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田舎の冬 ― 一錢雑文 ―

(久振で昔の書きたがる病氣に

とりつかれた。それと一緒に讀

みたがる病氣も亦併發してゐる

この種の病氣の治療法には、た

つた一つの良法がある。それは

うんざりする程書くことと、讀

むこととである。尤も書きたが

る病氣だけには最もよく効く頓

服がある。それは僕の原稿を編

輯者が没書にすることである。

僕はその苦い頓服を飲まされて

も不服ではない。僕は編輯者の

見識を尊敬する者である。編輯

者よ―僕が、本職の月給取と内

職の高利貸との片手間に書いて

お眼にかける、一錢雑文や一錢

小説が、若し貴下に不快を與へ

るやうであるば、直に例の頓服

をおもり下さることを豫めお

願ひして置く次第である。)

 頃日、日光街道に沿ふた或

る田舎の冬にこもつて、終日

呆然とうそ寒い風物をみて暮

らした。ここは漸く電燈がひ

かれたばかりで、未だ洋燈ラムプ

用ひてゐる家を散見するほど

の貧村である。

 畠の黒い土が雪をかむつて

三寸ばかりに伸びた麥の靑さ

が快く鮮かであつた。畔みち

のほとりには田芹のひと群れ

が、うす赤く土に這つてゐた。

こういふ冬景色をみると、僕

はきつと子供の頃のことを思

ひ出す。――

 今から二十四、五年程前に

なる。その頃の僕の田舎の風

景も、今僕の眼にうつるもの

とそつくりであつた。村境を

流れる小川の水のいろも、巾

のせまい草の茂つてゐる土橋

も、川岸の欅林も、畔みち

に一本枯れて立つてゐるはん

木も、さうして寺の庭のまつ

赤な椿の花も、これらの田舎

景色になくてならないものは

悉く「光陰矢の如し」といふ

文字に關係なく同じものであ

つた。村の子供だちは竹馬に

のつてゐる。僕らも昔竹馬を

愛好した。僕らの遊びはその

他に杉の實をたまにしてうつ

竹鐵砲をつくつたり、紙凧を

あげて糸を切り合ふ凧合戰な

どてあつた。その頃元氣で大

きな凧を張つて呉れた父も、

とうの昔に亡くなつて了つた

し、今からその頃のことを回

想すると、二十四、五年位の歲

月ではなく、到底想像もでき

ない昔のことのやうな氣がし

て、身ぶるいするほどの寂し

さを覺江る。路ばたの杉垣が

ら杉の實をもぎとつて、その

ねばねばした匂ひを嗅いでみ

ても、なつかしい昔の匂ひが

心に沁みるやうである。幼年

時代をとほり過ぎて少年時代

のことを思ひ出してみても、

なつかしいのは冬である。今

でも本を讀んだり、稚拙な文

章を書いたりするくせがやま

ないけれども、僕には子供の

頃からさういふ傾向が多分に

あつた。「日本少年」を愛讀し

て、投書なども随分したやう

である。歐州大戰の初めの頃、

英國の少年義勇軍に送る文

いふのに應募して、小さな置

時計を貰つたりして喜んだも

のである。毎月雑誌の出るの

を待兼ねて、幾度も本屋へ催

促に行つて笑はれた。その後

街の新聞へ投書し出したが、

原稿を送つた翌日の夕刊には

きつと載せて呉れた。さうい

ふ夜僕は夕餉の膳に座り乍ら

雪路をさくさくと踏んでくる

新聞配達夫の足音に耳を澄し

てゐた。その足音が家の前で

やむと飯の途中で駆け出して

胸ををどらせ乍ら夕刊の第一

面を埋めてゐる自分の文章を

幾度も繰り返して讀んだもの

である。こういふ子供くさい

思ひ出をとほして今の自分を

考へるとなのもかもまるで嘘

のやうな氣持を覺江る。

 さういふ昔のあつた僕は今

この村の百姓だちから、彼ら

の暮らしの苦しいことや、さ

うして、今のやうな有様では

もう百姓をしては生きてゆか

れないなどといふ話を、彼ら

の溜息と共にきくほど成人し

てゐる。僕はこういふ人間の

みじめな生活の話などに耳を

ふさぎたい。眼を閉ぢてゐた

い。―僕は彼らの話を聞き乍

ら心ではさう思つてゐた。僕

は一方彼らを救つてやりたい

と思ふ英雄心をしきりに押へ

乍ら、樂しい昔の思ひ出にひ

たつてゐた。さうして、こうい

ふ人間苦を味ふために成長し

たことを後悔してゐた。――

 一望の冬田にはあひかはら

ず雪が降りつもつて行つた。

    (昭和五年一月稿)


(越後タイムス 昭和五年二月二日 
  第九百四十四號 八面 より)

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