見出し画像

素 描(でつ さん)

    ◇――◇

 (だだいすと)

 だだいすとは悲壯なものだ。い

つか辻潤が尺八を吹いてゐる寫眞

をみて僕は泪ぐんだ。

 大杉榮に伊藤野枝を奪られてか

らだだいすとになつたのか、だだ

いすとだから伊藤野枝に捨てられ

たのか。それは知らない。僕は辻

潤の愛讀者である。彼の「ふもれ

すく」を讀んで泣かないひとは本

當の人間ではない。僕は辻潤を好

きである。さうして、辻潤を思ふと

きだけ、大杉榮に少々の怨情を覺

江るものである。

    ◇――◇

 (好意― その一 ―)

 僕はあらゆる失戀者に好意を持

てる人間である。たとへば、堺眞柄

君に失戀をした島田清次郎氏や近

藤憲二氏に、眞柄君の亭主の高瀬

清氏よりも遥かに好意を持てるも

のである。

    ◇――◇

(好意― その二 ―)

それが詩であらうと、小說であ

らうと、繪畫であらうと、そのほ

かのなんであつてもいい――凡そ

或る作家の作品を普通の程度以上

に好きだといふことは、つまりそ

のひとがその作家を非常に戀愛し

てゐることである。それが普通に

言ふところの戀愛關係とちがふ唯

一の點は、ただこの塲合、それが

男性と女性とであつたとしても、

かの科學的調査を必要とする貞操

問題を惹起さないだけのことである

 だから、或るひとの妻―或は戀

びとが、或るひとりの作家の作品

を一方ならず愛好したからといつ

て、その夫―或は戀びとは、妻―

或は戀びとの貞操に就いてすこし

も疑點をさしはさむ權利はない。若し、

その不快に堪江られないならば、

或はその嫉妬の苦しみを制しきれ

ないならば、彼はただ妻―或は戀

びとに、彼女の愛好してやまざる

作家以上の作品を書き示すよりほ

かに途はないと僕は思ふ。

    ◇――◇

 (好意― その三 ―)

 自分は佐藤春夫氏をわるく言ふ

ひととは友達になれない人間であ

る。あのひとの作品を讀んだこと

のないひと、或は、あのひとの作

品を好きでないひとでも、ことさ

らにわるく言はないひと―さうい

ふひとはまだいいが、すくなくと

も自分のまへで春夫氏のわるくち

を言ふひとを自分は憎むものであ

る。自分は佐藤春夫氏の全作品を

切愛する。いや作品ばかりではな

い。自分は春夫氏の風貌を愛し、

聲音を愛し、いやそれだけではな

い、自分はあのひとの足指を好き

である。足跡を好きである。春夫

氏に對する自分の感情は、恰も狂

ほしきまでの愛戀の心情である。

しかもそれは永遠に失戀の哀しみ

に泣くことのない片戀ひの切なさ

である。

    ◇――◇

 (情熱家)

 並なみならぬ情熱家は、また同

時に並なみならぬ寂しがりである

◇――◇

 (文字)

 熱情と書くよりは、情熱と書く

方が意味がつよいと僕は思ふ。

    ◇――◇

 (批評)

 有島武郎氏の小說に(宣言)とい

ふ作品がある。そのうちに、Aとい

ふ靑年がその友だちのBといふ靑

年へおくつた手紙の一節に、

 ――開らけて呉れ最上の道!そのた
 めに僕は、僕を助けてくれる凡ての
 ものの合力を賴む。僕は君に何をし
 てあげればいいんだ。僕は先づあり
 餘る幸福の凡てを獻げまう。――

といふところがある。これはご承

知のとほり、Aといふ男がその愛

人との愛を完ふするために、その

友だちのBの助力を希ふ心持を書

いたものであるが、まあ假りに僕

がこの手紙をもらつたとしたら、

僕はまづ次のやうに返事を書く

だらう――

 それほど君が感情的言辭を僕に惠む
 ならば、僕は敢て君の好意に答へた
 い。希はくば僕に、君の美しき愛人
 を與へ給へ。

 こう言ひたくなるのは僕が變奇

な人間であるためばかりではない

人間といふものは、ひとから最上

の幸福をみせられるとき、往々に

して、甚だ不愉快を覺江ることが

あるものである。

    ◇――◇

 (趣味的失戀)

 友達がきて戯談に(趣味的失戀)

といふことを言つた。僕は不快で

さうして哀しかつた。僕のまへで

笑談わらいばなしのつもりでもそんな言葉を

きかせてもらひたくないと思つた

趣味的失戀――若し人生にそんな

ものがあるのならば、僕は直ぐに

でも人生から失踪して了ひたいと

思つた。

    ◇――◇

 (佐藤捷平氏の作風瞥見)

 佐藤君の上衣は作者自身に甚だ

よく似合ふ上衣である。僕は彼の

作品を讀むたびに、あの素敵な、

近代的な新鮮さを多分に持つた佐

藤君の上衣を羨望する。精神の渾

沌さと表現の玲瓏さと――佐藤君

の藝術は常にこの二つの重要な言

葉の渾然たる融合に於て最も完全

である。が併し、或る塲合―例へ

ば「キラキラ亭のマスタア」や「生

首」などといふ作品になると、佐

藤君の最も致命的な缺陥を示して

ゐる。これは作者の不十分なる醗

酵狀態に於て、精神の渾沌さと表

現の玲瓏さとが壓迫し合ふためで

ある。

 最後に僕自身の好みに従へば、

彼の上衣は餘りに織目が荒すぎや

しないかと思ふ。或は又、彼のズ

ボンは餘りに短かすぎやしないか

とも考へる。僕は彼の作品の讀後、

必ず彼を模倣したくなる誘惑を多

分に感じる。だが僕に彼の上衣を

着せて、彼のズボンをはかせてみ

たまへ――餘計な心配だが、僕は

すぐに風邪をひくにちがひない。

(十五年二月稿)


(越後タイムス 大正十五年二月廿八日 
      第七百四十二號 五面より)

#ダダイスト #辻潤 #大杉栄 #伊藤野枝 #ふもれすく #堺眞柄
#島田清次郎 #近藤憲二 #高瀬清 #佐藤春夫 #有島武郎 #宣言
#佐藤捷平





        ソフィアセンター 柏崎市立図書館 所蔵

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?