一 錢 散 文
去年の夏、私は柏崎へ遊びに行
つて二三日ほど中村葉月さんの家
へ泊めてもらつたことがある。そ
の時、葉月さんは一夜私を柏崎の
ある旗亭へ招んで晩餐を御馳走し
てくださつた。恰度その頃、私は
一篇の小説を書いて、それに一錢
小説と名づけたものを葉月さんに
示したことがある。すると葉月さ
んは、例の憂鬱な風貌に黝づんだ
微笑――失禮な言ひぐさではある
が、私は甞つてあのひとが薔薇い
ろの微笑を以て私に應酬された場
面を一向に思ひうかべることがで
きないものである――をゴールデ
ンバットの煙のなかでちらとみせ
乍ら、(藝術家といふものは自分の
作品に就いて卑下してはいけない
あなたの場合でも同じことが言へ
る。一錢小説などと言はないで、
むしろ昂然と百圓小説と言つた方
がいいのです。)と言はれたことを
覺えてゐる。私はその言葉を、そ
の晩病氣を押して私たちのために
三階節を唄つてくれた吉次(?)と
いふひとのことと一緒に今もなほ
忘れずにゐる。私はその頃或るひ
とのことを思つてゐたので―その
まごころは今もまた同じことであ
る。―そのひとの言葉のために、
もうひとつには私自身のまごころ
のために、私は酒を口にしなかつ
た。さうして私は神經衰弱にかか
つてゐた。これは私がゴールデン
バットを愛用したからである。葉
月さんもまた私のみるところでは
神經衰弱であつた。
氏の神經衰弱の原因に就いては
私のよく知るところではない。然
しその原因の一半が、私と同じく
煙草の愛用にあつたことは事實で
ある。私たちはこの恐るべき害毒
を持つた愛用品を斷然、私たちの
身邊から遠ざけなければ、數年を
經ずして廢人同様の哀しみにあふ
のだから、今夜からさつぱりとや
めてしまはうではありませんかと
話合つたのであるが、やはりやめ
ることはできなかつた。
私はその後ひと月ほど經つてか
ら、ゴールデンバットの喫煙を全
く斷つてしまつた。さうして私は
その日から酒杯を手に持つてしま
つた。私のまごころはその儘そつ
としておいて、しかも私は酒色の
魅惑を忘れかねた。私は讀むこと
も、書くこともめんどうくさくな
つてしまつた。さうして今日に至
るまで殆んど一冊の書物も讀まず
に、また書くことは葉書一枚でも
いやであつた。
さうして私は二週間ほどまへか
らインフルエンザにかかつて終日
病床で暮らしてゐたが、昨日、漸
く起きあがつたばかりである。私
はその長い病臥のあひだに、私の
書棚にある本を氣まぐれに讀みあ
さつてみた。どんな本でも面白い
と思つた。すべての作家―著書を
出してゐるほどの作家ならほとん
ど誰れでもみなそれぞれにそのひ
との特色があつて、意見があつて、
長いあひだ書物から遠ざかつてゐ
た私にはへんに面白く思へた。私
はまた古い私の手帖を探しだして
きてひらいてみた。よほど昔のひ
とだが、ギリシャの女詩人でサッ
フォといふひとの詩をいいと思つ
た。尾關岩二といふひとの譯で讀
んだのを手帖へ寫しとつてある。
そのうちに「戀愛少女賦」といふの
に、
とある。純情に頭がさがるではな
いか。
又、「傷」といふのがある。
この詩篇などは最も私を動かすも
のである。
インフルエンザのために私の心
もどうやらまたもとの私へもどつ
てきさうである。今日は氣分もい
いし、よく晴れて私の室の五月の
窓からは若葉の山がさ江ざ江と氣
持よく眼に映つてくれるのだ。ひ
さしぶりで街まで出て、あたらし
い卓燈の笠を買つてきて、ひさし
ぶりでーさうほとんど十月ぶりで
原稿紙に書きつけてみたらこんな
ものが書けた。私はもはや昂然と
百圓散文といふ題をつける氣には
なれない。私が一錢散文と題して
諸君の一瞥に供する所以は、去年
私が柏崎の旗亭に遊んだ席上でな
んとかといふ妓―名を忘れてしま
つて失敬だが―が、私の書くもの
を讀んでくれたこともあつたが、
もうその妓は柏崎にはゐない。と
いふことを私にお世辭がはりに傳
へてくれた妓があつたからである
(二年五月大森にて。)
(越後タイムス 昭和二年五月廿二日 第八百五號 八面より)
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