笑ったところを、僕は初めて見た。
病院を出ると、桜のにおいを含んだ風が、サッと吹き抜けた。
中学生にして「親」となった僕は、か弱い命を自転車のカゴに乗せて出発した。
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