「王友」第八號 編輯後記
「王友」 編輯者の末席を汚して本號で二度
目の編輯に参興する次第だが、甚だ才能が乏し
く申譯がない。だが人間といふものはへんなも
ので、柄にないことでも一旦引き受けた以上は
とまるでひとかどのジャーナリストにでもなつ
たつもりで、ああでもない、こうでもないと、
無い知惠をふりしぼり、いくらかでも雜誌をよ
くしやうとする――これが俗に云ふ人情といふ
ものか。
凡そ何事にあれ、一事に精通し、或は一藝に
秀でることは至難の業であるが、こういふ人の
書く文章には、云ふに云はれぬこくがある。こ
れは求めて得難き至上の境地であつて、吾われ
の最も珍重するところである。大王子二千人の
社員の中には、特殊な技能を有し、深奥なる趣
味に生きる人びとが相當多いことと思ふ。吾わ
れは出來るだけ足と口とを動員してこの種の人
を發見し、特異性のある原稿を獲得せねばなら
ぬ。吾われの依頼に快く應じて公私御多用中に
も不拘、本號のために原稿を下さつて山本一掬
氏、亮生氏、竹蔭先生等の御好意に對して厚く
御禮を申上げるものである。
本號は體裁その他の點で多少舊來の型を破つ
てみた。出來榮が御氣に入るかどうか諸氏の御
批判に待つより他ないが、これで決して滿足し
てゐるわけではない。前述の如き抱負のもとに
可及的名記事を滿載し、ほんたうに讀み應への
ある雜誌をつくるつもりである。「王友」は大
王子製紙社員全部のものである。だから、我等
の「王友」の惡るい點に御遠慮なくびしびし御
注意願ひ、すこしでも雜誌をよくしてゆきた
い。
次にこれは寄稿家への御願であるが、原稿は
出來る丈け分り易く御書き願ひたい。それから
句讀點をはつきりつけて頂きたい。社務の餘暇
をぬすんで校正は三校まで取つてゐるが、誤植
が多いとの非難を受けてゐる。これは校正者が
惡いには違ひないが、分り難い原稿にその罪の
一半はある。どうか編輯者を救けると思召して
この點特に御留意願へれば幸甚である。
(菊池)
(「王 友」 第八號 昭和九年六月一日発行
編集後記より)
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