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「王友」第十四號 編輯後記

 本號は支那事變に依る戰時體制下に於

て編輯されたのである。從つてその色彩

は、現下時局の影響を多分に受けざるを

得なかつた。先づ第一に、四十數名に上

る出動誌友の小照を巻頭に掲げ、その武

運長久を祈ると共に、無二の紀念とした

點で機関誌の使命の一端を果したつもり

である。記事としては秀木氏の「挺身隊

從軍記」と、出征途上よりの鈴木和六氏

の通信だけが戰爭物であるが、本號の締

切が七月末であつたためと、本誌の使命

が平和的な、趣味的な社内機関誌である

關係上、所謂際物滿載とならなかつたの

は寧ろ當然である。

     ×

 前號に掲載した岩下、木幡、高橋三氏

の、南洋及び印度紀行は何れも非常な好

評を博したので、本號には、新京の筑紫

氏、香港の大石氏からの寄稿に依て、滿

支特輯とも稱すべき、異國情趣を横溢せ

しめ得たのは一異彩である。只、日滿パ

ルプ敦化工場建設に奮闘中の岩崎達雄氏

の原稿が間に合はなかつたのは殘念であ

る。又、貴重なる文獻として、紙業關係

者の渇望せる、香畝氏の「王子製紙創立

當時の狀況」の完結篇を得たことは、最

上藤太氏のユニークな珠玉詩篇及び、石

川蘇春氏の麗筆になる譯詩二篇は、共に

文藝愛好家の待望に答へるものである。

靑木森次郎氏の「私の寫眞」は、既に中

央寫壇に於て、一流作家として確固たる

地位を占むる氏の、眞摯なる藝術觀、人

生觀を說いて餘すところがない。寫眞愛

好者たると否とを問はず、塾讀玩味すべ

き好題目である。小沼九人像氏の「竹五

題」は、近來、俳境愈いよ銳く、心眼透

徹せる氏の心境を語る、枯淡掬すべき好

随筆である。葭野隋唐氏の「豐原覗記」は

異色ある、氣の利いた人物月旦で、その

洗練されたる筆觸の快さは、王友文筆家

中随一である。前號より連載の鯱城氏の

「味覺走書」は、都會生活者の幸福を

謳歌せるもの、その筆致の快感は、僕の

愛好措く能はざるところである。この他

讃辭を呈すべき作品は多々あるが、小文

のよくするところでないから割愛する。

     ×

 編輯戰線に又異狀を來したのである。

曩に名編輯者土肥次郎君を北海道へ送

り、續いて今春、花形役者筑紫武雄君が

遠く滿洲に去つて、「王友」編輯陣孤影悄

然の感が深い。同君が稀に見る多才有能

の人であつただけんい、この大穴埋めは容

易でなかつた。第一に困つたのは、每號

誌上で多大の賞讃を博してゐた「カツ

ト」である。これは全部同君の作品に負

ふてゐたのである。僕はあらゆる方面に

觸角を伸して、舊人、新人のかかからカ

ツト作家を物色し始めたが窮すれば通づ

るとはよく云つたもので、「心配せんで

もいゝよ。カツトは乃公が描くから・・

・・。」と云つて、ガツチリ引受けて呉れた

のは、意外にも毛内義胤君である。同君

が勇猛果敢なラグビー選手で、演說やシ

ヤリアピンの眞似が上手なことは知つて

居たが、まさか繪が描けるとは夢にも思

はなかつた。早速原稿を廻して描いて貰

ふと立派な腕前である。おまけに同君の

繪は出來が實に早いのである。五分か精

ぜい十分位で一枚出來上る。まるでカツ

ト製作機を一臺備付けたやうなものであ

る。遂には原稿は未だか/\と催促され

たり、中にはカツトが先に出來て、それ

に合せて原稿を書くといふやうなへんな

ことになつて了つた。本號の扉繪、カツ

トは村上氏の「鮎」(このカツトは新人中

原元次郎君の作で、その新鮮奇抜な畫風

は珍重である。)に挿入のものを除き、

全部毛内君の作である。こんな工合で僕

はその夜から枕を高くして眠れることに

なつた。更めて筑紫君の功績に感謝する

と共に、毛内畫伯の畫才を祝福するもの

である。

 次に筑紫君の後任編輯者として本號か

ら登場の新人栖原亮君を紹介する。同君

はラグビー、バスケット選手として精悍

無比、闘志充滿のハリキリ靑年であつ

て、既に老境に入つたかの如き感あるわ

が編輯陣に一脈の生氣を注入するものと

して、大いに期待してゐる。

 猶ほ、合併以來、編輯者として、又講

演部委員として、わが文藝部に獻身的活

躍をされた、靑木榮之助君が、都合に依

り辭任せられることになつたのは殘念で

ある。多年の御努力に對して滿腔の謝意

を表するものである。(菊池)


(「王友」第十四號 
  昭和十二年九月二十八日發行 より)

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                                      紙の博物館 図書室 所蔵

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