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東京生活十五年の回想

 私は十數年來、郊外に住ん

で、東京の商業街へと、朝夕

のラツシュアワーの流れにも

まれて來た。大正七年に學窓

を出て、直ぐ會社員になつた

が、當時は世界戰爭の末期で

今から回想すると、まるで夢

のやうな、所謂好景氣の絕頂

であつた。その頃は學校の先

生が實業界へ轉身することが

一種の流行となつて、氣のぬ

けた敎育界を去つて、きらび

やかな實業界へ身を投ずる昨

日までの先生の、今日の送別

會に於ける輝かしい顔をみる

と、子供心にも世間といふと

ころは別天地のやうに思へた

ものである。自分たちも一日

も早く卒業して、縱横無盡に

實社會を活歩しやうと、ひそ

かに心を躍らしたりした。然

し軈て、さしもの大戰も閉幕

に近づき、世間の顔に陰影の

きざす日が來て、あちこちで

成金の沒落、銀行會社の破綻

が噂さに上るやうになると、

まるで瀧の落口から落下した

かのやうな不況におそはれた

私が實社會に出てこの間僅か

に一年半であつて、社會へ出

たとはいふものの、西も東も

分らぬ私には、指をくはへて

人々の躍るのをみてゐるより

他なかつたから、折角の千歳

一遇の好景氣時代にも、例の

いい目も見ずに了つてのであ

る。さうして、その後に續い

た年毎に深度を増す不景氣に

は、全く完膚なき迄に苛嘖せ

られて、今日まで來た。これ

は私と同時代に生れた誰れも

にとつて、最大の不運と云は

なければならぬ。だが、兎に

角私は、十五年間の會社勤め

の垢にまみれて、大分甲羅も

固くなつた。身体はもみくち

やになつても幸ひに朝夕のラ

ツシュアワーの一員であるこ

とは、未だしも難有いことに

違ひはない。年々歳々、幾萬

といふ失業者が、大東京の灼

熱坩堝の中へ投込れて、その

うごめき叫ぶ聲は身邊にのた

うちまはつてゐるが、それで

も社會は表面的に、どうにか

こうにか穏やかに収まつてゐ

る。一度あの坩堝の中へ落さ

れると、容易には這ひ出せな

いのだがとに角それらの不幸

な人びとが、曲りなりにも生

き續けてゐるのが、私には不

思議に思へてならない。さう

して一方、ビジネスセンター

附近の停車塲で乗降する、實

に夥しい勤人の數を考へる

と、よくまあこの不景氣に、

これ丈けの人に生活資料を提

供して、猶ほ相當の利潤を擧

げてゆく事業があるものだと

も思ふ。

 個々の事業の内容に入つて

仔細に調べてみると、どれも

これも悲鳴を擧げてゐないも

のはない。物を賣つても利益

は少しもない。あつてもほん

の雀の餌だ。賣らずにゐれば

自滅する他ない。―こういふ

狀態であり乍ら、随分整理を

したとはいふものの、未だあ

れ丈けの人びとに給料を拂つ

て商賣を續けてゐる。

 こう考へると流石に底知れ

ぬ廣さを持つ大都會だなあと

いふ感に今更乍ら泌じみとう

たれざるを得ない。芝居や活

動やカフェー、バー、百貨店

その他の娯樂機關が、兎に角

相當の客足を吸収して營業を

してゐる。神宮球塲は六萬五

千人フラットの熱狂振である

かと思ふと、或る秋晴れの午

前、銀座裏の街上で一人の社

會主義者が、二人の警官に追

はれて、格闘の末捕へられ、

悲壯な顔をして引致せられた

新築地劇團や左翼劇塲の公演

には傷だらけな脚本を上演し

て、然もいつも觀客は溢れる

程入り、さながら勞働者集會

そのもののやうに感激してゐ

る。勿論その中には私のやう

なプチブルくさい人間が一割

ほど交つてゐる。

 あらゆる詐欺、横領、欺瞞

暴行、あらゆる惡徳、いんち

き、は日に日に充滿して、善

民はその應接に暇ない。うは

べは政治、敎育の中心、然も

一皮むけば、オールいんちき

の焦熱地獄である大東京の目

まぐるしき十五年の生活―私

はつくづくいやになり疲れ果

てた。然し私には、いや恐ら

く凡ての東京人には、この醜

惡なる都會を見捨て切ること

は出來ぬらしいのだ。然らば

どこにそんな未練があるのか

ときかれても名答は不可能

である。都會に育てられたも

のは、都會を離れては生活能

力の大半をもぎとられて了ふ

からだなどと答へても、それ

は恐らく本心ではない。言葉

にも文字にも表現出來ぬ得体

の知れない魅力のためである

といふのが、眞實の告白だ。

そんなもののどこかいいのか

と云へばそれでお終ひだ。や

けくその、すてばちの、ぐう

たらな、ふわふわな、それで

ゐていやにお上品に構へた東

京人―むろん私もその一人に

加はつて、朝夕のラツシュア

ワーの人波にもまれ乍ら、ち

よつぴりは生活の向上などと

いふ繪そらごとを空想し乍ら

魚群のやうに無意識に遊泳し

てゐるだけの話だ。

   (昭和六年十一月稿)


(越後タイムス 昭和六年十一月廿二日 
                第一千三十七號 一面より)


#越後タイムス #昭和六年 #東京 #ラッシュアワー





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