自分が嫌い、その意識の中へ。。。

私は自分が好きじゃなかった。それも50年以上も。ひどい話。。。でも、今は自分が大大大大、大好き。

自分嫌い、だった理由はなんだったろう。この理由1つだ、という事ではなかったと思うけれど、色々な思いが全部ぐちゃぐちゃになって心の奥の方に重なり合っていた気がします。なっているはずの自分になれていない事や、嫉妬、劣等感、そして罪悪感もあった。自分にそんな感情がある事さえ認めたくなく、そんな自分がどうしてそこから抜け出せたかというと、『考える事』をし始めたからです。

なぜ、他人に嫉妬するのか? なぜ自分が人より劣っていると思うのか?なぜもっと頑張らなきゃいけないと思っていたのか?

よく言われているように自分の長所をもっと見つけたとしても、自分を認めようとしても、それは無理にそうしているようで、今の自分は変わらず、なっているはずの自分像も変わらない。まだ人と比べる自分はいて、何も変わらなかった。ありのままの自分なんて大嫌い、できてない自分が、強いふりしているだけで、人に言えない苦しい気持ちは変わりませんでした。

今までだったら、『まー、いっか』と、いつも通り、またそのままの生活を続けていたと思います。だけど、そうやって50年も来てしまった。いつまで働けるだろう。バツイチ、結婚していない私がどうしても心配なのは老後。働けなくなるまで働く覚悟はあります。でも、病気になってしまったらどうなるのかなと考えてしまう事もある。 アメリカは低所得者には優しいから、最悪路上生活になっても、フードバンクで食べるものはもらえる。ホームレスになっても生きていけるか、とそこまで覚悟を決めて最悪のケースを設定し、それでも子供の世話にはなるもんかと。でも時間はどんどん過ぎていく。。。焦っていました。。。

当時出会った人達の中に、パッション(情熱)テストという本を勧めてくれた人がいました。人はみんな好きな事を仕事にして生きていけるはずだよ。お金の心配がないとしたら、何を仕事にしていたい?何をやって生きていたいの?と。うーん。。。そこまで好きな事、やりたい事が思い浮かばない。ラテン系のダンスは好きだけど、まだレベル2のままで、数年前から続けてないし。それで仕事になるか? いやいや、ならないでしょ。旅行好きだけど、仕事になるか?うーん。音楽好きだけど? それだけで仕事になる? 特別趣味のない私には、そんな感じで全く何も前に進まない。

それじゃあ、これからやってみたい事、住みたいところ、欲しい車、そういう事をまず書いてみたら? そうね、あと何年残っているかわからないけど、死ぬ前にやりたい事はあるはず。。。そして私は考え始めました。最初に書き出せたことはほんの2、3個だったけれど思いつくままに、どんな小さなことでもいいから考えつく度にやりたい事を書き加えていきました。 

考えて、書いていく。

私はリストを作り出して以来、楽しそうでやってみたい事を無意識に捜すようになりました。そのせいか、視野が広がり、視点が上がったような気がします。実際にやりたいと思った事をやったかどうかは別として、自分の周りになかったものを確実に手繰り寄せているようです。

そして、私は自分の事がよくわかっていなかった自分自身を発見しました。 自分の頭の中や心の中がどうなっているのか、ちゃんと時間をかけて見る事をしてきませんでした。


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