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菊池兄へ/宮 川 生

菊池けい

◇タイムスが發刊されてもう
二十年過ぎたかなあと、僕は
二十周年號を見て思つた。僕
がタイムスを讀み初めたのは
旅順で今は故人の恩人蠟山長
治郎樣宅の居候時代からであ
る。あれからずつと讀んで居
るがもう十五年過ぎて居る。
當時は江原小彌太氏が北越水
力あたりに盛んに公筆を揮つ
てゐたやうに思はれる。
◇それから、江原氏が東京に
去つて中村さんに變つたのは
何日頃からだか覺えてゐない
が、何でも江原氏時代には同
氏一人と云つてもいい程、一
人で全面を埋めた程タイムス
の色彩は一特色をなして居つ
た樣に思はれる。
◇處が中村さんになつてから
は、中村さんの健筆は餘り見
受けられない。その代りよき
寄稿家の自然、人生、社會を語
る名文が、中村さんの靜かな
人を通じて取捨され、洗練さ
れた、矢張り、一つの或る文
化的色彩を持つて織り出され
てゐる。
◇創業の人江原氏、守成の人
中村さん。江原氏なくしては
タイムスの創業難に打難く、
中村さんなくしては今日の隆
盛は期せられない。尤も社内
同人諸兄のよき援助は玆で申
す迄もない。
◇寄稿家菊池君。菊池與志夫
君は中村さんに見出されたよ
き寄稿家の一人だ。菊池君、
随分久し振りだつたね。君が
文學志望を棄てゝ實業方面に
志したと云ふ事は僕を淋し
くさせる。
◇君は一頃佐藤春夫氏の門を
出入してゐる樣にも見えたし
タイムスに發表した君の作品
の數々には佐藤春夫張りのくさみ
が多分にあつた。その表現の
甘美な理想主義と、夢を追ふ
人間性の純情が多分に盛られ
てゐた。
◇君の藝術は當時の新進作家
に伍して斷ぜん、いゝ位置を
要求出來るものであつた。若
さに似合はない圓熟せる筆致
と、言葉に洗練が行き届いて
ゐた。大正十四年頃、僕は「翹
望の門出へ」と題してタイム
ス紙上で、君が一巻を世に問
ふてはどうかと、ひそかに勸
告したものだ。
◇然るに―今、何によつて君
の處世觀が變つて生活樣式に
對するイデアを變へたか、限
りなく君の才能を惜しいと思
ふ人は恐らく僕だけではない
と思ふ。
◇菊池君、僕は今平和な暮し
をしてゐる。眞面目なサラリ
ーマンとして十年一日の如く
朝八時出勤五時退出、取扱ふ
會計事務の貸借對照表の如く
正確な勤務振りで正に典型的
サラリーマンである。型の如
く妻があり、二人の娘と四人
で野付牛町郊外の社宅で人世
を樂しんでゐる。只金が慾し
いとは思ふ。夫は住みよい住
宅を拵へて好きな芝居を見た
いからだ。
◇過ぎし十年の歳月! 本社
在勤當時の晝休みと、メモ通
信が甘い記憶として殘つて居
る。藝術家だつた山本秀一郎
君は僕には或る意味での恩人
だ。當時、口を開けば藝術を
論じ、哲學を語り宗敎を論じ
たがその幼稚さはお互に恥し
い。
◇だが今は何を語る事を持つ
てゐるか。只會社事務の餘暇
に、ヘボの碁を圍み、ヘボの
テニスをやり、ヘボの玉を突
き、ヘボのピンポンを打ち、
ヘボのスキーを乗り廻す、時
に流れを下り乍ら馬鹿の樣に
釣糸を垂れて日が暮れる。何
の思想、何の哲學、何の神ぞ。
◇人間は所詮流轉の永遠に一
線を引く點の連續でしかあり
得ない。みじめな生活でも仕
方がないが只悔える事のない
生活を樂しんで、明日を心配
したくない生活がいゝ。僕達
には明日の希望の八十パーセ
ントは不安であるからだ。僕
は今、人生に就て切ない考へ
は持つてゐない。
◇只二つ、生きてゐる間に世
界をあてもなく散歩して見物
したい事と、よき歌舞伎を新
劇とを倦きる程見たい事だけ
だ。一頃野良犬の樣に「人生
畢竟如何」を解決する書籍を
約五ケ年に亘つて暇さへあれ
ば東京の本屋の棚毎に眼をさ
らした樣な切實な考へは少し
もない。
◇お蔭で平和に樂しくその日
を送つてゐるせいかその當時
十三貫目位しか無かつた体重
が、今では十五貫目餘もあり
僕のニックネーム哲學者も、
そのやせたからだと共にどこ
かへ飛んで了つた事と思ふ。
 西學校運動會に妻と子供二人
は見物に行つてゐる。校庭の兒
童の歡呼と樂隊を聞きつゝ。
          (五、六、一)

(越後タイムス 昭和五年六月八日 第九百六十二號 二面より)


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        ソフィアセンター 柏崎市立図書館 所蔵


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