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見た目と中身が違うから捨てる、ですって

今夜は少し捻くれた暗い話をする。今日いいことがあってハッピーな人は見ないで欲しい。ハッピーを楽しんでほしい。ハッピーフライデー幸あれ!


「君は見た目と中身が違いすぎる」
そう言われて元恋人に振られたことがある。

元恋人の彼曰く、私の見た目は何も苦労してなさそうで、いつも明るくて、人懐っこくて優しさに溢れたほわほわ系女子らしい。

真偽のほどはよく分からないが、私自身勿論そんなほわほわ系女子ではない。そもそもそんなマンガの主人公みたいな女が存在するのかも怪しい。

そしてそのマンガの主人公のような女と付き合えたかと思ったら、彼にとっての地獄が待っていたらしい。
そう、彼の言う「中身」の私。
すぐ塞ぎ込んで、人間嫌いで、特別優しいわけでもなく、両親のごたごたやモラハラ、セクハラの後遺症に悩んでいたりする、何かしらの苦労がある女だったわけだ(みんな大体何かしらを抱えていると思うのだが)

人は見た目だ。それは分かってる。彼もきっと私と付き合えば、いつも癒してくれる優しい彼女が手に入ると思ったのだろう。

しかし「見た目と違うから」という理由で別れるのはあまりにも一方的ではないか。
こういうことを言われたのは初めてではない。
見た目と中身が違ってずるい、と女友達から絶交されたこともある。
あざとい、嘘つき、好きだった人を取るな。だったっけ。

見た目は、大事だ。もちろん中身も。ただこういうことを繰り返しているうちにどんどん心の中の大切な部分が消耗しているのが分かる。
人は見た目で判断する。それは私も。
だけど、口に出すかどうかはまた別。


「僕はいつも自分をからっぽの容器のように感じてきた」
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 村上春樹

見た目のことと中身を比べられると、私はこんな風に感じる。自分が容器みたいだ、と。中に何かを入れてみたいと思うけど思ったのと違うと捨てられる容器みたいだと。容易く判断され、都合よく解釈され、理解できないと捨てられる。使い捨てみたいだ。人をそんな風に扱わないでくれ。

彼は自分の見た目に大いにコンプレックスがあると言った。
そして私を連れて歩くと優越感に浸れるとも言った。

自分の見た目に目が向きすぎて、人の心に寄り添えない人間にならないようにしたいと皮肉にもそんな風に私は思った。
外見を貶されて悔しいと彼はよく言ったが、中身を否定されるのも同じく。貴方と同じような性質の痛みが発生しているかもしれないじゃないか。

美醜うんぬんより、「思った通りの中身じゃない」と言われる方が人生丸ごとを否定されるような気分になってしまうよ。そもそも、思った通りじゃないから面白かったりするんじゃないか。


心の中は誰にも分からない。メンタリストは嘘つきだ。
朗らかに笑っている人も、耐えがたい過去の苦痛に喘ぎながら幸せそうにしているかもしれない。

幸せそうな人が幸せなわけではない。
貴方の周りの幸せそうな人は内実そうではないのかもしれないと、そんな風に思ってくれたら救われる人たちもいるのかも。

あと、人に外見を貶されるのが嫌なんだったら、人の内面を貶すのも同じだと分かってくれ、因果応報!と心の中で念じておく。

それじゃあ、おやすみなさい。

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