讀書餘錄(下)
(四)
「千夜一夜」これは又特異な
本である。荒唐無稽の最上な
るものである。僕はアラビア
ンナイトをこの本で始めて讀
んだわけであるが、今迄こん
な面白い本があつたことを知
らなかつたのが殘念である。
尤もこの中央公論社版のやう
なまとまつた譯本がなかつた
爲めでもあるが。この本は菊
版角綴である。裝幀の關係上
角綴にしたのであらうが、ど
うも製本が弱さうに思へる。
印刷用紙はクリームコツトン
紙であるが、インキのつきが
上乗ではないし、手觸りも快
くない。一册一圓五十錢であ
るから苦情も云へないが、今
一段上質紙を使つて呉れたら
と思はないこともない。
「西部戰線異狀なし」は昨年
下半季の讀書界を風靡した流
行本である。原作もいいには
違ひないが、秦氏の譯が潑溂
としてゐて實に小氣味がいい
從來の戰爭物と異つていかに
も呑氣で明るくて朗らかであ
る。それてゐて戰爭の惨禍を
十二分に描出してゐる。打つ
べきところへ銳い釘を打ち込
むことを見逃してはゐない。
この作品は脚色せられて上演
されたが、それは脚色者と劇
團との主義主張が高潮されて
原作とは大分異つたものとな
つたが、然しこれも相當な成
蹟を収めた。木の枝にひつか
かつた死骸に彈丸が當つて落
ちる塲面などは舞臺でみる方
がはるかに効果的であつた。
この本が紙裝で一圓五十錢は
他に比較して高いやうに思ふ
この定價であの位賣れれば中
央公論社の利益莫大であらう
一方、單行本としてこの本位
大廣告を續けたのも、近來出
版界の異色である。
徳富猪一郎氏の「讀書と散
歩」中の前半即ち氏の書籍批
評に属する文章は、主として
漢籍に關して述べられたもの
であつて、僕の如き漢學の素
養乏しき者にはよく分らない
然し、後半の散歩記並に「崇
文叢書刊行に就て」の一文中
左記の如きは快適である。
著者の文章は既に定評があ
るが、その風格の床しさ、簡
潔にして紙背に徹する銳さに
於て、正に文章家として當代
第一に推すべきである。只氏
の著書は殆んど民友社出版で
あつて、裝幀にみるべきもの
がないのは遺憾である。この
書は紙裝定價五十錢で如何に
も割安であるが、紙裝は僕の
賛成せざる所である。内容さ
へよこれば外裝の如何を問は
ずなどといふ言は、書籍に於
て斷じて不可である。
次ぎに野瀨市郎氏の歌集「
落葉木」が自費出版せられて
一本を貰つた。普及版六十錢
特製五〇部限定三圓とある。
僕の貰つたのは六十錢本であ
るが、やかましやの著者に似
合ず本の出來がよくない。誤
植や組方の粗雜な點が眼につ
く。ことに表紙の背の著者名
に誤植があるのは氣になる。
然し、この歌集には秀れた歌
が尠少ではない。「戶山原近く
にて」から「葛飾に移り住み
て」「秋風に立つ」に讀み來る
と、進境著しいものがる。
巻頭の數首、並に「秋風に立
つ」のなかには愛誦すべき歌
が甚だ多い。「戶山原近くにて
」は作者の歩るいて來た路を
示す點で役立つけれども、こ
の集には省いた方がいいやう
に思ふ。著者にとつては作歌
は餘技に属するであらうが、
餘技の方が本技より立ちまさ
つてみ江る點で、この著者も
世間一般の例に洩れない。著
者は當今擡頭して來た口語歌
を征伐する爲めに雜誌を出し
たいなどと言つてゐるが、そ
んな餘計なことなどをして無
駄な金を費消しない方がいい
他は他、己れは己れで十分で
ある。そんな金がある位なら
一日も早く少說集を出版した
方がいい。口語歌が存在して
ゐるのが邪魔になるやうな薄
志弱行な短歌なら、むしろや
めて了つた方がいいと思ふ。
これは蛇足であるが、著者
愛好の一人として苦言を呈す
る次第である。(終)
―昭和五年二月稿―
(越後タイムス 昭和五年二月廿六日
第九百四十七號 八面より)
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