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「王友」第十九號 編輯後記

         ☆

◇無類の御人好しで、馬鹿正直で、透明人

間である僕は、數年前、本職に忙殺されて

到底、「王友」編輯發行の重責を果すことが

出來ないのを唯一の理由に辭任して置き乍

ら、去年の産報委員改選の際、文藝部專任

委員に任命され、僕の公私身邊の事情は、

その當時よりも一層惡條件にあるにも不

拘、斷呼としてこれを辭退することも出來

ず、ずるずるに引受けて了つたのは、笑止

の限りであつた。しかし、表面の責任者に

なればやる、下働らきなら嫌だといふやう

な駄々兒的無定見や、さもしい根性は、僕

には微塵もないのであるから、この點特に

言明して置く。

◇原稿蒐集に當つて、社内舊知の五十數名

の方々に文書で御寄稿を願つたところ、多

數の御後援を得て誌上を飾らせて頂いた。

誠に有難く、衷心より御禮を申上ぐると共

にお願ひばかりして、一々御禮狀を差出さ

なかつた非禮を御許し願ひたい。又、僕が

是非玉稿を得たいと思つた二、三の方々か

ら遂に御寄稿を頂けなかつたことは僕の努

力と熱意が足りなかつた爲めで、慚愧に堪

へない。尚ほ、久留米陸軍豫備士官學校敎

官三上哲夫中尉が、軍務多端の際、特に本

誌の爲めに、「馬に關する研究」を執筆脫稿

せられ、敎育總監の檢閲手續迄とられたに

も不拘、都合上、掲載出來なかつたのは遺

憾の極みであつた。

◇巻頭に高島相談役の御近影を掲げたのは

先年の藤原相談役の例にならつたのである

が、創刊以來、本誌に對する、陰陽格別の

御支援は甚大である。以て感謝の微衷を表

はし、永く良き記念としたい念願である。

高島相談役は、曩に、中支那振興株式會

社總裁の重職に御就任になり、隣邦大陸に

雄飛せられてゐることは御承知の通りであ

る。古來、支那に於ては、身・言・書・判・

を兼備する人物を大人として崇敬するとい

ふ。高島總裁が、この大人四格の内身・書・

判・の三格を具備せられてゐることは勿論

である。折角、御自愛せられ、隣邦國民政

府との交誼圓轉に寄與あらんことを切望す

る次第である。

◇山本元帥の陣頭戰死とアツツ島に於ける

孤立將兵の玉碎の公報は、皇國民一億の心

魂を抉る痛恨事である。これを契機として

米・英に對する敵愾心が最頂點に昂揚され

たことは勿論である。果しなき血闘と決戰

の連續する、皇國隆替の岐路に立つ、超重

大時局下に直面して、尚ほ、大東亞共榮圏

建設確立に邁進する、皇國の遠大なる意圖

を思ふ時、悠久なる肇國以來の神意の導き

に低く頭を垂れて感激歡喜せざるを得ない

のである。         (菊池義夫)


(「王友」第十九號 
  昭和十八年十二月二十八日發行 より)


#王友 #昭和十八年 #旧王子製紙 #山本五十六


※一錢亭の書いた最後の記事。「王友」はこの号で戦局の悪化により休刊を余儀なくされたものと予想されます。




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↑ 「書物展望」会報第二册 昭和十九年八月發行。戦局の悪化の影響か、「書物展望」は前号から会員制の会報になる。その「展望會々員名簿」に「菊池義男(東京)」とある。義夫の間違いであると思われるが確かめようがない。もし、義夫であるとすれば一錢亭の最後の足あとであるといえる。

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