た び 路 ――へんな原稿(六)――

  ――へんな原稿――第二稿――


 中村葉月氏の書齋は、憂鬱なる

主人にふさはしくなく明るいへや

ある。窓にもたれてそとをみると

梧桐あをぎりの大きな葉が雨に濡れてあざ

やかにゆれてゐる。街角の柳はし

めやかに雨のしづくをしたたらせ

てゐる。あひかはらず、銀鼠ぎんねずみいろ

の雨空が深くとざして、いつ霽れ

るとも思はれない。

 ――しかし靜かだ。わたくしは

その家のまへから小學校のある方

へゆくつまさきあがりの細道を大へ

んに好きである。どことなく陰鬱

で、上品な感じがするからである。

ふとみると、その路をひとり歩る

いてゆくひとがある。どこか見覺

江のある風貌だがと思つてゐると

―あそこをゆくのが洲崎義郎氏だ

―と瀨川潤がさう言つてくれた。

 午後から歌會があるので、酒井

薫風氏や田邊音子おんし氏やそのほか二

三のひとだちがみ江た。草笛氏に

お會ひできたのは嬉しかつた。草

笛さんに就いては、だいぶまへか

ら瀨川にいろいろなことをきかさ

れてゐて、ひそかに尊敬してゐた

し、「たにあひ」などもなつかしく讀んだ

ことを覺江てゐる。ことにあのひ

とが、深尾須磨子氏の詩を讀んで

ゐられることを知つて、ひとしほ

親しみを覺江た。いま、温雅な、

それでゐてどこか銳いまなざしを

もつ風貌をまのあたりにみて、敬

虔なる愛好の情を深めたことを喜

ぶものである。

 音子おんしといふひとは、ときおりこ

の誌上で歌をみて、いかにも華麗

な、艶つぽいところがあるので、

わたしは、音子おとこといふ女歌人だと

ばかり思つてゐた。いつかこのひ

との歌に、カルメンとドン・ホセの

戀がどうとかしたといふのがあつ

たし、そのほか、ずゐぶんと脂粉

のかほりのたかい戀うたがあつた

ので、きつと美しいひとにちがひ

ないと思つてゐた。

 ところが、その日このひとが田

音子おんし氏ですといつて紹介された

ひとをみると、思ひも寄らぬ男の

老人である。わたくしの祖父だと

いつてもいいくらいの好もしき老

人である。このひとがなにかわた

くしの書くものを讀んださうでわ

たくしはすこしばかり冷かされた

やうである。たとへば、わたくしが

越後タイムスに書くものが、音子

氏には分らないさうである。そし

て瀨川潤の書くものはすこし分る

さうである。音子氏はわたくしの

やうな、とるに足らぬ若者にむか

つて、心へだてのない評言をめぐ

むほどの愛嬌をふりまいてくださ

つたから,わたくしも、とくにあ

なたに、次ぎの言葉をさしあげて

わたくしの愚直をあらはしたいと

思ふ。

 ―僕の書くものよりも、瀨川潤

 の書くものの方が、すこしばか

 りあなたに分るといふわけは、

 ひとくちに言ふと、瀨川潤は僕

 より一つだけ年うへだからです

 やがて歌會がはじまつた。わた

くしは歌會などといふものにでる

のはそのときが始めてである。

「月」といふ即題であつた。わづか

一時間ぐらいのあひだに、よくも

あんな風にたやすく數多くの歌を

つくることができるものだと、わ

たくしは歌人諸氏の歌才に尠なか

らず驚嘆した。また羨望に耐江な

かつた。

 わたくしは歌會といふものをよ

く知らないが、あのやうな會合の

席上で、しかも甚だ自由でない作

品の制限をうけて、なほ、ながくひ

との心にのこるやうな、いい歌を

つくることができるひとがあれば

わたくしには不思議である。あの

やうな會合は大へんたのしいもの

だし、いいものだが、そして即題

や兼題も興味のあることだらうが

できるならば、たとひ、ひとつでも

いいから、自分のいちばんいいと

思へる作品を持ち寄つて、それぞ

れに意見のあるところを、純粹な

氣持で話し合ふといふ風にしたら

歌會の作品も、もつと自由になる

だらうし、いいものも多くなるこ

とだらうと思ふが、どうであらう

か。つまりわたくしは作品の制限

をやめてしまつたら、どうだらう

かと考へるものである。これはも

とより歌會などのことをよく知ら

ないわたくしだけの考へであつて

古い歴史をもちつづけて今日に到

つた柏崎歌會にむかつて言ふべく

甚だ不遜な言葉であるが、現に、

柏崎歌會での酒井薫風氏の作品と

草笛集にある歌と比べてみても、

後者の方が、いかに伸びやかで、

純粹で、好もしき歌が多いかとい

ふ點を考へても、わたくしの言葉

は、あながち虚しいことでもなさ

さうである。言ふまでもなく、い

い詩歌は、うたはずには居られな

い境地から生れいづるものである

つまり或るひとの生活が、詩歌で

なければ表現できないといふとこ

ろまで行つて、はじめて、ひとを感

動させるだけのいい作品が生れる

のである。さあ「月」にかかはりの

ある作品をつくれと言つて、わづ

かな時間にせばまれて、むりにつ

くつた歌に、いいものを望むのは

まちがひである。純粹な、自然な、

藝術的感激のないところに、いい

藝術品が生れるわけがないからで

ある。

 然し乍ら、若し柏崎歌會の歌人

諸氏が佐藤春夫氏の言葉のやうに

 ―偉大な藝術家は、思ふに、最
 初いかなる目的と束縛とから出
 發したにせよ、その勞作の最中
 に於ては一切その目的と束縛と
 から解放されて自由な最高の努
 力のうちに創造の喜びのみに沒
 頭するに相違ない。創造の喜び
 を完全に味ひ得た時にそこにい
 い作品がその喜びの紀念として
 殘されるのである。――

この精神をもつて歌會にのぞみ。

また、

 ―眞の藝術家の喜びは何か。
 ただ藝術家自身が眞から滿足す
 ることである。いや、更に創造そ
 のものの喜びである。その時、
 藝術家は神の喜びを喜ぶことが
 出來る。混沌のなかから、もの
 がぽつかり生れるところを見る
 混沌が深ければ深いほど大きな
 ものの生れるのを見る。藝術と
 は即ちこの境地への追求に外な
 らない。

 といふ、佐藤春夫氏の言葉をよ

く會得してゐられるならば、もは

や、わたくしの言ふべきところは

ないのである。

 以上は―たび路―にふさはしく

ないことがらを書き綴つたやうで

あるが、どうせこれもわたくしの

―へんな原稿―の一部をなすもの

であるから、それに近來とみに焦燥

を覺江て、いささか持合せてゐた

詩情をも失つてゐる際なので、―

たび路―などを書けさうでもない

から、埋めぐさのつもりでこれを

讀んでいただければ幸ひである。

若しこの一文のなかに先輩諸氏に

對して不遜な點があるならば、そ

れは、わたくしの若氣と焦燥のい

たすところである。

 ――深更、月のぼれど、わが庭の月
  見草咲かず、わが心たかぶれども
  わが希ひ虚し。卓燈の燈火ともしびを戀ひ
  てとびきたれる、若き馬追の自由
  を羨むのみ。――(九月六日深更)

(越後タイムス 大正十四年九月十三日 
                  第七百十九號 六面より)


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