Photo by nakameguromt 菊池兄へ/宮 川 生 30 一錢亭文庫 / 菊池 與志夫 2022年8月14日 11:21 菊池兄けいへ◇タイムスが發刊されてもう二十年過ぎたかなあと、僕は二十周年號を見て思つた。僕がタイムスを讀み初めたのは旅順で今は故人の恩人蠟山長治郎樣宅の居候時代からである。あれからずつと讀んで居るがもう十五年過ぎて居る。當時は江原小彌太氏が北越水力あたりに盛んに公筆を揮つてゐたやうに思はれる。◇それから、江原氏が東京に去つて中村さんに變つたのは何日頃からだか覺えてゐないが、何でも江原氏時代には同氏一人と云つてもいい程、一人で全面を埋めた程タイムスの色彩は一特色をなして居つた樣に思はれる。◇處が中村さんになつてからは、中村さんの健筆は餘り見受けられない。その代りよき寄稿家の自然、人生、社會を語る名文が、中村さんの靜かな人を通じて取捨され、洗練された、矢張り、一つの或る文化的色彩を持つて織り出されてゐる。◇創業の人江原氏、守成の人中村さん。江原氏なくしてはタイムスの創業難に打難く、中村さんなくしては今日の隆盛は期せられない。尤も社内同人諸兄のよき援助は玆で申す迄もない。◇寄稿家菊池君。菊池與志夫君は中村さんに見出されたよき寄稿家の一人だ。菊池君、随分久し振りだつたね。君が文學志望を棄てゝ實業方面に志したと云ふ事は僕を淋しくさせる。◇君は一頃佐藤春夫氏の門を出入してゐる樣にも見えたしタイムスに發表した君の作品の數々には佐藤春夫張りの臭くさみが多分にあつた。その表現の甘美な理想主義と、夢を追ふ人間性の純情が多分に盛られてゐた。◇君の藝術は當時の新進作家に伍して斷ぜん、いゝ位置を要求出來るものであつた。若さに似合はない圓熟せる筆致と、言葉に洗練が行き届いてゐた。大正十四年頃、僕は「翹望の門出へ」と題してタイムス紙上で、君が一巻を世に問ふてはどうかと、ひそかに勸告したものだ。◇然るに―今、何によつて君の處世觀が變つて生活樣式に對するイデアを變へたか、限りなく君の才能を惜しいと思ふ人は恐らく僕だけではないと思ふ。◇菊池君、僕は今平和な暮しをしてゐる。眞面目なサラリーマンとして十年一日の如く朝八時出勤五時退出、取扱ふ會計事務の貸借對照表の如く正確な勤務振りで正に典型的サラリーマンである。型の如く妻があり、二人の娘と四人で野付牛町郊外の社宅で人世を樂しんでゐる。只金が慾しいとは思ふ。夫は住みよい住宅を拵へて好きな芝居を見たいからだ。◇過ぎし十年の歳月! 本社在勤當時の晝休みと、メモ通信が甘い記憶として殘つて居る。藝術家だつた山本秀一郎君は僕には或る意味での恩人だ。當時、口を開けば藝術を論じ、哲學を語り宗敎を論じたがその幼稚さはお互に恥しい。◇だが今は何を語る事を持つてゐるか。只會社事務の餘暇に、ヘボの碁を圍み、ヘボのテニスをやり、ヘボの玉を突き、ヘボのピンポンを打ち、ヘボのスキーを乗り廻す、時に流れを下り乍ら馬鹿の樣に釣糸を垂れて日が暮れる。何の思想、何の哲學、何の神ぞ。◇人間は所詮流轉の永遠に一線を引く點の連續でしかあり得ない。みじめな生活でも仕方がないが只悔える事のない生活を樂しんで、明日を心配したくない生活がいゝ。僕達には明日の希望の八十パーセントは不安であるからだ。僕は今、人生に就て切ない考へは持つてゐない。◇只二つ、生きてゐる間に世界をあてもなく散歩して見物したい事と、よき歌舞伎を新劇とを倦きる程見たい事だけだ。一頃野良犬の樣に「人生畢竟如何」を解決する書籍を約五ケ年に亘つて暇さへあれば東京の本屋の棚毎に眼をさらした樣な切實な考へは少しもない。◇お蔭で平和に樂しくその日を送つてゐるせいかその當時十三貫目位しか無かつた体重が、今では十五貫目餘もあり僕のニックネーム哲學者も、そのやせたからだと共にどこかへ飛んで了つた事と思ふ。 西學校運動會に妻と子供二人は見物に行つてゐる。校庭の兒童の歡呼と樂隊を聞きつゝ。 (五、六、一)(越後タイムス 昭和五年六月八日 第九百六十二號 二面より) #越後タイムス #昭和五年 #江原小弥太 #中村葉月 #蝋山長治郎 ソフィアセンター 柏崎市立図書館 所蔵※関連記事 ダウンロード copy #越後タイムス #中村葉月 #昭和五年 #江原小弥太 #蝋山長治郎 30 この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか? サポート