母の言葉 1

私の両親は昭和39年、前回の東京オリンピックの年に結婚した。26歳と22歳の若いカップルだった。

私の母はしつけに厳しかった。特に布団の上を歩いたり枕をまたいだりすると、彼女の手がピシッと飛んできた。ご飯の時も私たちが肘をつきながら食べることを嫌った。足を使って物をよけると、怒られた。

うちの家には宗教がない。でも、信じるものがないかというと、それはある。神様や、仏さん、そして迷信だ。

母は出かける時、必ず玄関のドアに手を当てて「行ってきますね、留守中をお守り下さい」と小声で言う。 車に乗って出発する時は運転手さんに「お願いします」 タクシーに乗って降りる時は「ありがとうございました、運転気をつけて下さいね」と言う。特に暑い時や寒い時、工事現場を通りかかると「ご苦労様です」と小声で言っておじぎをして通る。

そして、毎朝お茶を頂く前にぶつぶつ言っているからきっとお祈りをしている。 鹿児島で生まれ育った母は幾度も台風で怖い思いをしたことがあるから、大雨が降りそうな時や心配事がある時、「大難は中難に、中難は小難に、小難は無難に」と祈っている。自然の力には逆らえないのをちゃんとわかっているから、それを抑え込むような気持はなくて、少しでも軽く済ませて下さいと、お願いしている。

私は、自分がこうして生きていられるのはそういう願いの寄り集まりであるという事を気にもかけず、わかろうともせず、ただうっとおしいものとして、生きてきてしまった。生まれた時に、周りからたくさんの愛をもらっているのに、もらいっぱなしで、人間としてなんて恥ずかしい事をしてきちゃったのかと、それに気が付いた今、できるだけお返しをしようと思っている。

それで終わりかと思ったら、しばらくして更にわかったことがあって、それは、もらったから返すのではなくて、こちらから、誰にでもそういう愛をあげていくことが私のひとつの使命だという事。

それは、宇宙の、神の、自然の絶対法則です。

自分だけじゃなくて、みんなが幸せにならないと、本当の幸せは感じることができず、意味がないのだと。自分だけ安泰でも、周りにつらい思いをしている人がいるのを知っていたら、私は幸せに対して疑問を持つと思う。他の人も一緒で、見えないふり、気づかないふりをしている。私は自分の生きている意味を知りたくなったから、考えて考えて、考えて初めて使命が見えてきた。

私が幸せになる為には、人間、動物、昆虫、地球上に存在するもの、物質、宇宙の星々、つまり地球も、まわりのみんなが幸せになる事が絶対必要で、そこに貢献、つまり、全てを大事に思うその気持ちを持って示すという事をしながら生きていくことが必要だ。その大事さを次の世代の人に伝えていく事、人類の為に、少しでも自分そのままで幸せを感じて生きていける世界をつくれるよう、行動して生きたい。そうなった世界をビジュアルに想像してみたら、自分のすべきことが少しづつわかってきている状態で、方向が見え始めた私は今希望に満ち溢れている。全く不安がないこんな状態は生まれて初めての事なんだな。

そして、そう生きる事に決めた途端、同じような事を考え出していた仲間や気づきが、待ってましたと言わんばかりに現実に出てきだした。私はどの位長い事この状態になるのを待っていたのか。。。振り返ってみると、つらかったし、苦しかった。そう思わないよう、負けないよう、無理してたところもあって、ほんとにがんばってたんだなと、くるしかったんだなと、今も目頭あつくなったりする。

みんなと一緒だよ。

でも、この状態って、神様チームの選手になれた感じ。戦いに負けたとしても、いいよ、ちょっと休んでまた行っといで、って暖かく受け入れてもらえる感じ。超最高。



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